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エスペランド動乱記 和平を望む最弱無能の軍師は、復讐に燃える姫騎士を甘やかに飼い慣らす。  作者: 柚月 ひなた
第三章 無自覚な罪

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第一話 和平交渉の罠

 皇都ルーチェの朝靄(あさもや)は薄く、塔楼の稜線を乳白に溶かし込んでいた。

 時刻を報せる鐘の連打が、朝から厄介な案件に頭を抱えるスレインの鼓膜を叩く。



(まったく……我が軍師(ナイト)の不在を狙ったかのようなタイミングだな)



 スレインは皇国の重鎮が呼び集められた会議室で、長椅子に背を預けた。


 常ならば寄り付きもしない場所。もし参列したとしても、だらしなく椅子に身を投げ、気鬱に銀匙を指の間で回していただろう。


 けれど今は、為政者たる皇族の風格をもって鎮座している。


 さらに背後半歩には、スティーリア——透き通った縦巻きロールの白金髪(プレチナヘア)を頭の左右にまとめた、儚げな少女が無表情で控えており、周囲から好奇の目を向けられるのは必然だった。


 皇帝が病に伏してからというもの、皇城では不穏な動きが絶えない。権威の空洞を手に入れようと、暗躍する影がある。


 それがいよいよ、表面化してきた。


 不意に双扉が派手に開かれ、長い金糸を靡かせた皇太子ラウルスが闊歩(かっぽ)する。

 装飾過多の肩章が朝光を跳ね返し、油断と自負を同時に撒き散らすかのような足音が響く。


 後方には白を基調としたロングコートタイプの軍服を纏った男の姿。

 鈍色(にびいろ)金青(こんじょう)のメッシュが特徴的な髪型の彼はヒュドール・ヴァハトゥン。


 侯爵位を持つ上級貴族にして、元帥の地位に座する皇国軍のトップ。

 〝水蛇(サーペント)〟の異名で知られる、狡猾で策謀に長けた男だ。


 ラウルスは入室早々、鼻で笑いながらスレインを見下ろす角度を探し、顎をわずかに上げた。



「来ていたのか、兄上」


「ああ。私がいてはダメかな?」


「内政の議題は、放蕩三昧の兄上には少々難しいと思いますが。まあ、理解出来なくもないでしょう」



 ふいと視線を逸らし、ラウルスは上座へと着く。そうしてざわめく参列者へ向けて、声を張り上げる。



「今日は良い報せだ! 王国が和平条約を正式に提示してきた。条件はただ一つ、封祀殿(ほうしでん)の古剣を差し出すこと。剣一本で戦が終わる。分かりやすい話だろう。余計な遅延は許さん。私は承諾の証文をしたためるつもりだ」


「……ふぅん。剣一本で……ね」



 スレインはすっと瞳を細め、背骨を一直線に。



「ずいぶんと安上がりな自己陶酔じゃないか?」



 手を組み合わせて低い声を発した。

 空気が冷え、ひゅっと収縮するのを感じる。



「兄上。いくら教養がないとはいえ、公の場だ。発言には気を付けて欲しい」


「発言に気を付けるのはお前の方だ。ここからの私は皇子として告げる。ラウルス、王国が欲しているのは金属塊としての剣ではない。皇族であるお前が、よもや封祀殿の意味を知らないわけではないだろう?」



 それがなんだとでも言いたげにラウルスの眉間が歪む。



「建国神話の話か? 魔を封すると言う……あれは空想であろう。父上の容態が不安定な今、民は安堵を欲している。私はそれを与える。兄上は空想を真と信じ、民心を軽んじるつもりか?」



 言葉尻に自己陶酔の震え。ヒュドールの指が袖内で一瞬止まる。微細な静止をスレインは捉えた。



「建国神話は戒律だ。私たちが誤った道を取らぬための。〝和平〟の条文に踊らされ、大局を見る目を曇らせているのは果たしてどちらかな」


「屁理屈を! わかりやすい成果が目の前にある。机上の空論など、必要ないだろう!」


「お前は昔からそうだ。目の前の利益に囚われ、本質を見ようとしない。だから安易に付け込まれ、利用される」



 ラウルスはぐっと言葉を詰まらせ、視線をヒュドールへ滑らせる。凡愚は欠損を他者の言で埋めて自己判断と誤認する——何度も観測したやりとりだ。


 ヒュドールが柔らかな笑みを貼り付け、あえて沈黙する。ラウルスを肯定するような空白だ。


 それに自信を取り戻したのか、ラウルスは腕を組んで椅子に背を投げた。



「……臆病な兄上の意向は理解した。だが方向性は変えぬ。剣を渡すことは決定事項だ。これは皇太子たる私の裁可。異論は反逆とみなす!」



 〝反逆〟と吐いて捨てた言葉に、場内がざわついた。

 この決定に逆らえる者はいない。皇帝の名代として権威を揮っているのはラウルスなのだから。


 スレインはやれやれと肩をすくめ、大きなため息を吐き出した。



「その手は悪手だよ。暴君にでもなるつもりか? 恐怖で人を従えれば、いずれ反発が起き綻びが生まれる。家臣と民衆の信を得ずして、国を治めることはできない」


「知った口を……! 兄上に何がわかると言うのだ!」



 唇を引き攣らせたラウルスが、机に両手を打ち付ける。


 感情を抑制する術も知らぬ者が〝皇太子〟とは、これでは幼子に剣を持たせたようなものだと、スレインは何度目かわからないため息をついた。


 これ以上の議論は無駄だろう。スレインは静かに席を立ち、ヒュドールと視線を噛み合わせた。



「ヴァハトゥン卿。水は器を侵食し、形を奪う。だが私は、内側から腐るのを黙って見ているつもりはない」



 婉曲(えんきょく)な牽制を飛ばす。と、ヒュドールは顔色を変えることなく低く一礼した。



「水は器に従うのみです。ただ、継ぎ目が甘ければ静かに沁み、やがて形そのものを別物にいたします。殿下が器を保つ限り、私はただ澄んでおりましょう」


「……そうであることを願うよ。切にね」



 スレインは舌打ちを飲み込むラウルスを横目に、「ティア」と後ろに控える少女の名を呼び、踵を返す。



「ラウルス、愚兄からの最後の忠告だ。甘言に酔いしれる暇があるなら、学び直せ。建国神話、封祀殿関連の文書、帝王学。どれも幼学の基礎すらなっていない」



 振り返ることなく告げた言葉に、ラウルスの憤る姿が目に浮かぶ。きっと自分と同じ菫青石(アイオライト)のように深い青色の瞳が背を睨みつけているのだろう。


 スレインは規則正しく靴音に刻んで退出した。


 扉が閉まり、出た先の廊下は静寂に包まれている。


 スティーリアが小声で問う。



「スレイン、仮面はもう……いいの?」


「ああ、もう道化を演じる余白はない。あの二人の挟圧に身を任せれば、たちどころに皇国は毒に飲まれるよ。ここからは矢面に立つ」



 スレインは掌を見下ろし、ゆっくり握る。節が白く浮いた。



「剣は渡さない。渡してはいけない。あれは象徴以上の意味があるものだ。……それはティア、君が一番よくわかっているだろう?」


「……ん。剣は(くさび)。災厄を、呼び覚ましてはダメ」



 柘榴石(ガーネット)のように紅い少女の瞳が揺れる。スレインは大きく頷いて、肺に空気を満たすため吸い込んだ。


 窓辺から覗く景色は未だ靄が立ち込めている。



(王国の和平提案は餌だ。要求を飲むのは愚策だが……ラウルスは止まらない)



 事態は切迫している。早急に対策を講じなければならない。


 スレインの足取りは、もはや緩い飾りではない。研磨済みの刃を持った策士、あるいは皇族としての(あゆ)み。



「さて、ナイトの残していった策を活用させてもらうとしよう」



 回廊の先で曙光が一閃するのを見届けながら、スレインは次の手を模索する。

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