表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/50

砂の教室

【本日の用語】


鳴砂帯めいさたい》:粒のそろった砂路。踏圧や風の変化で「シシ…」と鳴き、見えない動きを知らせる“耳”。


《Δp札デルタピーふだ》:空気の押し引き(圧差)の変化を灯色で示す簡易計測札。音が消されても圧は嘘をつかない。


布凧滑空ぬのだこかっくう》:帆布の凧に人が吊られて行う超低速・低音の浸透飛行。上からではなく“横”から入る。


《扇継ぎ(おうぎつぎ)》:砲列を扇形に並べ、順に撃っては冷やして火力を切らさない運用。


《縫いぬいめ》:結界・地形・風の“つなぎ目”。強い壁そのものより、つなぎ目が戦場の急所になる。

 夜明け前、布頭巾の内側はざらついて、頬に当たるたび小さな火花のように痛んだ。歯の隙間で砂がきゅと鳴る。土嚢に背を預けると、夜の冷えが衣の中へ逆流し、汗の塩が皮膚に刺さる。結界の縁に敷いた《鳴砂帯》は遠くで細く鳴き、空には薄い灰がかかっていた。


「今日の授業は三つだ。一に“聞こえないものを聞く”、二に“撃たない勇気を持つ”、三に“同じ手順を明日の自分に残す”」


「先生、板書はレイラがやります」

 レイラが砲架に肘を置いて笑う。「復習担当はサミルで」


「復習は命を伸ばす」

 サミルはΔp札を手際よく吊り直す。「音を消してくる敵でも、圧(Δp)は消えない」


「ほら来たよ、真面目さの圧」

 砲班長が銅管を布で拭き、手のひらで熱を量った。「鳴るのは銅じゃなく、敵の腕。うちの標語だろ」


 補充兵の少年は、包帯の左手を胸に寄せ、右手で札束の角をそろえている。布の手触りががさついて、指先に小さな痛みが残る。


「怖いのは当たり前だ」

 カリームは少年の前にしゃがみ、札の端をそっと押しそろえた。「怖いまま、順番にやる。手順は四つ。音→時間差→高さと向き→扇継ぎ。忘れたら書け」


「は、はい!」


 空が白む。鳴砂が紙の裂け目みたいな気配で「シ」と鳴った。Δp札の灯が、わずかに深くなる。


「来る」

 レイラが身を起こす。


「まだ撃つな」

 カリームは掌を見せた。「上じゃない。横からだ」


「横?」

 少年が砂原を目でなぞる。


「《布凧滑空》。風と並走すれば音が溶ける。でも押しは残る」

 サミルは札を振り、灯の変化を指で追う。「二拍半→二拍、近づいてる。樹冠ひとつ下」


「標定、四手」

 レイラの声は短い。「一番、喉だけ一拍。二番、三拍受け。三・四は“間”を置く」


「一番、喉一拍」

 砲が低く喉を鳴らし、砂粒がぱらと跳ねる。鳴砂の揺れが二重になる。


「二重の影。囮が上、本命が横」

 サミルがΔtを数える。「……今。二番、斉射!」


 白い線が低く走り、黒い布の端が風ごとめくれた。人影が砂へ沈む。


「命中。翼を折った。――生け捕り班」

 レイラは息を吐き、銃床を肩から外す。「一番沈黙、三番冷却、四番受け継ぎ」


 布の匂いと焦げた砂の匂いが鼻腔に刺さる。と、そのとき鳴砂が別の鳴きに変わった。踏まれていないのに擦れている。


「下、潜ってる」

 レイラが低く言う。「《布覆い》で反射を殺して、砂下滑走」


「Δpは微変だけど、風陰が細く走る。縫い目を渡ってる」

 サミルが札を入れ替えた。


「歩哨線、右一枚詰め。縫い目に罠杭、鈎で引け。――撃つな」

 カリームが合図すると、歩哨たちが鉤を投げる。砂がどっと盛り上がり、黒布がずるりと剥け、帝国斥候が咳を吐いて地上へ現れた。


「拘束」

 砲班長が縄を回す。


 短い静けさの後、後方の砂路でΔp札の灯がじわりと二段深くなった。押す群れの印だ。


「補給列が来る。背中を切りに」

 サミルが顔を上げる。


「二正面はしない。砲は前、後ろは――教室で止める」

 カリームは少年に札と短い鉤槍を渡した。「ここに立つ。灯が二段半深くなったら鈎。叫ぶな、手を上げる」


「……二段半、ですね」


「そうだ。半が肝だ」


 砂路で細い「シ…」がつらなり、灯が――二段深くなる。少年の喉がからからに乾き、焦りが指を持ち上げる。


「(二段……半? もう半が分からない)」

 手が早く上がった。


「合図、見た。鈎いけ!」

 鉤が飛び、杭が打たれる――が、荷の端しか噛まない。敵の護衛が一発撃ち返し、土嚢に砂がばちばちはぜて看視の兵が頬を掠られた。


「下がれ!」

 レイラが腕を引く。「早い。半が足りない」


「私のミスです!」

 少年の声が震える。布頭巾の中、汗が目尻を刺す。


「ミスは授業料だ」

 カリームは即答し、少年の手をもう一度、灯へ向けさせた。「息で数えろ。一(吸う)・二(吐く)で二段、『半』で指先を重く。それで上げろ」


「……はい。一・二……半」


 灯がもう一段沈む。彼は重く手を上げた。


「今だ。鈎、再投入! 杭、二連!」

 砲班長の号令。鉤が荷の腹を捉え、杭ががんと砂芯へ入る。黒い覆いが裂け、束ね荷と人影が砂へ崩れた。レイラの空射が空気を縫い、敵の脚を止める。


「撃たない勇気、合格。――記録だ」

 カリームは帳面を開き、素早く書く。「二段半→鈎→杭二→空射。さっきの失敗のタイミングも書け」


「『二段で上げて失敗→一・二……半で成功』」

 少年は声に出して書き込んだ。自分の字が、さっきより少しだけ太い。


 前線から角笛が二短一長。敵の型が変わる。空の縁に薄い銀の弧が浮かび、音のない光が目を刺す。


「閃光矢。視界潰し」

 レイラが布を目に当てる。


「伏せ、目を閉じて数えろ――五!」

 カリームの声が砂の上を走る。「上げ! 二番、喉一拍。四番、三拍受け!」


 白熱の残像が消える。Δp札の灯は、静かに、しかし確かに低く濃くなっていた。


「囮の後に本命。方位は東北低、速度は遅い」

 サミルが告げる。


「同じ手順で止める。――扇継ぎ、入れ!」

 カリームが手を振る。


「二番、斉射――四番、受け――一番、沈黙――三番、冷却――継ぎ!」

 銅は鳴らない。熱だけが掌に移り、汗が真水みたいにしょっぱい。砂が低く返事をし、黒い布凧が二つ、三つ、砂に落ちる。


「……引いた。今日は“ここまで”」

 レイラが息を整え、頬の砂を舌で払った。「砂の味、最悪」


「銅の味もしない。良い日だ」

 砲班長が管の温度を手の甲で測る。「三番、軽い歪み。交換手配」


「誇張は要らない。記録」

 カリームは帳面に走らせる。「音→Δt→高度・向き→扇継ぎ。そして失敗の訂正手順」


「伝令!」

 砂を蹴って走り込む。汗は白く乾き、目はまっすぐだ。


「帝国本隊、風路の再編開始! 砂丘三本、削って道を作ってます。指揮名――ザエル!」


 砂がひと鳴きして、風が裏返る。熱の匂いが濃くなる。


―――【カット:帝国・砂丘工作陣】―――


 刃のように乾いた風が、ザエルの頬を紙でなでるみたいに擦った。彼は砂丘の喉へ膝をつき、指先で砂を舐める。粉の甘さの後に、陽石の苦い金気。


「鳴砂の教室を壊す。耳を奪えば、目は役に立たん」

 ザエルは短杖で砂丘の稜線を三度叩き、地図に三本の線を引いた。「ここを削れ。風をこちらへ」


「防空の縫い目に合わせますか?」

 副官が問う。


「逆だ。あいつらは縫える。縫い目そのものを縫い替える。風路ふうじを組み替え、布凧滑空は“授業”の外から入れる。――音を消すのではなく、音の意味を変えろ」


「囮は?」


「音のある囮だ。わざと銅を鳴らせ。鳴砂の“正解”を壊す。合図が早い子から崩れる」


 ザエルは立ち上がり、風の向きを背で受けた。風は彼の命令に従うように、砂丘の肩を滑って低い路を作り始める。


―――【戦場へ】―――


「……目覚めた獅子だね」

 レイラが砲架に手を置く。


「授業の続きだ」

 カリームは手袋を外し、汗で濡れた掌を焼ける風へ晒した。「教科書は敵が持っている。こっちはノートで勝つ」


「ノート?」

 少年が首を傾げる。布頭巾の縁が頬にこすれて痛い。


「だれでも読めて、同じ手順でできる紙。お前の字で、明日の自分を助ける」

 カリームは少年の帳面を叩いた。「二段半の『半』――息で数える。それが今日の太字だ」


「はい。『一・二……半』」

 少年はもう一度、静かに数えた。砂の味が薄れていく。


 鳴砂が、遠くでひと声。風が勉強机の紙をめくるみたいに、砂のページをぱらりとめくった。授業は、まだ終わらない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ