砂脈の地図
【本日の用語】
《砂脈図》: 地中の湿り気・粒度・流向を重ねた“地下の地図”。
《音紋》: 震符で採取した振動の指紋。道具・人数・速度の差が波形に刻まれる。
《乾符》: 砂中の水分を奪い、局所的に脆く“乾かす”符。注水戦術への対抗手。
《喉鈴》: 微気流で触れると小さく鳴る薄陶の罠。砂中の“呼吸”を可視化する。
《星尺補正》: 星位観測で微傾斜を測り、杭やアンカーの荷重を再配分する調整法。
――暁前・王国《橋頭堡》北縁
「北筋、音紋が揃ってる。深さは男一人半、速度は遅いが歩幅が合ってる」
測手の報告に、カリームは黒砂へ小石を置き、傾きだけを見る。
「合唱は囮だ。本命は“外れた一点”で来る。――星尺補正、二番杭を南へ二分、東へ一分」
「調整入る。……荷重、移りました」
「よし。《喉鈴》を三筋に打て。鳴らすためじゃない、遅らせるために置く」
副官ハーリドが眉を上げる。
「先に鳴らすな、ですか」
「“鳴りそうな場所”を覚えさせておく。鳴る少し前に、水の枕を差す」
「了解」
――同刻・帝国前線後方《黒営》
砂盤の上、線が幾重にも重なる。井戸台帳、古運河の補修記録、軍の地鳴り図――それらが一枚の**《砂脈図》**に束ねられていた。
「東北から回る。乾いた肋骨に沿って落ちる。上は注水で重い。だから――乾かしてから触れ」
ザエルが指先で一点を叩く。
「狙いは喉杭じゃない。《陽石柱アンカー》の根だ。結界の縫い目を緩めろ」
《伏蛇工》の頭が短く問う。
「《乾符》は二十。足りるか」
「足りる。傾けるだけでいい。空に一本、通り道が生まれる」
アディルが息を呑む。
「飛竜、試し牙……通しますか」
「通す。戻れなくても、爪痕が残れば足りる」
――王国・北縁
「鈴は十。足りません」
「足りる。三つ“置き鈴”、七つ“遅れ鈴”だ」
カリームは白陶の輪を摘んで見せる。
「“置き”は今ここ。“遅れ”は“ここで鳴りそうだ”という記憶を砂に刻む」
そこへ工兵が駆け込む。
「注水筒が一本割れました!」
「布で巻いて砂を噛ませろ。水は三樽、衛生へ回す。交換条件だ、終えた者から土嚢へ戻れ」
ファハド王が黙って自分の水盃を工兵に渡す。
「名は夜に読む。今は呼吸を合わせよ」
「はっ!」
――帝国・砂脈の内側
「乾き、入った。足が軽い」
砂の水気が音もなく抜ける。刃は沈まず、進みが伸びる。
「アンカーの根、近い。叩くな、撫でろ。縫い目だけ緩める」
上で、結界が微かにほどけた。
「位相、〇・三下落!」
遠い携行祭壇の測手が符に跳ね書きする。
――王国・結界祭壇
「南東の縫い目、落ちました!」
「星尺補正継続。上流の堰を指二本だけ外せ。“乾いた道”に水を差す」
「参謀、それでは全体の水位が――」
「指二本だ。干上がりはせぬ。彼らの乾符を、こちらの水で無効化する」
――帝国・砂脈の内側
「水が戻った。早い……耳がいいな」
頭は即座に隊を割る。
「“揃い”は読まれている。ばらせ。二は左脈へ、二は待機。俺と一が本命で抜ける」
――王国・北縁
「波形、不揃いに移行!」
「合唱より独唱の方が聞きやすい」
カリームは“遅れ鈴”を砂へ沈める。
「ここ、指先だけ――よし。『ちり』と言うはずだ。今ではない、“少し後の今”に」
対空陣地の低出力モードが地中へ一拍の鼓を落とす。偽震の布目がほどけ、本命の影が輪郭を持つ。
「来るぞ。三、二――」
砂の奥で鈴が触れた。
――帝国・砂脈内
「上から鼓……読み直しを強いられた。早足で抜ける」
だが、砂はいつの間にか枕を得ていた。足元の衝撃が吸われ、刃が立たない。
「水枕か。後から差したのか。……ここは捨てる。もう一本だ」
肩を返した瞬間、別の鈴が短く告げた。
「いい道具だ。だが――遅い」
脇道へ滑り込む影。
――王国・結界縫い目
「位相の落ち、〇・一まで回復。けれど薄い!」
「持たせろ。半刻だ」
カリームは砲列へ指示を飛ばす。
「一、二門は地打ち継続。三門目、仰角五――“転び道”を刺せ」
副官が首を傾げる。
「転び道?」
「薄い縫い目に風が落ちる。飛竜はそこで揺れる。針で縫え」
――帝国・黒営
「結界、なお〇・二薄い。飛竜二対、待機完了!」
「通せ。試し牙だ」
ザエルの短笛が鳴る。
――空
「……揺れる。縫い目だ。いける」
先頭の飛竜が胸を押し返され、一拍、空が硬くなる。
「今――抜け――」
下から細い光の針が立つ。《対空魔導砲》の束が“転び道”を縫い、左翼が痺れる。
「左、上がらない――!」
「上へ抜けろ、上へ!」
結界が結び目を取り戻し、先頭は翻って離脱。二番手だけが縫い目を掠めて通った。
――王国・北空
「一、弾いた。二、通った!」
「抜けた一は戻らん。喉上空へ誘導、射界を三重に重ねろ」
ファハド王が低く問う。
「地の牙は」
「鈍った。だが消えてはいない」
「ならば名を続けよ。生き残るために名を」
王は担架列へ向き直り、ひとりひとりの名を短く復唱した。
――帝国・喉の上
「見えた。南東のアンカー、根が甘い。標、送る」
その背で、薄金の飾り弦がちりと鳴る。空用の喉鈴だ。下からの光が二度。
「やらせん――」
二番手の騎士は鞍の鎖を外した。
「標は渡った。俺は囮だ」
翼が光にほどけ、ひとつの影が空に散る。
――王国・司令天幕
「標が送られた。――次、来ます」
測手の指が震える。カリームは頷いた。
「来るなら、こちらも地図で行く。《砂脈図》を裏返す。上流の堰、指一本戻せ。注水は“待ち伏せ”へ回す。喉鈴は――鳴る前にそこにいろ」
東が白む。砂は色を取り戻し、風は縫い目を探す。
上では、失われた軌跡が薄い道標となり、次の翼が一瞬だけためらう。
夜は終わる。だが、喉はまだ――鳴っている。




