第19話
「そう……ですか」
俺が龍、か。
「……あまり、驚いておらんようじゃな?」
驚いていない? 確かに。人間じゃないなんて言われたら普通は驚くものだ。
「そう……ですね。多分、分かっていたからだと思います。あの光を取り込むたびに、自分の中の何かが変わっていたことに。それに、さっきまでは分かりませんでしたが今なら良く分かります。ワイバーンを倒す前と今……全然、違う」
そう言って拳を握る。
理解る。全然違う。さっきまでと全然違う。血が滾っている。体の中を、力が蠢いている。
まるで自分がワイバーンになったかのような力強さを感じる。
「そうじゃな。あの時、そなたは決定的に変わった。ここまで、ほとんど意識もなかったじゃろう? おそらく、変質していく体に魂が着いてきていなかったのじゃろう。じゃから無意識的に意識を落とした。それでも、いくらなんでもあれほどの変化はありえぬと思っていたんじゃがなあ」
釈然としない。そう言いたそうに頭をポリポリと掻いている。
「そうですね。自分でも多くの龍を倒してきましたが、これほど明確な変化は感じられませんでした」
「じゃろう? まあ仮説はあるがな。そなた、腕を喰われておったじゃろう?」
はい。と答える。
「ワイバーンの下半身が砕けた時、おそらく腕はそこにあった。ドロドロだったか粉々だったかは分からぬがな。そして光の粒子になった時、腕がワイバーンの体ごと腕と認識した。それを吸収したそなたの体は腕の設計図とワイバーンの強靭な体、そして高速再生の力を、そのまま、手にいれたのじゃろうな」
じゃから腕も生えてきたんじゃないかなーと余は思うのじゃ。
いつの間に取り出したのか。俺の使っていた槌を弄りながらエキドナさんはそう語る。
ワイバーンとしてではなく、自分の体としてワイバーンを吸収したということだろうか?
良く分からない。というか……やっぱり生えてきたのかー。嫌だなー。ますます人間離れしているよ。
「そういえば……この洞窟ではどれくらいの確率で敵が道具を落とすのでしょうか? 最初の方でその槌を落として以来、一度も落とさないのですが」
「はあ? 龍が槌なぞ落とすわけないじゃろう。ゲームじゃあるまいし」
「げえむ? いや、でも……確かにノヅチが消えたところにこれが……」
「あ、あの!!」
混乱しかけていると、しばらくの間聞き役に徹していたウルが声をあげた。
「わ、われがそこに落としたのでしゅ! こぞ、あなたがなかなか倒さないし、素手で危なっかしかったから……し、死なれたらつまらないと思って! あう! ごめんなさい!」
なぜか謝るウル。
「いや、謝る必要なんかないよ。このお陰で、戦いは驚くほどスムーズに進むようになったし……多分これがなかったら死んでたと思う。ありがとう」
事実、そうだったと思う。これがなければノヅチを一万も倒せなかっただろうし、ギーブルらは到底捌けなかっただろう。本来この洞窟にそういった特性がなかったのなら、ウルがしてくれた事は、俺の命を救ってくれたことに他ならない。
「ありがとう」
感謝を込めてもう一度言う。
「そ、そうですよ! 感謝するです!」
えっへんと胸を張るウル。彼女がウーロボロスならば少なくとも千年は生きているはずなのに……言動はひどく幼い。見た目に精神が引っ張られているのだろうか。
「ああ」
そう返すとウルはひどく機嫌良さげに足をぷらぷらとさせ始めた。鼻唄まで歌い始める始末だ。
しかし、そうだったのか。俺は本当に色々と助けられてきたんだな。
ウルがいなかったら俺は死んでいただろうし、エキドナさんがワイバーンを凍らせて俺をここまで連れてきてくれなかったら、俺はここへ死んでいただろ、う。
……待てよ?
「あの!!」
「ん? なんじゃ?」
「ワイバーンは、エキドナさんが倒してくれたのですよね!?」
「んん? ……何を言っておる。自分で倒したじゃろう。覚えておらぬのか?」
槌で上半身を破壊して止めを刺した事は覚えている。重要なのはその前だ。
「氷を壊した事は覚えています。大事なのはその前です! 倒された者を倒した者が吸収できるのがこの洞窟なら、お、私が下半身を吸収したのはおかしいんじゃあ……私はあの時死にかけていて……気も失っていた……倒せるはずがないのです!!」
「俺でよいよ。わざわざかしこまる必要もない。しかし何を言っておるのじゃ。確かにそなたが倒したではないか。余は少し足りとも手を貸しておらぬよ」
そっちこそ何を言っているんだ。俺は確かに見た。ワイバーンが炎を放とうとしていたのを。だから俺は、目を閉じたのだから。
「本当に覚えておらぬのか? ワイバーンの炎が届こうかという時、そなたは空中に魔法陣を描いたではないか! 六芒星など、余は久しぶりに見たぞ!?」
「六……芒星?」
――――出来た。どうかな? 六星魔法陣って呼ぼうと思うんだけど
「三千年前に金星が失われて以来。ここ二千年は特にヘキサグラムなんぞ見も聞きもせんかったというのに……しかも一筆書きときたもんじゃ。クロウリーの六芒星と言ったかの? より魔術式に特化された形じゃの」
いや珍しいものを見たわ! と笑う彼女を尻目に考える。いや、分かっている。知っている。ヘキサグラムとかクロウリーとかは良く分からないけど……
――――こんな風に書いてみたらどうかな? あわわ、また失敗しちゃった! お母さんに怒られちゃう!! どうしよ……ちょ、兄さん! ずるっ! 逃げないでよー!!
妹の顔が脳裏に蘇る。そうか……また、助けてくれたんだな……
妹にとって、大事な未来は今日だったのかもしれない。
「んぬ? っておおお! そ、そなたまた泣いておるのか!?」
気が付けばまた泣いていた。嬉しくて、悲しくて涙が溢れる。いつも助けられてきた。いつも一緒にいた。俺は妹にとって、良い兄でいられただろうか。
「ごめんな、ありがとう、ごめんな……」
何度も何度も繰り返す。
この涙は当分、止まりそうにない。