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エスペランド動乱記 和平を望む最弱無能の軍師は、復讐に燃える姫騎士を甘やかに飼い慣らす。  作者: 柚月 ひなた
第三章 無自覚な罪

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第十八話 生還の約束

 仄かな光源に照らされて、ゆらり。地面に映し出された影が陽炎の如く揺れていた。

 エレノアはいましがたナイトから聞かされた話を反芻(はんすう)しながら、重い瞼を閉じる。



(隊長の過去は、想像していたよりもずっと凄絶(せいぜつ)だった)



 戦火で家族を亡くして、冷徹無比な軍師として復讐に身を焦がし、その代償に養父母をも亡くしたナイト。


 果ては恩師の裏切りに遭い、今度は再会した妹アイナから憎しみの感情を向けられている。


 その苦悩と葛藤を思うと、胸が締め付けられた。



(『復讐は、新たな憎しみの連鎖を生む』……か)



 「心の片隅に留めて置いて」と言った、ナイトの言葉が蘇る。あれは彼自身の悔恨から来る訓戒だったのだ。


 今更ながら、その言葉の重みを噛み締める。


 このまま、怒りに任せて突き進めば、自分も大いなる悲劇を呼び込んでしまうかもしれない。


 それこそ、守りたいと願う存在——リヒト()を危険さらす可能性だってある。



(でも、この胸に燻る炎は、簡単に消えそうもない。あの男……マグナスの死を見届けるまでは、きっと)

 


 愚かだと言われても、そう簡単には割り切れない。

 エレノアは静かに息を吐いた。



(……考えても、堂々巡りだな。今は眠ろう)



 壁を背に、冷気にさらされた両肩を抱いて、膝に顔をうずめる。


 ナイトの過去、皇国を内側から蝕む裏切者の存在、そしてこれからのこと。

 まだ自分がどうすべきか答えは出ないが、無関係ではいられない。


 きちんと向き合わなければ、と思いながら、エレノアは微睡みへ意識を沈めていった。




❖❖❖




 寝入ってからどれほどの時間が経った時だろう。

 夢を見る暇もなかったので、それほど長い時間では無かったかもしれない。



「——ノア、エレノア、起きて」



 肩を揺さぶられ、覚醒を促す落ち着いた低い声色が響いた。


 ナイトの声だ。エレノアはまだ眠っていたい衝動に駆られたが、振り切って意識を覚醒させていく。



「ん……隊長、おはよう、ございます」


「おはよう。起こしてごめんね」



 瞼を開くと、形の良い眉を申し訳なさそうに下げた彼が覗き込んでいた。


 暗がりの中でも、肌のキメやまつ毛の長さがわかる至近距離。ドキリと心臓が跳ねる。

 寝起きにこの距離で、端正な尊顔を拝むのは心臓に悪い。



「い、いえ、十分休めましたので。……なにか、ありましたか?」



 動揺を悟られないよう平常心で尋ねると、ナイトは神妙な面持ちで洞窟の入口へ視線を投げた。



「少しまずいことになった。すぐにここから移動するよ」



 声色から焦りが滲んでいる。一体、何があったと言うのか。


 ……その答えは、洞窟を出て間もなく明らかになった。



「これは……!?」



 飛び込んで来た光景にエレノアは驚愕とする。


 まだ夜明け前の時間。ルクシア山脈の麓に広がる森が赤く燃え立ち、空に()()()()と黒煙が上がっていた。


 まごうことなき山火事だ。まだ距離はあるものの、かすかに草木の燃えるにおいが漂い、炎が勢いを増して迫っている。



「自然火災じゃない、追手の仕業だ。まだこちらを捕捉してはいないみたいだけど……エレノア、こっちへ」



 ナイトに促されて、エレノアは走り出す。彼は緩急のある山道へは足を踏み入れず、風の流れに逆らって森の中を行く。


 深緑のカーテンが開けた箇所から薄明の空が覗き、左手の方角からは朝日が昇り始めている。


 炎を避けるため、取られた進路は国境線と真逆の方向だ。エレノアは自分たちの置かれた状況に既視感を覚えた。



「この流れ……まるで、誘われているみたいです」



 遠くから木の爆ぜる音と、獣の遠吠えが聞こえて来る。先を走るナイトが「だろうね」と相槌を打った。



「十中八九、敵が網を張って待ち構えていると思っていい。すんなり見逃してくれるワケはないと思ってたけど、ここまでするなんてね」



 苦々しいナイトの声。エレノアは一瞬、来た道を振り返る。朽ちゆく木々を横目にして、唇を噛んだ。



(隊長を——いや、私たちを追い詰めるためだけに森を焼いたのならば、狂気の沙汰だ……!)



 手段を厭わぬ敵の姿勢に、ぞわりと身の毛がよだつ。


 そして、ふと思う。客観的に見ればこれまでの自分の行動も〝常軌を逸した行動〟だと、周囲の人の目には映っていたのだろう、と。


 前線から遠ざけられた時は、どうしてもその理由に納得いかなかったが……いまならば中佐の叱咤も、理解出来る。


 エレノアが己の未熟さを痛感していると、不意に前方で銀糸を靡かせるナイトの身体が、ぐらりと傾いた。



「隊長!」



 咄嗟に手を伸ばすが、受け止めようにも間に合わず。盛大な音とともにナイトの身体が地面を滑る。


 エレノアは慌てて傍へ駆け寄り、「大丈夫ですか?」と尋ねながら手を差し出した。



「はは……平気。情けないところばかり見せてるなぁ」



 彼はから笑いを浮かべてエレノアの手を取った。


 触れた瞬間、ひやりと氷のような冷たさが走り、ぞっとした。およそ人肌とは思えぬ温度である。


 驚いてナイトの様子を窺うと、顔色が悪い。薄暗い洞窟の中では気付かなかったが、肌は血の気を失って青白さが目立つ。


 それもそのはずだ。治癒魔術は傷を癒やせても、失血や疲労は回復できない。


 その上、まともに食事と休息を得られぬまま逃走劇を演じているのだから、心身ともにギリギリの状態だろう。


 このまま無理を続ければ命の危険すらある。だが、立ち止まることもまた、死を受け入れるのと同義。


 いまの状況が〝自分のせいだ〟という自責の念から、エレノアは顔を(しか)めてしまった。


 すると、ナイトはそこから別の意図——〝不安を感じている〟とでも読み取ったのだろう。



「心配しないで。何があっても君のことは守るから。……この命に替えても」



 包み込むように優しい声で語りながら、ナイトが表情を引き締めた。力強い翡翠の瞳がこちらを射抜き、思わず鼓動が早まる。


 〝守る〟と言ってくれたことが、素直に嬉しかった。


 しかしながら、自己犠牲を是とする発言には苛立ちを覚える。


 気弱になっているのか、彼らしくない。キュッと胸が苦しくなってしまった。


 視界の端でナイトが起き上がろうとしている。だが、転んだ時に膝を痛めたらしく、わずかに顔を歪めた。軍服には血が滲んでいる。


 見兼ねて、エレノアはナイトに肩を貸す。そして、鋭い視線を向けつつ「バカなことを言わないで下さい」と唇を尖らせた。



「守られるだけなんて、まっぴらごめんです。もし、隊長がご自身を犠牲にするようなことがあれば恨みますよ。文句を言いに、地獄の果てまで追って行きますからね」



 怒り、哀しみ。そんな感情がこもっているせいだろう。声のトーンは自然と低くなった。


 ナイトはというと、豆鉄砲をくらったように瞬きを繰り返した後、フッと口元に笑みを浮かべて空を仰いだ。



「地獄の果てまで、か。そうなったら死んでも死にきれないなぁ」


「そう思うなら、変なことは考えないで下さい。隊長には、スレイン殿下との誓約が——やるべきことがあるのでしょう? それに、私もまだ、隊長に聞きたいことがあるんですから……」



 なんだか気恥ずかしくて、語尾がすぼんでしまった。


 すると、ナイトは何故か嬉しそうにへらりと表情を崩し、突拍子もないことを言い出す。



「じゃあさ、無事に帰れたらデートしようか」



 予想の斜め上を行く返答に「へ!?」と間の抜けた声がエレノアの口をつく。

 うっかり、起き上がらせたナイトを突き飛ばすところだった。



「こ、こんな時に冗談はやめてください!」


「こんな時だからこそ、本気だよ。困難を切り抜けた先に楽しみがあると思えば、絶対に生きて帰ろうって気になるでしょ? ……それとも、俺とデートするのはイヤ?」



 捨てられた子犬みたいにしゅんとするナイトを見て、「うっ」と言葉に詰まる。こちらが悪いことをしてしまった気分だ。



「そういうわけじゃ、ないですけど……」


「エレノアが楽しめるよう、しっかりエスコートするから。固く考えず息抜きだと思って」



 エレノアは返答に惑った。ナイトの上辺だけしか知らずにいたなら〝弄ばれている〟と考え一蹴したのだが、少なからず内面を知ったいまは違う。


 ダメ押しとばかりに、「ね?」とナイトがウインクを飛ばしてくる。


 自分の意志とは関係なく頬へ熱が集まり、鼓動が早鐘を打った。


 このままだと、密着している彼に聞こえてしまうという羞恥心と、パチパチと木々の燃える音が近付いてきていることが、エレノアに決断を急がせた。



「——っもう、わかりましたから! その話は帰ってからです!」



 ナイトを支えたまま、頬を刺す熱を振り切るように歩き出す。その横で「言質は取ったからね」と微笑む彼を、少し憎たらしく思った。


 ——それでも、交わされた約束が前へ進むための力となり、めげない勇気をくれるのは確かだ。


 振り返れば、来た道は黒煙が覆い隠し、暗鬱とした雰囲気が垂れ込めている。獣の遠吠えも鳴り止まない。


 だが、エレノアは明け行く空を視界に、茜と燃える森を背に、一歩を踏みしめて行く。


 生きることを諦めず、一緒に帰るのだと——。

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