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十に割る刃

本日の用語


割刃わりば》: 一個部隊を十の小刃こばに分け、同時多発で要点を切断する分散奇襲戦術。

《縫いぬいめ》: 陣地や部隊運用の“継ぎ目”に生じる弱点。地図の線と地面の段差の食い違いも含む。

方位印ほういいん》: 防空結界の向き・強度を示す小型標。乱れを見る“目”。

速成符そくせいふ》: 現地で書き足す簡易符。展開が速い反面、持続と精度は低い。

渦標うずしるべ》: 位相のゆらぎを可視化する帝国側の測定灯。再結界点の護衛にも使われる。

 夕刻の風は乾いていた。対岸に築いた《橋頭堡》は、昼までに土嚢と木柵で二重に囲われ、基部には《対空魔導砲》が三門、上向きに口を閉じて沈黙している。空の《防空結界》は、まだ“薄い”。《陽石柱アンカー》四本が鳴りを潜める間、誰もが空を見上げる癖をやめられないでいた。


「――数字が合わない」


 カリームは水晶盤の端に指を置いた。薄い砂塵の帯が、運河上で十筋に裂けて見える。星図から引き直した風の方程式は、橋頭堡の東縁で小さな“泣き”を示していた。


「参謀殿、補強はすでに三列で――」


「違う。“縫い目”が十ある。帝国は《再結界》を点で縫い直す。十本の針で、同時に」


 副官の青年が息をのむ。


「十……全部は防げません」


「だからこちらも十に割る。――《割刃》で迎える」


 天幕に短い沈黙が落ちたのち、「了解」の声が重なった。


「作戦名は“十に割る刃”。刃一から刃十まで、標的はそれぞれ帝国の再結界点、もしくは《渦標》の護衛班だ」


 カリームは指で地図の“段差”をなぞる。


「覚えておけ。《縫い目》は地図の線から半歩ずれる。そこに“喉”ができる。喉を塞げないと噛み切られる。――質問は?」


 手を挙げたのは、かつて《束起動》で壁を洗った若い兵、ナジムだった。


「刃七、ナジム。速成で結界切りを? 持続が……」


「十分でいい。十分持てば、十分勝てる。刃九は囮、《布覆い》で水面の反射を殺して帝国の視線を引く。刃三と刃四は《霊線》の中継を切り替えろ。喉が乾く前に、水を喉へ流し直すイメージだ」


「……怖いまま押せ、ですか」


「そうだ。怖いまま、押せ」


 短く笑いが漏れ、空気が少しだけ軽くなる。カリームは続けた。


「最後に。帝国は“偽の喉”を置く。九つは偽でも、一つは本物だ。見分け方は星。上空の薄雲の速さと砂の跳ね方、《方位印》の揺れで決める。刃十は私の手元で遅延、最も遅く動く。――全員、生きて帰れ」


 一方その頃、帝国軍・前線再結界陣。


 予備役将ザエルは、崩れた壁の縁に立ち、揺らぐ《渦標》の光を横目に、若い祭祀長の手元を見ていた。


「十箇所、同時に縫う。九は偽、ひとつだけが縫い留めだ。――針を飲み込む魚が来る」


「将、王国は《防空結界》を……」


「薄い。半刻後には厚くなる。ならば半刻のうちに、喉へ牙を入れる。……“十狼”、配置につけ。王国の《霊線》を十に割って噛め。噛み千切れなければ、喉を鳴らせ」


 ザエルは、崩壁の砂を靴先で払った。


「怖れは前に置け。曲がり角には、正面で入れ」


 夜が落ちる。結界の空気がきしり、運河面に黒い縞が走った。


「刃一、出る」


「刃二、出る」


 低い声が連なり、十の影が砂に沈み、土嚢の裂け目から流れ出た。ナジムは刃七の先頭で息を詰め、それから、あえて大きく吐く。


(怖いまま、押せ)


 彼らは《速成符》を濡らし、薄闇に溶かして進む。《布覆い》は光を殺し、足音は砂に吸われた。


「――《渦標》、二十度に揺れ。偽だ」


 刃三の測手が囁く。隣で《方位印》がちいさく震え、その揺れが“嘘”を告げる。彼らは針路を一つずらし、本命らしき黒点を目指した。


「刃七、喉に触れる」


 ナジムが鳶口を土の縁に掛け、ゆっくりと体重をかける。崩壁の裏に、帝国の《再結界》の縫い糸――細い光の“管”が走っていた。彼は指示通り、最初の一撃を“少し外す”。反応を見て、本命を探るためだ。


「……揺れ、戻らず。ここだ」


 ナジムは《速成符》を三枚重ねて“喉”へ押し当てる。青白い火花が走り、糸が片側からほつれる。あと七十呼吸――持てばいい。


「刃九、囮はじめ――!」


 刃九の一隊が、わざと水面へ石を落とす。《布覆い》の縁からわずかな光が漏れ、一瞬だけ“人間の匂い”を川へ落とす。


 帝国側の声が、風に乗って届いた。


「右、灯り! 渦標三番、方位ずれ!」


「十狼、そちらだ。喉を鳴らせ!」


 黒い影が四つ、囮へ走る。その一方で、刃三の前に、別の影がふっと現れた。砂の上に、足音が一つ足りない。ザエルが放った“狼”の一匹だ。刃三の先頭が反射的に《速成符》を投げるも、狼は一歩で抜けた。


「《霊線》に手を出すな――!」


 刃四が横から飛び込み、狼の肘を“音”で外す。魔術は最小、体術は簡素。訓練で叩き込まれた“最低限”だけで、間を止める。


「刃十、まだ動くな」


 天幕のカリームは、低く言った。水晶盤の上、薄雲の流れと《方位印》の微かな揺れが、九つの偽と一つの本物をようやく分け始めている。


「……風が逆立った。《渦標》六番、揺れが戻らない。そこが喉だ。刃十、出ろ。刃二を吸って三枚刃に――まとめて切れ」


「刃十、了解。――刃二、こちらへ合流!」


 影と影が夜に重なり、三つの刃が一本に束ねられる。一直線に“喉”へ滑り込むと、三方向から符が重なって突き刺さった。


「――いま!」


 ほつれは一気に走った。帝国の《再結界》の縫い目が裂け、護衛の《渦標》が短い悲鳴を上げて消える。橋頭堡の空が、ひと呼吸だけ軽くなった。


 その刹那、空のどこかで鋼が鳴った。


 対岸の闇のさらに奥、帝国の巨灯が薄く灯り、風の層が一段階、変わる。遠雷のような低音が、遅れて腹に落ちた。


「……いまのは」


 副官がつぶやき、カリームは答えない。耳が覚えている。金属が規則正しく擦れる音。砂を噛まない音。


(――《鋼の翼》だな)


 ザエルの横顔が、崩れた壁の縁に一瞬だけ切り取られた。彼はわずかに口角を上げ、灯を一つ、静かに消す。


「喉は鳴った。あとは牙を見せるだけだ」


 戦いの後、刃たちは帰ってきた。十のうち、七が揃う。二は負傷搬送、残る一は――


「……刃五、遅れます」


 ナジムが声を落とす。カリームは短く頷き、名簿の余白に印を付けた。


「刃五は、戻れる。戻せ」


 彼はそれだけ言って、天幕の端に歩く。書記官がそっと近づいた。


「参謀殿。結界、安定域に入りました」


「よし。高くしすぎるな。鳥も人も、同じ空を使う。――見える高さに張れ」


 外では、《対空魔導砲》の銅が冷え、夜の砂は音を立てずに冷えていく。誰かが小さく歌い、すぐにやめた。


「怖いまま、押したな」


 カリームの言葉に、ナジムはゆっくりと頷いた。


「……押しました。でも、刃は折れてません」


「折れない刃は、次も切れる。十に割って、また戻す。――次は、空だ」


 遠く、低い金属音がもう一度、夜の底で鳴った。

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