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証明という名の砲声

【本日の用語】


音殺幕おんさつまく》: 風孔や砂笛が出す“音”だけを抑える薄膜術。圧の変化(Δp)は消せない。


鳴砂帯めいさたい》: 粒度を揃えた砂路。踏圧や乱流で微音を発し、風の“影(風陰)”や侵入の継ぎ目を可視化する。


《Δp札デルタピーふだ》: 微小な圧差を灯色で示す簡易計測札。


風陰かぜかげ》: 風の流れが物体で欠ける“影”。針路・高度推定のヒントになる。


《扇継ぎ(おうぎつぎ)》: 砲列を扇形に順繰りで回し撃ちする冷却・持久運用法。

風は乾いていた。橋頭堡の上空に張った《防空結界》は、まだ新しい器のようにかすかにきしむ。結界の縁に沿って敷いた《鳴砂帯》が、足音でもない微かな擦過で“シシ…”と鳴いた。


「――音が、薄い。帝国が《音殺幕》を張ってくる」


 地図卓に手を添えるカリームの声は低い。彼の前で、星図盤とΔp札の列がじりじりと色を変えている。


「音は消せても、押しの変化は消せませんよ、参謀」

 サミルがΔp札を指で弾いた。「Δpは空気の押す強さの変わり目、くらいで覚えればいい。式はあとで」


「式より匂いのほうが早い時もある」

 レイラが外を見やり、頬の産毛を逆立てた。「上、右から“舌を巻く”感じ――高い」


「標定班、四手で行く」

 カリームが淡く頷く。「①音階、②Δt、③高度と針路、④《扇継ぎ》で射」


「了解。《鳴砂帯》、計測開始。…Δt、二拍半の遅れで西から東へ流れてます」

 サミルの声は滑らかだ。


「なら、上段先鳴り。一番砲、喉だけ鳴らせ。二番は受け、三・四は沈黙――間で追う」

 レイラが短く切る。


「一番、喉一拍!」

 砲班長の号令とともに、鋼の喉が低く鳴った。砂の粒が微かに跳ねる。


「……待て」

 サミルの眉が揺れた。「Δtが逆流してる。上じゃない、下からの蜃気楼だ」


「射角、高すぎるぞ」

 砲班長が銅の導管を撫でる。「このまま行くと銅が鳴く」


「――遅いと落ちる!」

 レイラの瞳が細くなった。「いま撃てば、掴める!」


 緊張がひときわ張った瞬間、結界の縁で“シッ”と砂が千切れた。上空の音は確かに薄い。だが、Δp札の灯は低い角度で濃くなる。


「レイラ、指揮を預ける。修正値を言え」

 カリームが一歩退いた。卓から手を放し、彼女の背を見つめる。


「……一度下げ、二度ずらし。一は喉だけ、二は三拍受けて扇継ぎ。三・四は沈黙で**“間”を作る**。いまの“無音”は、縫い目の裏側」


「了解! 一番、喉一拍――二番、三拍受け――三・四、沈黙保持! 撃つな、まだ!」


 砲列が呼吸を合わせた瞬間、対岸の闇が“はらり”と裂けた。《音殺幕》の薄膜が風に食われ、小さな渦が露わになる。


「来た。低い。針路、東南へ五度」

 サミルが数を置く。「Δt、二拍に短縮。高度、樹冠より一つ上」


「――今。二番、斉射!」

 レイラの手が落ちた。


 白い束が空に走る。銅は鳴らない。砂は跳ねる。遠くで、風の骨が折れるような音がして、黒い影が体勢を崩した。


「当たったか?」

 砲班長が息を殺す。


「翼膜を裂いた。墜ちはしない――引き離しには十分」

 レイラの声が平らに戻る。


「――待て。三番、導管が呻いてるぞ」

 砲班長が振り向いた。銅が熱で歪み、低く“ボウ”と鳴く。


「停止。三番は冷却へ。四番、受け継ぎ」

 カリームが即答する。「扇は壊すな。鳴るのは相手の腕だ」


「四番、受ける。霊線安定――よし」


 短い安堵のすぐ先で、《鳴砂帯》が別の音を立てた。足音ではない、踏まずに鳴る細い擦過。砂目が逆立つ。


「……下。地上が動く」

 レイラの目が鳴砂へ落ちた。「灯が無い。《布覆い》で反射を殺してる」


「Δpは変わってない。でも、鳴砂が逆さに揺れてる」

 サミルが札列を見比べる。「風陰が“増える方向”に走ってる。縫い目を渡ってる」


「歩哨線、右一、詰めろ。砂の継ぎ目に罠杭。――二番砲、喉で威嚇、撃つな。三番は冷却続行」

 カリームが指示を散らす。


「了解。……うわ、来た!」

 歩哨の叫びがかすれた。「影が、砂の下から――」


「撃つなと言った!」

 レイラが怒鳴る。「鈎で引け! 鳴砂に沈め!」


 砂が波打ち、黒い布で覆われた低い影がずるりと姿を見せた。布の裾にΔp札の灯が濃く差す。音はない。だが、押しはある。


「鈎入った!」

「押せ、押せ! ――入った!」


 布覆いが剝がれ、帝国斥候の潜行具が露出する。彼らの喉は静かだ。だが、砂は嘘をつかない。


「拘束、完了。――一名、確保」


「良くやった。鳴砂帯、罠としても効く」

 カリームが短く告げる。「だが、こっちも代償は出ている」


 医療班が駆け込む。三番砲の装填手が軽い火傷で苦笑いした。


「大丈夫か」

 砲班長が覗き込む。


「銅の唄を、ちょっと近くで聴いちまって」

 装填手は肩をすくめた。「次は遠くで聴きます」


「いい返しだ。だが遠くで聴け」

 カリームの目は笑っていない。「次の相手は近くで笑わない」


 空はなお薄かった。《音殺幕》の切れ端が、まだ辺りを漂っている。Δp札の灯が、ふいに一段深くなった。


「レイラ」

 カリームが視線だけで合図を送る。


「……上、今度こそ高い。でも軽い。索敵飛竜の囮だ」

 レイラが首を傾げた。「本命は低い。風陰が二重になってる」


「Δt確認。……一致。低高度、東北から。速度、ゆっくり」

 サミルが数字を置く。「無音の雷はまだ来てない」


「四番、喉を一拍。――二番、三拍受け。一番は沈黙、鳴砂の東端を見ろ」

 カリームが指を弾いた。


「喉、一拍」

 風がひるがえり、砂が返事をする。“シシ…”という細い音が、ひとところで倍に重なった。


「そこだ。縫い目に乗ってる」

 レイラの声が低くなる。「二番、いま」


「二番、斉射!」


 白い束が、低く、短く、正確に走った。影が跳ね、薄膜が裂け、黒い鱗が砂に散った。歓声は上がらない。砲列は、ただ次の呼吸を揃えた。


「被害、軽微。三番、冷却完了。交代で戻す」

 砲班長が淡々と告げる。


「よし。――まとめる」

 カリームは皆の顔を一度見渡し、言葉を落とした。「証明ってのは、天才の閃きじゃない。次の誰かが、同じ手順で再現できるようにすることだ。今の四手を、紙に落とせ。失敗も、落としておけ。それが次の命を助ける」


「四手、記録完了。①音階、②Δt、③高度・針路、④扇継ぎ。誤読一件、停止指示一回。対処――鈎で引き、鳴砂に沈め。備考、三番軽火傷」

 サミルが淡々と読み上げる。


「わたしの勘は、いちど外れた。間をくれたおかげで戻れた」

 レイラが短く言った。「次は外さない――外しても、戻る」


「戻るために間を作るんだ」

 砲班長が頷く。「銅を鳴らさずに、相手の腕を鳴かせる」


 橋頭堡の風が、少しだけ柔らいだ。《鳴砂帯》の音は細く続き、Δp札は落ち着いた色へ戻る。遠く、帝国の空に新しい縫い目が生まれる――それは、まだ名もない技の到来を、ぼんやりと告げていた。


「――次へ」

 カリームが手袋を外し、掌を乾いた風にさらす。「今日の証明を、明日の標準にする」


 砲列が、静かに頷いた。

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