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繰り返される一神教由来の不寛容の産む争い

作者: 一色強兵

「本能寺から来た男」のなろう公開版についた読者からの感想で、ローマ帝国の衰退とキリスト教の浸透を私が結びつけたことについて、認識が逆なのではないか、という指摘がずいぶん前にあった。


私は感想返しで、それまで貴族が個々に信じる神様にあやかって好きにやっていたインフラ整備が、キリスト教会の意向が途中に介在するようになったせいで大幅に減少し、これがローマの国力を損なったことを指摘し、キリスト教が国教となる以前にローマの弱体化が始まっていて皇帝と元老院の行政力の衰えがあったからキリスト教会に頼るようになりやがてキリスト教以外の宗教の禁止となり、国教化になったと、かなり大雑把だったが一応説明したつもりだった。


まさかこの説明を書いていた時に感じたもどかしさを、こんなに経ってからまた感じることになるとは思わなかった。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の三宗教の間には、それこそ神によって仕組まれたとしか思えないしがらみがあるのである。

歴史を紐解けばわかる通り、この三宗教が布教を新たな地域に広げるたびに、多くの血が流され、そしてこの三宗教が同一地域に並び立つことは決してありえない、という状況が今も続いているのだ。


なので、今回のパレスチナとイスラエルのガザをめぐる動乱も、そういう視点からすればいつか必ずこうなることが十分予想できたことなのである。


八百万の神々の存在を是としている私からすれば、いい加減、てめえらの神がとんでもない殺人狂であることに気づけよ、と双方に言いたいところなのだが。


そもそもキリスト教化される以前のローマの宗教政策は、その宗教が人間を生け贄にしない限り禁教にはしない、という今の日本同様、何でもOKの国だった。

古代イスラエル王国をつくりローマ帝国の一部となったユダヤ人は、カエサルのこの政策のもとでそれなりにユダヤ教を浸透させていたのである。


ところが、このユダヤ教の教義には猛毒が含まれていた。

ユダヤ教で言う聖書とは旧約聖書だけを指す。

重要な点はその最初の章、創世記に記された二つのことである。

一つは万物を創世した神は一柱だけだということ。

もう一つはその神との契約を得たのはユダヤ人だけだということ。

これがユダヤ人は神に選ばれた優れた民族だという論拠とされた。

一神教というのは、要するに他の神とその神を崇める者すべてを邪教の徒として排除することを意味する。仲間になりたかったら、こっちの宗教に改宗しろと迫る宗教なのだ。

しかもこの二つのパッケージでは、ユダヤ以外は神に救われる可能性は皆無ということになるのである。


もともとギリシャ神話やローマ神話で分かるように日本同様八百万の神々の共生世界であったローマ帝国内でユダヤは堂々とこれを主張したのである。


多民族多宗教国家の中でユダヤのとったこの行動に対する反感はすぐに帝国中に広まっただろう。


そんな中で本拠地イスラエルにおいてキリストが登場し、後に反ユダヤ運動と認識されるものを始める。

彼のやり口は巧妙だった。

ユダヤ教と旧約聖書を全否定するのではなく、ローマにとって都合の悪いところだけを書き換えたのである。

創世記の文言では神は対話の相手に対してあなたと呼びかけ、あなたとあなたの子孫という言い方で契約の相手方を特定しただけだ。

ユダヤの神官たちは、これをユダヤ民族と定義したわけだが、この神の言葉の解釈が誤りだとしたのである。


キリストはなぜわざわざユダヤ教の屋台骨の一部だけを取り去り、神の概念と旧約聖書を引き継ぐようにしたのだろう。

それは一神教という概念は他の宗教との競争を勝ち抜く上で、有力な戦力になりうると見越したからであろう。


そう、一神教というのはその宗教だけが正統で他の宗教は全部邪教として退けられる便利な錦の御旗となるので、これは残す。都合が悪いのは神と契約したのがユダヤ人だけという預言の部分だ。

これだけが間違いとしたのである。

キリストにはユダヤ民族特定では、ユダヤ以外からの支持が得られない、ということが、宗教としての限界になると見えていたのだろう。


それでももともとは、キリスト自身は自分はユダヤ教の信徒と考えていたはずで、新しい宗教を創始するつもりは無かったのかもしれない。おそらく本当の意味でキリスト教という新宗教を生み出したのは、ユダヤ教との分離にこだわったユダヤの神官たちと、キリストの行動を新約聖書にまとめた弟子たちだったのだろう。


とにかくキリストの主張はユダヤ教の指導者層を糾弾するものになったのである。

もちろんユダヤ教の幹部には容認できるものではない。

だからキリストは破門され、ユダヤ社会を乱す罪人として古代のイスラエル国王に裁かれ処刑されたのである。


が、破門されたことで、ユダヤ教とは決別ができたキリストの信奉者たちは、別物として新たな宗教キリスト教を創始し、その聖典として新約聖書を誕生させた。

そしてその中でキリストを処刑した実績によって、ユダヤはキリスト教では決して許されない者の代名詞と規定されたのである。

これは布教の上でも非常に有効な宣伝となっただろう。

言わばローマ帝国内で、選民思想を振り回し、敵を作りまくっていたユダヤ教の存在こそが、キリスト教を帝国内で急速に信者を増やすためのいい土壌になったのである。

だからキリスト教は当初から反ユダヤ運動が結実したものとして登場したのである。


この流れは20世紀まで続く。

ナチスのホロコーストは、大衆の感情を見ることに長けたヒトラーに利用された結果なのだ。


ところで歴史とは繰り返すことが好きなものらしい。

キリストの旧約聖書丸パクリで選民思想否定による新教創設という方法はその600年後再び採用されることになる。

キリスト教が何で行き詰まったのかと言えば、キリスト教は基本的に農業依存社会のための宗教だったのである。

ところがアラビア半島やメソポタミア地方の乾燥化沙漠化が進展した結果、これらの地方では、農業に依存した生活が難しくなり、ヒツジの放牧を基盤にした遊牧民族が住民の主役となった。

彼等にとって都合のいいルールを謳う宗教が必要になったのである。

これに応えたのがマホメットだ。

キリストにならい新約聖書に代わるコーランという聖典を新たにまとめ、神からの預言としてそれを広めたのがイスラム教だ。

なのでここでも一神教という他宗教を邪教として決めつけられる最終兵器はしっかり維持したまま、神からの預言を授かったのは、イスラムの教えに従うものだけだ、とやったのである。


一神教というのは基本的に他宗教に対し、本質的に不寛容なのである。


キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、いずれも本来なら同じ創造者たる神を信じているはずなのだが、全く相手の存在を容認できないのである。

彼等のメッセージは三者共通である。


すなわち、神に選ばれた民は我々だけ、他は邪教だ。


この三者が同じ土地に生まれた元々は同じ民族だったにも関わらず、こうなのである。


先祖は神、先祖は仏、なんてやっている日本人からすれば、とても理解できない精神構造だ。


イスラエルもパレスチナも共存共栄という未来図はもっていない。

とにかく分離され、相互に隔絶されなければならないということから離れられない。

そして互いに互いを非難し続け、将来の戦争に備えてこどもを兵士に育てることに専念する。


結局何が悪いのかを、客観的に考察すると、そもそも、万物の創世をなした神は一柱だけ、ということがことの発端なのである。神が複数ではないとどうやって証明できたのか。

ま、人間がたった一人しかいないという時代なら、それでも良かったのである。


が、このことは別に神自体を冒涜しているわけではない。神自身、自分が唯一かどうかなんてどうでもいいことであるはずだ。そう、そうでなければ神とは言えまい。

要するに神が唯一無二の存在でないと困るのは人間側なのである。

では人間側の事情とは何か。

戒律の効力である。

そもそも宗教は法律というものが社会に整備される以前に、法律の役割を担うものとして発達してきたという歴史がある。だから強制力のある社会規範である戒律をどのようにしたいのか、で教義が左右されてきた。その権力志向の行き着いた形の一つが一神教だった、というだけなのである。


今日、先進国の多くでは信教の自由を保障する憲法が施行され、そんな国には、教会も、モスクも、シナゴーグも共存している。一神教の三宗教の信徒が同じ空間を共有しているわけだ。

紛争地と何が違うのか。

要するにそれぞれが戒律の厳格な適用を放棄しただけなのである。

例えば豚肉やアルコール入りの食べ物が売られていても社会的に誰も問題にしなければ、スルーされる。

それだけの話だ。

規範である、と自ら規定する機能に宗教がこだわること自体が問題なのだ。


今日、たびたび世界各地でイスラム教徒が目の敵にされることが多いのは、自らの規範としての立場を主張していることが他の宗教よりも突出して多いからだ。


そんなイスラム教徒が、これまた不寛容の歴史で喘いできた歴史をもつユダヤ教徒と対峙している場所、それがパレスチナなのである。


最初から譲歩を期待する方が無理というものだろう。何しろ互いに共存する気はさらさらないのだから。


多くの国がいろいろと介在しなんとか停戦に持ち込ませようとしているが、およそ抜本的な解決には結びつけられそうには見えない。だいたい彼等のほとんどはこれまた一神教に支配された国で、寛容さを期待することなどできそうにない。


日本政府はまわりの顔色を伺って、間を取る立場をなんとか確保しようとしているようだ。


停戦が仮になったとして、今の構造が維持されたら、イスラエルもパレスチナも、10年後に相手を皆殺しにするべく、こどもたちに神から与えられた使命なるものと憎しみを教え、兵士に育て、また新たな争いを繰り返すだけだ。


日本政府には、そういう一神教世界から離れた視点で、当事者達に、自らの愚を気づかせるような動きを期待したところだ。八百万の神々を崇める国として。

そう、日本のキリスト教徒、イスラム教徒が神社や寺を見てもおかしな行動に出ないのは、まさに彼等が他の宗教に持つ不寛容さを無視することが日本では絶対必要だと理解しているからである。


その認識を世界に広めること以外、この三宗教絡みの争いは消えないだろう。




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― 新着の感想 ―
[一言] 自分たちは食わないもの輸出したりして、日本は白人から奴隷扱いされてますけど、まぁ戦争よりはマシ……の様な気もするけど本当マシかなあ、あまり自信ない。
2023/12/16 19:53 きゃーっと
[良い点] 最近世界的に無宗教、あるいはあまり熱心ではない人々が急増しているそうです。 私は、日本の漫画やアニメを見て育った世代が社会の中心になりつつあることと無関係だとは思えないんですよね。 押し付…
[一言] 集まれエッセイ企画より読ませていただきました。 今もなおガザ地区で戦争が起こっているのは、宗教の問題が大きくあるのですね。 互いに譲れない思いがあるのは分かりますけど、戦争までして・・・…
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