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第二話:黄金色の誘惑、あるいは下町とんかつの流儀

「くっ……!」


満員電車の中、俺、山田太郎は今日も見えない敵と戦っていた。それは、四方八方から押し寄せる人々の圧力と、鼻腔をくすぐる誰かの朝食の匂い、そして何より、この非効率極まりない通勤ラッシュという日本の儀式に対する、元アメリカ人としての純粋なフラストレーションだ。


株式会社『ジャパ通』でのサラリーマン生活も早数ヶ月。アットホームな会社の雰囲気にはだいぶ慣れてきたものの、日本の会社特有の「忖度」や「根回し」といった暗黙のルールには、未だに戸惑うことしきりだ。先日のラーメン記事は幸いにも好評で、編集長からは「山田くん、あの『麺宇宙』の記事、外国人観光客からの反応がすごく良いよ!」と褒められた。おかげで、少しだけこの会社での居場所を見つけられた気がしている。


「さて、山田くん。次の特集だけど、何かいいアイデアはあるかな?」


編集会議で、柔和な笑顔の編集長が俺に水を向けてきた。ラーメンの次…正直、まだ何も考えていなかった。


「うーん、そうですね……日本の伝統文化とか、どうでしょう?例えば、歌舞伎とか」


「悪くないけど、ちょっと敷居が高いかなぁ。もっと気軽に体験できるものがいいんだけど」


頭を悩ませていると、隣の席の鈴木先輩が助け舟を出してくれた。


「編集長、それなら『日本の洋食』なんてどうでしょう?カレーライスとか、オムライスとか。外国の料理が日本で独自に進化したものって、結構面白いと思うんですよ」


「日本の洋食か!それはいいかもしれないね。特に何か、おすすめはあるかい?」


「でしたら、ここはひとつ『とんかつ』を深掘りしてみるのはどうでしょう。ただのフライドポークじゃない、日本の職人技が光る逸品ですよ。上野に素晴らしい老舗がありましてね…」


鈴木先輩の熱のこもったプレゼンに、編集長も乗り気になった。


「よし、じゃあ山田くん、次は『とんかつ』でいこう!鈴木先輩、おすすめの店、教えてあげて」


こうして、俺の次なるミッションは「とんかつの魅力探訪」に決まった。鈴木先輩が教えてくれたのは、上野にあるとんかつの老舗『双葉』。なんでも、昔ながらの製法を守り続ける、知る人ぞ知る名店らしい。


週末、俺はカメラを片手に上野へと向かった。アメヤ横丁の喧騒を抜け、少し落ち着いた路地に入ると、そこには時が止まったかのような佇まいの『双葉』があった。年季の入った木の看板、藍色の暖簾。いかにも「老舗」という風格だ。


カラリと引き戸を開けると、香ばしい油の匂いと、食欲をそそる豚肉の香りが鼻をくすぐる。店内はこぢんまりとしていて、カウンター席といくつかのテーブル席。厨房では、白髪の主人が黙々ととんかつを揚げている。その真剣な眼差しは、まさに職人のそれだ。


「いらっしゃい!」


威勢のいい女将さんにカウンター席へ案内され、メニューに目を落とす。「ロースかつ定食」と「ヒレかつ定食」がメインのようだ。鈴木先輩からは「まずはロースを味わうべし」とアドバイスを受けていたので、迷わず「ロースかつ定食」を注文した。


待つ間、店内を見渡す。観光客らしき外国人のカップルもいれば、作業着姿の男性一人客、近所から来たと思われる老夫婦など、客層は様々だ。皆、これから供されるであろう黄金色の誘惑を、静かに待ちわびている。


「お待ちどうさま!」


目の前に運ばれてきたロースかつ定食は、まさに芸術品だった。こんがりと揚がったきつね色の衣は見るからにサクサクで、その下には分厚い豚肉が鎮座している。千切りキャベツの山、艶やかな白飯、そして湯気を立てる味噌汁。完璧な布陣だ。


まずは何もつけずに一口。


「サクッ…ジュワッ…!」


衣の軽快な歯触りの直後、肉厚なロースから豚肉の旨味を含んだ肉汁が溢れ出す。なんだこれは!前世で食べていたポークカツレツとは全くの別物だ。肉は驚くほど柔らかく、脂身の部分は甘くてとろけるようだ。


次に、テーブルに置かれた自家製らしき濃厚なソースをかけてみる。甘辛いソースが衣に染み込み、豚肉の旨味と絡み合って、ご飯が猛烈に進む。からしを少しつければ、ピリッとした辛さがアクセントになり、また違った味わいだ。


女将さんが「塩で食べるのも美味しいですよ」と教えてくれた。カウンターに置かれた小皿の塩を少しつけて食べると、豚肉本来の甘みと旨味がより一層引き立つ。これは…発見だ!


夢中で食べ進めるうち、あっという間に皿は空になった。満腹感と共に、なんとも言えない幸福感が胸に広がる。これが、日本の「とんかつ」か…。


会社に戻り、興奮冷めやらぬまま記事の執筆に取り掛かった。


タイトルは「黄金色の誘惑!衣と肉のシンフォニー、日本のソウルフード『TONKATSU』の奥義」。

記事では、まず「とんかつ」が西洋の「カツレツ」を起源としながらも、日本で独自の進化を遂げた料理であることを紹介。そして、『双葉』で体験した感動を、五感を刺激するような言葉で綴った。


「きめ細かいパン粉をまとった厚切りの豚肉が、熟練の技で黄金色に揚げられる。一口噛みしめれば、サクッという軽快な音と共に、閉じ込められていた肉汁がジュワリと溢れ出す。それはまさに、衣と肉が織りなす魅惑のシンフォニーだ」


ロースとヒレの違い、ソースだけでなく塩や醤油で味わう楽しみ方、そしてご飯、キャベツ、味噌汁との完璧なマリアージュ。外国人観光客にも、この奥深い「TONKATSU」の世界を体験してほしいという想いを込めた。


「山田くん、今回も素晴らしいじゃないか!読んでいるだけでお腹が空いてくるよ」


編集長は、またしても俺の記事を絶賛してくれた。


鈴木先輩も「いやぁ、双葉のとんかつの魅力、見事に伝わってますよ。さすが山田さんだ」と嬉しそうだ。


日本のサラリーマン生活は、まだまだ謎だらけで、ため息の連続だ。でも、こうして日本の食文化の奥深さに触れ、それを誰かに伝えることができるのは、この転生生活で見つけた確かな喜びだ。


「さて、次はどんな『日本の美味』に出会えるだろうか」


俺は夕暮れ時のオフィスで一人、次なる食の冒険に思いを馳せる。孤独のグルメならぬ、「転生外国人がゆくサラリーマン文化探訪~」は、まだまだ序章に過ぎないのだ。


今週の孤独じゃないグルメの店

* とんかつ 双葉ふたば

* 特徴:昔ながらの製法を守る老舗とんかつ店。

肉厚でジューシーなとんかつが味わえる。地元客にも愛される名店。


今週のサラリーマン山田の豆知識

* とんかつの部位「ロース」と「ヒレ」の違い:

* ロース:豚の背中側の肉で、赤身と脂身のバランスが良いのが特徴。ジューシーで豚肉本来の旨みが強い。

* ヒレ:豚の背骨の内側にある細長い部位で、一頭から取れる量が少ない希少部位。脂肪がほとんどなく、非常に柔らかくきめ細かい肉質が特徴。ヘルシーであっさりとした味わい。

好みによって選べるのも、とんかつの楽しみの一つだ。


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