表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茉莉禍 ―マツリカ―  作者: 梶野カメムシ
1/2

記憶 ―十五年前―



 学校の帰り道、まりかは見知らぬ少女に話しかけられた。


 そのヘアピンかわいいね。何の花?

 戸惑いを興奮が上回ったのは、彼女が並外れて美しかったからだ。同じ年頃なのにまるで別の生き物のよう。そんな子に(てら)いなく褒められて、まりかはすっかり舞い上がった。


 ありがとう。ジャスミンだよ。

 ジャスミンは漢字で茉莉(まつり)と書く。ジャスミンを愛した母が、茉莉花(まりか)の名に合わせてくれたプレゼントだ。白い清楚な花が二つ(あしら)われたヘアピンはまりかも大のお気に入りで、自身を褒められたように嬉しくなった。


 ランドセル、おそろ(・・・)だね。

 平凡なまりかと美少女、二人の共通点は白いランドセルだ。これもジャスミン由来で、(まばゆ)いばかりの彼女が急に近しく思われた。出会って間もない二人は何年もそうしてきたように、取り留めない会話に興じながら家路を辿った。


 まりかちゃんのこと、もっと聞きたいな。

 問われるまま、まりかは答え続ける。家は一軒家で自室は二階にあること。母は料理が得意で、よくお菓子を作ること。父は海外勤務で、たまにしか帰らないこと。二つ下の弟が生意気なこと。


 ちょっと(うち)、寄ってかない?

 そう誘ったのは、彼女のことをもっと知りたかったからだ。聞き上手な彼女に話すのは自分ばかり。少女の名前もまだ聞けていない。美しい友人を母に見せたい下心もあった。うなずく彼女に達成感まで覚えた。


 あら、お友達を連れて来たの?

 玄関に入ると、香ばしい焼き菓子の匂い。母は料理中らしく、出迎えは声だけだ。「そうだよ!」と応じたのは彼女の方だった。驚くまりかを置いて先に階段を上がっていく。断りなく家に上がる彼女に、わずかな違和感を覚えた。

 

 自室の扉を開けた時、違和感は戸惑いに転じた。

 少女がベッドに寝転がり、勝手に漫画を読んでいたからだ。知り合って間もない友人に対するマナーではない。まりかは急に不安になった。自慢の友人を得た高揚は萎み、早めに帰って欲しいとさえ思い始めた。

 

 おやつ、持って来たわよ。

 母が現れる前にベッドを降りた彼女に胸を撫でおろす。大皿のマカロンに定番のジャスミンティー。強い芳香はまりかにとって家庭の香りだ。来客用のティーカップを、母はまりかに、そして彼女の前に並べた。


 マカロン美味しいね。どうやって作るの?

 菓子を摘まみながら、彼女が母に話しかける。気安い口調が母の機嫌を損ねないか、まりかの心配は杞憂だった。聞き上手な彼女は母とすぐに打ち解けた。まりかが口を挿む必要もないほどだった。


 そう言えば、お友達のお名前は?

 母の問いは、まりかも知りたかったものだ。視線を集めた彼女の答えに、まりかは唖然とした。

 少女は「茉莉花(まりか)」と名乗ったのだ。


 まりかちゃんの名前は知ってるわよ。

 えー、そう? 

 そうじゃなくて、お友達のよ。


 理解不能なやり取りだった。まりかは自分だ。ジャスミン好きの母が愛娘につけてくれた名前。それを彼女が名乗り、母が受け入れている。ならばここにいる自分はいったい誰なのか? 

 

 さっき知り合ったから、まだ名前知らないの。

 あら、そうなの。じゃあ、お名前教えてくれる?


 二人に見つめられ、答えに窮した。

「まりかはわたし」そう言えばいいだけのはず。けれど曇りなき母の瞳に自信は陰った。(くび)られたように声が出ない。まりかはわたしの(・・・・・・・・)はずなのに(・・・・・)。息が吸えない。心臓が動かない。

 

 わたしの名前はママがつけてくれたの。

 ジャスミンは漢字で茉莉なんだよ。

 そうよ。このヘアピンもジャスミンなの。

 

 母の手が白い花の髪留めを撫ぜる。思わず自分の髪に手をやった。

 ない。いつのまにかヘアピンが消え、少女の髪に飾られている。

 涙が溢れ出た。それだけは許せなかった。

 混濁する視界の中、気がつけば、まりかは跳び掛かっていた。倒れた茶器からジャスミンティーがこぼれ、テーブルに広がる。立ち昇る強い芳香の中、少女を組み伏せた。泣き喚きながらヘアピンを取り戻そうとした。

 金切り声とともに突き飛ばされ、まりかは呆然となった。少女を抱きしめた母が、憎悪を込めた眼差しを向けていた。口から漏れ出る呪詛は、聞いたこともないものだった。

 そして見た――母の腕の中で、少女が確かに(わら)ったのを。

 錯乱する母は別人のようで、まりかは自分が誰なのか、すっかりわからなくなってしまった。


 その後のことは、記憶に定かではない。

 まりかのはずの少女は家を追い出され、当所(あてど)なく歩き始めた。抜け殻と化して町を彷徨(さまよ)う彼女を警察が保護したのは夜明け前。連絡を受けた母親はすぐに迎えに来た。


 まりか、一体どうしたの?

 泣きながら抱きしめる母に総毛立った。母は何も覚えていなかった。自分を追い出したことも、まりかと呼んだあの少女のことも。


 家に帰ると、少女の姿はどこにもなかった。

 全てが一夜の夢のようだったが、ジャスミンの花のヘアピンは最後まで見つからなかった。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ