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エピローグ:砂の記憶、星の余白(第一部・結)

本日の用語


砂碑さひ:砂と陽石粉を焼き固める前線の簡易慰霊碑。名を押し、乾きで定着させる。


北河回廊ほくがかいろう:両軍が限定的に通行を認めた補給・救護の中立回廊。


白革書はっかくしょ:停戦・回廊運用などを定めた署名前の覚書。


冬営とうえい:季節風期の長期野営。装備整備、人員補充、交渉窓口の設置を含む。


氷路ひょうろ:凍結した河面を暫定の補給路として用いる冬季の道。

砂丘の影が短くなり、渡河点の堤に列ができた。若い兵が濡らした指で砂を均し、一字ずつ名を押す。

「次……ジャリール」

書記の声が風に裂け、また戻る。ファハド王は列をゆっくり歩き、欠けた画を親指でそっと撫でた。

「名を、残せ。——我らが忘れぬように」

誰も、王の指がかすかに震えていることを言葉にしなかった。


天幕の外では、工兵が《陽石柱アンカー》の二本を抜き、結界を“壁”から“窓”へと作り替えている。喉鳴り(冷却路の共振)は止み、対空魔導砲は油で静かに息を継いだ。

カリームは星尺をたたみ、砂碑の列と橋を同じ視界に収めた。(勝利の場面だけを切り出せば、神話はすぐできる。——神話は次の誤算の母だ)


「参謀殿、北の使者」

連れてこられた女は毛皮縁の外套をまとい、灰色の瞳を真直ぐに向けた。

「ルーシ国連合、侍女官イルイナ。《北河回廊》の白革書を」

「歓迎する。短く、正確にいこう」

イルイナは巻物を開き、指で条項を叩く。

「一、松脂油三百樽・月次供給(市況連動)。

 二、穀物船の回廊外逸脱の禁止。

 三、負傷者の往還安全の保証。

 四、回廊上の空からの攻撃を双方禁止。」

「履行監査は?」とカリーム。

「冬営の監視小屋を共同運用。違反は即時停止、再開は双方承認で」

「市場も戦場だ。約定は盾にも刃にもなる。——貴国はどちらに使う?」

「季節に従います、参謀殿。冬は滑り、春は膨らむ。どちらにも転び得ます」

二人は短く微笑し、印を押した。紙の白さは、休戦ではない。猶予の色だ。


夕刻、橋の中央に白旗が立ち、角笛が二度、低く鳴る。帝国の影が一つ、ゆっくり現れた。

「初めて会うな、アムサラの星詠み」

「ザエル将。お言葉を」

老将は同文の白革書を差し出し、視線だけで橋の下流を示す。

「冬が来る。氷が道になる前に、お互い手の内を揃えねばならん」

「承知しています。準備の名を、我々は“猶予”と呼ぶだけです」

「では、呼吸を整えよう。次は——歩く音で互いが分かる距離で会おう」

「その時までに、読む星を増やしておきます」

紙を交換し、二人は背を向けた。近さは軽さではない。ただ輪郭を、正確にするだけだ。


夜。冬営の焚き火の輪で、少年兵が星尺を握っている。

「参謀、これで本当に敵の距離、分かるんですか?」

「星は嘘をつかない。嘘をつくのは読む側だ。だから手順を守る」

「手順?」

「二つの星を選び、角を測り、地上の三角に写す。測り直しは二度。——数は冷たいが、命に温かい道を作る」

「じゃあ、ぼくら、どこまで行くんです?」

「北へ。風が変わる場所まで。氷が道になる。そこに次の継ぎ目がある」


砂碑の列は、渡河点からまっすぐ運河へ伸びて、夜露に鈍く光る。ファハド王は最後の砂碑の前に盃を置き、短く告げた。

「明日からはまた、働け。——死者が休めるように」

盃の影が砂に沁み、風が音を持たずに通り抜けた。


天幕に戻ったカリームは、地図を北へ捲る。蛇行する川は、やがて名も知らぬ港へ注ぐ。端紙にはイルイナの走り書き。

《冬、氷は道になります》

机端には、連邦製“鋼の翼”の噂書き。天からの脅威は、竜の次の名をまだ持たない。

(空はまだ完全には塞げない。回廊は刃にもなる。季節は誰の味方でもない——読み違いの少ない者の味方だ)


角笛が三度、遠くで鳴った。冬営入り。

「続きだ。次の計算を始めよう」

星尺が開き、星が結ばれる。神話は作らない。勝利の光で目を曇らせない。星を読むのは、次の誤算を小さくするためだ。

――砂が記憶を固め、星が余白を示す。物語は、道の上で続く。

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