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風鈴の教室

共鳴地図きょうめいちず》: 風の通り道と地形の“鳴きやすい線”を記した地図。音の攻防の設計図。

風鈴欺瞞ふうりんぎまん》: 廃材で作った小鈴を多数吊り下げ、敵の音判定をノイズで埋める戦術。

観測班かんそくはん》: 針の振れ、風向、音程を記録する前線のデータ係。日誌が武器になる。

《見切りみきりせん》: 退かず進まず“ここで止める”と全員が共有する仮想線。小勝ちを積むための境界。

《鋼のはがねのつばさ》: 帝国に持ち込まれつつある最新飛行兵器の総称。魔導と機巧の折衷。

昼の砂は熱いが、風はよく通る。カリームは大きな砂盤に棒で線を引いた。細い指で、稜線(砂指)が何本も重なるところを丸で囲む。


「ここが“鳴く”。音は近道を選ぶ。だから――」


「だから、昨夜みたいに“喉鳴り”を当てられたんですね?」

ノートを抱えた観測班の少女レイラが、首をかしげた。


「そう。で、こっちは“鳴き声の地図”を作り返す。名前は《共鳴地図》」

カリームは小さな杯と糸を取り出し、砂に置く。糸を弾くと、杯の底がかすかに鳴った。

「狙えば鳴く。けど――鳴りやすさは、変えられる」


砲班長が笑って、木箱を開ける。中には、使い終わった薬莢の輪や割れた香炉の風受け、小さな貝殻まで入っていた。

「廃材で作った《風鈴》だ。参謀殿の“新兵器”」


「武器……ですか?」

レイラの目が丸くなる。


「武器。音の戦争では、静けさも雑音も両方が弾になる」

カリームは頷き、風鈴を渡した。

「位置はここ。風に正対させず、半歩ずらす。規則的な音は読まれる――“ちょっとだけズレ”の連続で、敵の耳を疲れさせる」


「“ちょっとだけズレ”、っと……」

レイラは針金に小鈴を結び、杭に縛りつける。その手つきは、緊張しているのに丁寧だった。


夕方、砂の熱がやわらいだ頃。結界隊は霊線の結び目を移動し、観測班は方位ごとの風鈴の鳴り方を日誌に書き込む。


「北北東、短い高音、三、二、四の繰り返し……」

「南、低音が連続、でも時々、風が返る――」

「その“返り”に合わせて結界の位相を一段変える。九呼吸は長かった、七に下げる」

カリームの指示は、いつも通り短くて明確だ。


ファハド王が見回りに来て、風鈴の列の前で足を止める。

「涼やかだな」

「うるさくするための涼やかさです、陛下」

カリームが軽く一礼すると、王は笑った。

「耳障りのよい勝利、というやつか。――“見切り線”はどこだ」

「ここです」カリームは砂盤に一本の線を引く。「敵が踏み込んでも、この線で止める。追わない。喉を閉めるだけにする」


王は頷き、近くの若い兵に声をかけた。

「線を守るのは怖いが、線があると怖さも分け合える。覚えておけ」


同じ頃、対岸。砂指の背に座ったザエルは、簡素な弦具(砂琴)の残骸を蹴り、風を舐めるように読んだ。

「音が増えた。鈴だ。雑音で耳を疲れさせてくる」

副官サハルが顔をしかめる。

「どうします」

「音は嘘をつくが、タイミングは嘘をつきにくい。鈴は風で鳴る。人の息では鳴らない。――“息の窓”で聴く」


「“息の窓”?」

「合図の瞬間、こちらは完全に黙る。鈴だけが鳴る“空白の息”を作り、そこに真の位置の影が差す」

ザエルは細い符を一本噛み、指先に巻きつけた。

「それで足りなければ、別の窓――高みから観る目だ」


彼は懐から封蝋の割られた文を取り出し、短く笑った。

「“鋼の翼”の試作が届いた。今夜の終わりに一度だけ上げる。音ではなく、影で測る」


サハルが息を飲む。

「結界は?」

「触るな。ただ観る。喉は、まだ鳴らすな」


夜。砂は冷え、風鈴が星明かりの下で微かに揺れる。観測班は持ち場に散り、耳と針とノートで暗闇を測る。


「南南東、針、わずかに戻りが悪い」

「西、鈴が連続……“一定じゃない”。ずらしてる」

「七呼吸で位相変更、合図――」

レイラは息を整え、日誌に書く。「――合図、来ない?」


その瞬間、風がすっと止んだ。風鈴が同時に黙る。砂の音も、遠い足音も、何もかもが一拍だけ消えた。


「……“息の窓”」

レイラの背筋に冷たいものが走る。


無音の穴の縁で、別の音がした。水面を切る、短い線の音。

「渡河?」

双眼筒の影を動かした測手が首を振る。

「違う。空だ。星の前――黒い線が速い」


「対空、仰角五! 照星なし、影狙い!」

砲班長の声が低く走る。銅の冷却路は泥の襟巻きで黙っている。


「待って、撃たないで!」

レイラが思わず叫んだ。

「参謀殿の“見切り線”、まだ越えてません! 影は測ってるだけ!」


カリームは一瞬だけ彼女を見て、頷いた。

「正しい。――全砲、保留。結界隊、針の戻りだけ見ろ」

副官が戸惑う。

「しかし、観測されれば次は……」

「線を守ることと、臆することは別だ。ここは学ぶ番だ」


黒い線は、星を一つ二つ消しながら、静かに弧を描いて去った。鈴が、遅れてまた鳴り始める。


「……今の、何」

レイラが息を吐く。

「《鋼の翼》の偵察だろう」カリームは静かに答えた。「音ではなく影で来た。音の授業は、次の授業の準備だった」


「次の授業?」

「影を読む授業。空の算数だ」


夜半。ザエルの陣。サハルが報告する。

「影測、成功。対岸は撃たず。結界の位相、七呼吸周期で変化。鈴は“ズレ”で飽和」

「上出来だ。――相手に賢い子がいるな」

「子?」

「声の高さからして若い。今、撃つのを止めた。線を守る“余白”を作れる者だ」

ザエルは砂に指を滑らせ、いくつもの小さな×印をつけた。

「次は“息の窓”を広げ、影に石を投げる。だが今はやめる。学んだら、引け。これは見切り線だ」


サハルは肩の力を抜いた。

「将の“見切り線”は、いつも助かります」

「勝つために退く線だ。覚えさせれば、部下は壊れない」


明け方。薄紫の風の中、カリームは観測日誌の束を前に、簡易の“教室”を開いた。生徒は観測班と砲班の若者たち。王も端に腰かけ、黙って耳を傾ける。


「今日の授業は二つ。

一つ、音の戦い:鈴で耳を疲れさせ、結び目をずらし、喉を鳴らされても黙って撃つ。

二つ、影の戦い:影は嘘をつきやすいが、星は嘘をつかない。つまり“座標”にする」


「座標?」

レイラが身を乗り出す。


「星の並びを物差しにして、影の軌道を数字にする。何度で来て、何秒で去るか。速度と高さ。それが“空の算数”。高校の数学よりちょっとだけ砂っぽい」

小さな笑いが起きる。カリームも、わずかに笑った。


「観測班は《共鳴地図》のページに“星尺ほしじゃく”を足す。夜空の方眼紙だ。風鈴はパターンをもっと不規則に。合図は手旗に戻す。――“音が止まる窓”があるなら、音に頼らない」


ファハド王が手を挙げた。

「質問していいか、先生」

「どうぞ、陛下」

「影を見て、撃たないという選択を覚えた。だが撃つ時は、いつだ」

「《見切り線》を越えた時。線は、全員で共有する。迷いを“合わせる”道具です」

王は満足そうに頷く。

「良い。線を持てば、恐れは小さくなる」


講習が終わると、レイラがノートを抱えて残った。

「参謀殿。昨日、私、怖かった。でも、“怖いまま押せ”って、ほんとにできるんですね」

「できる。怖さは間違いを教えてくれる。日誌に書けば、次は武器になる」

カリームは彼女のノートの隅に、小さく書いた。

“ズレは味方。線は味方。数字は味方。”


風鈴が朝の風で鳴る。優しい音なのに、その中身は全部、戦いの準備だ。


遠い空の高み、星の代わりに白い一点が遅れて現れる。昨日の黒い影よりも高く、静かだ。

「見えましたか」

レイラが囁く。

「見えた。さあ――空の授業、二時間目だ」

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