第44話
お待たせしました。待ってくれている方がどれほどいるかは不明ですが。
健康が一番ですね。更新します。
「おねえ……ちゃん」
「ッ! ヴィーラ! しっかりして、ヴィーラ!!」
妹の声に、ルサルカと呼ばれた姉が反応する。
か細い声だ。それは風が吹けば消えてしまいそうなほどに。
周りの音に掻き消されてもおかしくないほどに、小さな声。
それが、確かに聞こえる。
「ごめ……ね。おね……ちゃ……ヴィーラ……死ん……じゃう……」
「や、やだ! そんな、そんなこと!!」
「独り……ぼっちに……しちゃう……ごめん……ね」
「やだ! やだよヴィーラ! ヴィーラがいないと、お姉ちゃん……」
二人の声だけが聞こえる。
妹は気付いている。自分が助からないこと。自分が死んだら、姉は一人になることに。
姉も気付いている。妹が助からないこと。妹が死んだら、自分は独りになることに。
だから妹は謝っている。諦めている。
自分がどれだけ愛されていたか知っているから、自分がどれだけ愛しているか知っているから。
自分が死んでしまう事で、姉がどうなってしまうのか分かるから。
それでも、自分が死ぬことを避けられないと理解してしまっているから。
だから姉は叫んでいる。諦めることなんてできない。
自分がどれだけ愛しているか知っているから、自分がどれだけ愛されているのか知っているから。
妹が死ぬことで、自分が空っぽになることが分かるから。
それ以上に、妹に、死んでほしくないから。
父も、母も、頼れる人も、いないのだろう。
分かる。分かってしまう。
この二人は、あの日の俺たちだ。
どうにもできなくて、誰も助けてくれなくて、奪われてしまった……。
「ッ!!」
ギリッと歯が軋む音が耳の中から聞こえる。
それで漸く、自分が欠けてしまいそうなほど強く歯を噛んでいたことに気付く。
また。またなのか。
また妹が死ぬのか?
こいつは……見届けるのか?
グルグルと思考が渦を巻く。
羨ましい羨ましい羨ましい。自分は見届けられなかったのに。妹の最後を見届けられなかったのに。俺は、俺には、遺体さえも残らなくて、死んでることさえ確認できなくて、それでも、死んでるって分かってしまったのに。
それをこいつは!
それを! こいつ……は……ッ!
その時、自分の中で何かが凍った。
そうだ。俺は見届けられなかった。妹が死ぬ瞬間を。妹が消える光景を。
そしてこいつは、それを見届ける。
羨ましい。ウラヤマシイ?
……本当に?
妹が死ぬ瞬間を見る? 目の前で消えて行く?
本当にそれは、見なかったことよりも……良いことなのか?
大切な存在が、ミーシャが目の前で……。
ゾクリと背筋に怖気が走る。
今目の前の少女がしているように、少しずつ弱っている妹を、冷たくなって行く妹を、独りになっていく自分を、その手で……。
駄目だ。駄目だダメだ。そんなの耐えられない。
耐えられるわけがない。
それをこいつはこれから、体験するというのか?
「ごめ……ね。おね……ちゃ。なん……か……ねむ……い」
「ヴぃーら……? だ、め。寝ちゃだめ!! ヴィーラ! お願いよヴィーラ!!
助けて……誰か……神様……」
姉が妹を抱きしめる。温もりを逃がさないように。命を繋ぎとめるように。
姉の右手が、妹の手を強く握っているのが分かる。
逃げていた時から一度も離さなかった手。痛いほどに握りしめた手。
妹の方はもう、痛みすら感じていないようだった。
「……」
なんてことだ。
俺たちや、あの龍や、この姉妹のように。
家族ってやつは、兄妹ってやつは、尊過ぎる。
奪われていいもんじゃない。奪っていいもんじゃない。
なんてことはない。
頭の中でどう考えても、俺は、あの姉妹を救いたかったのだ。
「おい。……おい!」
「ヴぃ……ら……。ヴィ……ラァ……え?」
二度目の呼びかけで漸く姉がこちらを向いた。
今の今まで存在を忘れていたかのような態度だ。
まあそれも仕方のないことだろう。
「……助けたいか?」
「……ぇ?」
「助けたいかと、聞いているんだ」
「助ける……? た、助かるんですか!? ヴィーラが、妹が!!」
俺の言葉に、姉は過剰なほどに反応した。
声もそうだがそれ以上に、表情が、目が違う。
助かるのなら悪魔に魂を売ってもいい。自分の命と引き換えにしてもいい。
明らかにそういった目をしている。
「……ああ」
「ッ!! お願いします!! 何だって払います!! 何だってします!! だから! だから妹を! ヴィーラを! 助けてください!!」
見知らぬ人間にこんな事言われれば、普通は警戒する筈だ。どう考えても怪しい。
それでも、藁にも縋りたい思いなのだろう。
姉が地面に擦りつけそうなほどに頭を下げてきた。
本来なら、色々と言うべきなのだろう。
どうやって助けるつもりなのか、助けた後はどうなるのか。
血を飲むという行為が、血を飲ませるという行為が、何を産むのか。
自分たちが何者なのか。
血を飲んだことで、妹は龍人となってしまうが、本当に良いのか。
他にもたくさん。言うべきことはあった筈だし、彼女も俺に聞きたいこともあった筈だった。
何がそうさせたのかは分からない。
だがこの時、確かに俺は助けたいかとだけ聞き、彼女は俺に助けてほしいとだけ答えた。
そのことが、なんだろう。少しだけ、嬉しい。
親指を噛む。
小さな痛みと共に血が滲む。赤い血だ。龍となっても、それは変わらない。
徐々に膨れ小さな滴になった血を、自分でも驚くほど暖かな気持ちでヴィーラと呼ばれた少女の口元に落とした。