第15話
木々の間から差し込んでくる木洩れ日のように、それ自体は優しい目覚めだった。
目は覚めているのに体を動かしたくないような心地良い虚脱感。色のない世界。
夢と分かっていた筈の夢は、残光のように頭の中を駆け巡る。
一番暖かくて、一番優しくて、一番楽しかった毎日。何故かそれが遠く感じて、やけに悲しい。
ああ、ボクは死んじゃったのかな……?
動けない体と考えることだけはできる頭。体と心が分離してしまったような感覚の中、思う。
悲しくはなかった。
エルフが自然と対話できるように、人魚族が泳げるように、妹が可愛いように、夜が明ければ朝がくるように、誰もが知っていることのように、当たり前のことだ。
自分は負けた。だから、死んだのだ。
飛龍との戦いが脳裏をよぎる。強くて、怖くて、熱くて、痛くて、苦しくて、嬉しかった。
生きてしまった自分に、罰をあたえてくれた。
噛みついてくれた。千切ってくれた。振り払ってくれた。焼いてくれた。
殺して……くれた。
悲しくは、なかった……これで妹のところへ行けるのだ。何もない世界で生きずにすむのだ。頑張らなくていいのだ。それなのに……それなのに……こんなにも、悔しい。
……罪に罰があるとして、自分への罰は何なのだろうか。
飛龍に出会ってしまったことか。腕を喰われてしまったことか。焼かれてしまったことか。あの痛みが、あの程度の痛みで、贖罪になるというのか。
死は……自分にとってそれほどに重い罰なのか?
「……違う」
無くなったはずの体が、声帯が震える。
そして、世界が色付く。
青くて白い世界。突き刺すような寒さ。
凍りついた現実が目の前に広がる。
視界の隅っこに、真っ黒な何かが揺れている。
動かなかったはずの体が動くのが分かる。
心臓の鼓動が聴こえる。
「……生きてる」
実はなんとなく生きているような気がしていた。
まだ、死ねないような小さな確信はあった。
妹の生きろと言う約束を、そんな簡単に自分が破れるはずがなかった。
だからまだ、生きている。
ここがどこかも分からない凍りついたような世界で、それでもまだ、生きている。
少しだけ体を起こしてみる。倦怠感はあるが問題なく動くようだ。
ここはどこなのだろうか。
最後に見た赤い世界とはギャップが大きすぎて困惑を覚える。
穴の中? 四方は氷の壁に囲まれているが、簡単に登れそうだ。
最後に見た光景のままなら、ここは自分が棺桶みたいだと思った場所なのだろうか。
どうなっている?
この変わり様はなんだ。炎はどうなった。ご丁寧にも止めを刺そうとしてくれたワイバーンはどこだ。この氷はなんだ。寒いんだけど。
思わず両腕で体を抱きしめ、ブルリと震える、って
「えええ!?」
両腕あるし!
「なに? 夢? え、どこまでが夢? ワイバーンは? 腕は?」
……妹は?
「おお、目覚めたの!」
混乱していると頭上から綺麗な声が響いた。思わず見上げると、そこには真っ黒な髪をした綺麗な女の人の顔が見えた。
「ほれ、いつまでそんなところにおる? はよう出てくるが良い」
そう優しげに言いながら微笑む女性。体を動かしてみると痛みは全くない。立って穴を登ってみると案外簡単に出ることができた。
声をかけてくれた女性を見てみる。
夜のような美しい髪、エルフのように飛び出た耳、赤い瞳、白い肌、そして蛇のような下半身……え、何族??
何度か街に出掛けた時に様々な人種を見てきたが、こんな人は初めて見た。
「ふむ、呆けておるの。余がそんなにも珍しいか?」
「あ、すすすみません。ジロジロ見て」
「よいよい。余のような生物は又といないからの。存分に見ると良いぞ」
そう言って女性は笑った。親が子供に何かを教える時のような、母性を感じる笑みだ。
「あの! あなたは?」
「余か? 余はの……いや、ここで言うのもなんだ。家に招待しよう。そこで存分に互いを知ろうぞ。余もそなたには興味がある」
「家……ですか」
「うむ、ここより四つ下じゃな。さあ、行こうかのっとその前に」
やらんといかんことがあるの。と言いながら女性は歩きだした。地形は少し変わってしまったし凍ってしまってはいるが、やはりここはあの洞窟なのだろう。なんとなく面影がある。
大きな氷の塊の前に着くと、女性は
「少し待っておれ」
と言い、氷の裏側へ歩いていく。戻ってきた時、女性は見覚えのある槌を持っていた。
「あっそれは!!」
「そなたの使っておった物じゃろ? ほれ!」
「あ、ありがとうございます」
「うむ、さ、これを壊すがよい!」
ポンポンと氷を叩く。自分の何倍もあるような巨大な氷だ。
「あの、どうして、でしょう?」
壊す意味が分からない。下に降りる場所はここよりずっと後ろの方にあるのだ。
「んん? 希なことを言うな。 せっかく命を賭けてまで倒したというのに、止めを差さぬのか?」
「倒……す? この氷をですか?」
「氷? ああ、いやいや、そうではない。よく中を見てみよ」
そう言って指す指の先を見てみる。なんだろうか、確かに何かがある。何か……大きな……
「あっ!!」
「……飛龍ワイバーン。こやつに早く止めを刺してやれ。と、余はそう言っておるのじゃ」