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エスペランド動乱記 和平を望む最弱無能の軍師は、復讐に燃える姫騎士を甘やかに飼い慣らす。  作者: 柚月 ひなた
第三章 無自覚な罪

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幕間 白銀の視座

 ——逃がした。


 憎たらしいほど澄み渡る空を見上げて、私は唇を噛んだ。


 白き龍——伝説の幻想獣が一体。〝王の証〟が示す真価の一端。


 儀式も封印解除の手順も踏んでいないのに、あの指輪は彼女の指で光紋を再構築し、即座に顕現段階へ移行した。


 本来ならあり得ない挙動だ。何年も手元にありながら、感応すら出来ていなかったのに。


 私の掌にあったはずの証が、条件を満たさないまま起動した理由は何だろう。



(トリガーは何? 感情の爆発が、龍を呼び覚ましたとでも言うの?)



 我ながら馬鹿げた憶測だ。感情論ほどあてにならないものはない。


 解析は後回しにしよう。先に事態の掌握を済ませなければ。



「第三偵察群、散開。夜明鳥(モズワル)は空層五十メートル以上で旋回。死黒鼠(モルトラット)四十、灰狼(ガルム)二十は温存。熱源と臭跡、逐次送信」



 低く静かな声で指示を出す。


 林間に伏せていた魔獣が影の粒へほどけ、薄明へ溶けて散る。

 高空索敵用の夜明鳥(モズワル)は調律の魔導具(マディアナ)——〝風耳(フィンブル)〟を介して群体視界を重ね、予測線を引いてゆく。


 白龍の初回顕現の持続は長くて数分。残存マナから推察して、北東へ抜け山稜を縫って国境線へ至るつもりだろう。


 定石どおりに動いてくれるなら、だが。



「間諜班、第二経路封鎖。国境信号塔へ『予定通り』を送信。皇都の和平条約は条文擦り合わせ段階——こちらは第四案を前倒しで適用、本部記録へ。文言調整は〝講和〟を強調し、『停戦後の協力枠組み』を挿入。表層には融和、深層には浸透」



 和平条約はすでに皇都で形式審査段階を終え、条章の細部擦り合わせの局面だろう。



(土と血の匂いがまだ地表に張り付いている最中に〝和平〟とは笑えるけれどね)



 滑稽だが、利用価値はある。火を鎮めるふりこそ、人心を縛る最良の鎖。


 緩やかな終戦儀礼を演出しつつ、内側では毒を抽出し再配列する。条約は蓋。水面下で策を煮詰める時間を得るための。



(……兄様。どうして、彼女を庇ったの? 彼女こそ、私たちの憎しみの〝起点〟なのに)



 理屈は理解している。名称未定の熱が胸腔の奥を蠢く。


 怒りでも失望でも説明が付かない、置き去りの幼年期が発する微振動——そう扱うことにして沈めた。


 答えは急がない。感情は戦術価値へ変換して初めて意味を得る。


 偵察映像の端で、白龍の背に伏す彼女の肩が沈んだ。マナ減衰の揺らぎが見える。


 追撃は可能な距離。……でも、今は追わない。


 彼女の覚醒は未知の部分が多い。強引に潰せば、我が王の手中で再顕現が難しくなる可能性もある。


 大人しく二度目以降の顕現を観測した方が収穫は大きいだろう。



「だから今は生かして差し上げます。二人とも」



 和平条約調印という計略の前に、余計な問題を抱える必要はない。


 いずれ、時がくれば対峙することになる。その時に、兄様の記憶を正し、私が憎むに相応しい過去の姿を取り戻してもらう。


 そうでなければ、怒りで凍り付いたこの胸の氷塊が溶けることはない。


 風耳(フィンブル)の調律板に指を添え、探知層を更新する。


 薄桃の縁を残した空が硝子質の青へ滑り替わる。夜と朝の境界。


 盤面はこれから、もっと整う。



「観測を継続。標識は〝保留〟」



 小さく命じ、術式を閉じる。指先に白光の残滓が痺れを残した。


 焦燥も高揚も折り畳んで胸元に沈める。


 今回の邂逅は偶然が重なった結果。急ごしらえの歓待ではやはり、限度がある。


 次に動くべき時は——私が選ぶ。

 最高の時と場所、相応の準備を持って迎えてあげよう。



「楽しみにしていてくださいね。兄様」



 仄暗い感情を乗せて、私は薄っすらと笑みを浮かべた。

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