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エスペランド動乱記 和平を望む最弱無能の軍師は、復讐に燃える姫騎士を甘やかに飼い慣らす。  作者: 柚月 ひなた
第三章 無自覚な罪

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幕間 水鏡に映る想い

 曇天の月がわずかに覗く頃、アリファーンは森影に潜んだ野営地へ戻って来た。点々と並ぶ篝火を頼りに、テントと物資の合間を縫って歩く。


 焚き火の前を通りかかった時。



「おい、アリファーン。てめぇ、いつまでこんなこと続けるつもりだ」



 火の縁で見張りをしていたヴァンがアリファーンを呼び止めた。月明かりに照らされたライフルが膝の上で光る。



「……ヴァン、起きていたの。もちろん、隊長が見つかるまでよ。悪い?」



 ナイトは撤退援護任務の最中、独断行動を取ったエレノアを追ったのを最後に、行方知れずとなってしまった。


 おそらくは王国軍と遭遇したものと思われるが、詳細は掴めていない。


 アリファーンは毎夜、消えた彼らの手掛かりを求めて、捜索を続けていた。



「悪いもなにもねぇ。一度、自分のツラを見てみろってんだ」


「顔……?」



 アリファーンが首を傾げると、焚き火にくべた薪がパチ、と弾けた。



「はぁ、重症だな。ブロンテ、水場に連れてってやれ」



 ブロンテが焚き火の反対側で跳ね起きる。彼は慌てて毛布をたたむ。



「う、うん」


「な、いいわよ、哨戒はどうするのよ!」



 いまは国境へ撤退する友軍を援護する任務の真っただ中。アリファーンは抗議するが、ヴァンは小さく片手を振った。



「オレが代わりにしとく。まずはそのみっともねぇツラどうにかして来い」



 ヴァンはそう言い残すと、火のそばでライフルの整備を再開した。カチリ、カチリと器用に工具を回す音が夜気に溶ける。




 ——結局、押し切られる形でアリファーンはブロンテと並び、渓流へと向かった。草露が裾を濡らし、夜虫の羽音が絶え間なく耳をくすぐる。


 浅瀬に着くとアリファーンは腰を下ろし、割れた月が浮かぶ水面を覗き込んだ。



(……うわ、酷い顔)



 水鏡に映った自分へ苦笑する。皮膚はこびりついた土埃がひび割れのように浮き上がり、隈は煤でさらに濃くなっていた。



「だからヴァンのやつ、気を回したのね」



 アリファーンは両手で水を掬い、ばしゃりと頰へ押し当てた。冷気より、胸の奥のむず痒い焦りのほうが痛い。



「……隊長……無事、よね?」



 水滴を払いつつ夜空を見上げて呟く。


 声は風にさらわれて消えそうなほど小さなものだったが、それでも木立の側で見張っていたブロンテの耳に届いたらしい。



「た、隊長なら、きっと大丈夫……だと思うよ」



 振り返ると、ブロンテが両手を胸の前で握りしめていた。感情を包む大楯のような手は、言葉の裏でわずかに震えている。



「そう信じたいけれどね。通信の魔道具(リンクベル)も記章も沈黙したまま。心配するなってほうがおかしいのよ」


「う、それは、そうなんだけど……。エレノアさんも一緒だろうし、どんな状況でも、隊長ならなんとかしちゃうんじゃないかなって」


「エレノアが一緒なのが、一番心配なのよ!」



 思わず語気が跳ねる。水面が波紋を広げ、月を歪めた。冷えた夜気のなかで吐く息が、妙に熱い。



「あの子は、昔の隊長に似ている。目的のために手段を選ばず、他人に無関心で、力を振るうことに躊躇ないところが……昔の彼に、重なるのよ」



 罪と後悔を背負って折れかけたナイトを、アリファーンは誰より近くで見て来た。



「隊長は絶対にあの子を見捨てない。自分のようにならないようにって守ろうとする。自分が傷つくことを(いと)わず——」



 それが腹立たしいと同時に羨ましくも思う。

 ぎゅっと両手を握りしめると、ブロンテがぽつりと漏らす。



「……アリファーンは、隊長が、す、好きなんだね」


「——っ!」



 頬の温度が跳ね上がる。月光が容赦なく赤みを晒すようで恥ずかしくなり、視線を逸らした。


 一瞬の沈黙。虫のさざめきと、木の葉を揺らす風の音が吹き抜ける。



「そうよ、悪い?」



 アリファーンは濡れた指先で、開き直るように髪をかき上げた。



「う、ううん。いいと、思う。カッコイイもんね、隊長。弱い、戦えないってよく言ってるけどさ、誰よりも強くて、カッコイイとボクは思ってる」



 ブロンテの素朴な言葉に、胸の奥がじわりと熱を帯びる。



「ブロンテは、出自で差別されていたところを隊長に助けられたんだったわね」


「……うん。ボクの母さんが、王国民だから……。あの時の隊長は、ボクにとってヒーローだったよ」



 ブロンテは拳を胸に当て、遠くの焚き火を見つめた。そこに重なる夜空の黒が、僅かに揺らいでいる。



「アリファーンは、隊長が元帥の参謀を務めていた時からの、付き合いなんだよね?」


「ええ」



 川面に再び視線を落としながら、アリファーンは脳裏に遠い記憶を引き寄せる。


 孤児院の庭。ヒュドールの偽善的な演説。そしてその後ろに立っていたのは、長い銀髪を輝かせる無愛想な軍服姿の青年。


 子ども心にあっさり陥落した。



(私は、彼に一目惚れした)



 見た目に惹かれたのは言うまでもない。


 影のある翡翠色の瞳は大人っぽさを感じさせ、冷徹なところは冷静で落ち着きがあると思えて、魅力的だった。


 軍に入ったのは恋心半分、才能を試すのが半分。だが今は──ただ生かされた恩を返したいと思っている。



(間諜の疑いをかけられた私を、彼は救ってくれた)



 思い出は甘さも苦さも含んで胸を締めつけるが、それらはすべて生を実感させる大切なものだ。


 背後で渓流がさらさらと石を転がす音が響く。アリファーンは掌で跳ねる水をすくい、最後にもう一度目元を撫でた。



「……探すのをやめる気はないわ。ヴァンには悪いけれど」


「ボクも手伝うよ。ヴァンもきっと、文句を言いながら付いてくる」


「そう。頼りにしてるわ」



 ブロンテと話したことで、緊張の糸が少しほぐれた気がする。

 アリファーンは唇にうっすら微笑を浮かべた。



「……行きましょう。長居してまたヴァンを怒らせる前にね」


「う、うん!」



 アリファーンとブロンテは、足音を潜めて野営地へ戻っていく。夜空には雲の切れ間から星が覗き、天頂で静かに瞬いた。


 その灯をどこかでナイトも見ている——そう信じ、アリファーンは疲れたまぶたを(しばたた)いた。

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