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贖罪の日に、神話は崩れる

【本日の用語】


暁天作戦ぎょうてんさくせん》:帝国の無敵神話を覆す、王国の奇襲作戦名。


《光のひかりのかべ》:陽石硬化層と光素結界の複合防御壁の総称。


光素結界こうそけっかい》:「光の壁」の内層術式。位相を固定するが、水流で乱されると自律補正で魔力を消耗する。


破魔符はまふ》:高位術式に《雑音》を流し込み、過負荷を狙う初級符術。数で効果を発揮する。


《魔導カノン(まどうかのん)》:圧縮したマナを薬室で解放し、術式殻を射出する投射器。


橋頭きょうとう》:渡河後の占領拠点。本文では《橋頭の喉》として要衝を指す。

ソラリス魔導歴三四五二年、秋。帝国が最も神聖とする祝祭「贖罪の日」。


昼下がりの砂漠風が天幕の帆を鳴らすたび、薄い影がゆれて地図の上を渡っていく。

若き参謀カリームは、水晶盤に走る白い線を指でなぞった。線は帝国の無敵の象徴――《光の壁》。陽石粉を混ぜた砂層を《光素結界》で位相固定した、実質二重の防御。表層は固く、内層は魔力で密着している。前世の知識が答えを囁く。固いものは、揺らせば崩れる。


「カリーム参謀、本当に帝国は動かんのか」老将軍の囁きは、祈りと疑いの間で震えていた。「ふむ、飛竜もなく、空の制圧もできぬ軍が、どうやって“壁”を越える。土木工事か、参謀殿」


カリームはわずかに頷く。「動きません。侮りは、こちらの兵站よりも頼れる同盟者です」

帳の奥から、低く渋い声がした。「ならば責は私が負う。――やれ」

ファハド王の短い一句が、すべての逡巡を切り落とした。


カリームは深く一礼し、呼気を細くした。午後二の刻。帝国司令部が祝祭の儀礼で席を外し、交替勤務の継ぎ目が生じる時間帯――この時を待っていた。

合図の旗が、陽に白く翻る。

「第一射群、照準よし。――斉射!」

稜線に伏せた《魔導カノン》が次々と吠えた。火薬ではない。圧縮したマナを薬室で解放し、術式殻を《指揮通信中枢(C2)》へ、補給拠点へ、伝令陣へ――要所にだけ撃ち込む。


数は誇れない。三連隊のうち前線配備は三群三十六門。一群十二門を、三段の波で回す。敵の《考える間》を、こちらの都合で奪い取れる。

轟音の余韻が砂丘を駆け降りた時、運河沿いで角笛が重なり合う。温い運河水の鉄臭と、砕けた陽石の甘い金気が、天幕の陰にまで滲み込んできた。


六十基の魔動ポンプを五人一班で運用。「奇数基は上層、偶数基は下層。束を交差させて綻びを裂け目へ追い込め!」

「放水、始め!」

水の刃が、光の壁の表層を洗う。結界の位相が乱れ、固着していた砂層がほどけ、白い塵となって陽に舞う。隙間に、さらに圧が刺さる。目に見えぬ綻びが、一息で裂け目に変わった。

「渡河班、前へ――破魔隊、続け!」

槍の石突に括った《破魔符》が、兵士たちの足音に合わせて鳴った。


粗末な札ほど《雑音》が濃い。高位術式は静謐を好む。だから数が刺さる。


対岸に現れた魔導ゴーレムが、蒼い眼を灯す。術式核の装甲に符が貼りつくたび、眼光が瞬きを覚え、膝が笑い、巨体が自重で座り込む。


高価な鋼鉄の巨人は、数という名の石ころで沈められていった。

「やったぞ、抜けた!」「勝てる、今度こそ!」

歓声が天幕の外で波打つ。


しかしカリームの耳には、別の音が届いていた。担架の脚が砂を噛む、乾いた軋みだ。

運ばれてきた若い伝令の胸衣には、泥水と血が混じった茶色い染み。喉が上下するたび、細い呼気が笛のように鳴る。


「……名を、記録に」


参謀としての声と、人間としての声が胸の内で衝突し、かすれた。


「ジャリール、であります」傍らの兵が震える声で答える。


カリームは瞼を一度だけ固く閉じ、開いた。勝つほど、欠ける。理屈は知っている。だが、穴は数字では埋まらない。

水晶盤に目を戻す。裂け目は予定より広い。だが、広いほど敵の選択肢も増える。


「第三梯隊に伝達。渡河幅を広げず、《橋頭の喉》を固めろ。補給舟は橋頭が乾くまで入れるな。砲側は敵の再構築点を狙って三分ごと、三段の波で小刻みに撃ち返せ。――」

副官が目を瞬いた。「追撃、どうします!」


「追わない。勝ちを膨らせると、腹が裂ける」

遠くで、帝国の陣太鼓がわずかに返歌した気がした。祝祭の沈黙が終わる。

彼らは喪に服さない。すぐに《儀礼》を《制裁》に替える。

やがて陽は傾き、白い塵の幕に橙が差した。勝利の歓声は続く。乾くほどに、天幕の布から鉄と陽石の甘い匂いが立ち上がる。


だが、水晶盤の端で微かな黒い渦が生まれていた。敵の予備兵力の集結点か、あるいは――盤面の黒い渦の中心で、携行祭壇の灯が揺れた――再結界が始まる。

見えない対岸で、獅子めいた気配が牙を研いでいる――そうカリームには嗅ぎ取れた。

(ああいう手合いは、地図の継ぎ目に鼻を利かせる。規則を嫌い、曲がり角に真っ直ぐ踏み込む――俺自身が一番、嫌うタイプだ)


これは――輝きで目を曇らせる類いの勝利ではない。


カリームは手袋を外し、掌の汗を乾いた風にさらした。


「続きだ。次の計算を始めよう」

帝国軍の反撃は、彼の予想を遥かに超える形で始まろうとしていた。

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