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死にたい朝に

作者: 月村幸世

誰しもが死にたい夜を通過して朝を迎える。窓の外から聞こえるスズメの声と、遠くを走る車の音にため息を吐いて、気持ちよく死ぬために生きる覚悟を決める。

見慣れた自分の部屋はどうにも陳腐で、自分自身を客観的に見ているようで嫌になると言わんばかりに部屋を飛び出す。階段を降りて、リビングに顔を出すと洗い物をしている母の背中がそこにはある。なぜだろうか。母はドアのそばにいた私に気づいて「おはよう」と微笑んだ。あぁ、嫌だ。

「おはよう」

汚れた笑顔を貼り付けた。

「顔洗ってくるね」

笑顔は冷たい水につければ簡単に消えた。鏡に映る酷い顔はやはり死にたそうにしていた。目の下のクマも、カサついた肌も、ひび割れた唇も。その全部が私を終わりへと導いていた。

リビングに戻ると既に朝食が用意されていて、母は朝のニュース番組を見ながらパンを齧っていた。時刻は7時2分。微妙に顔の整った男性キャスターが声を高くして、昨日のプロ野球のことを語っている。普段野球を見ない母がなぜこのコーナーを毎日欠かさず観ているのかは未だに謎だ。

「いただきます」

皿の上には薄黄色のチーズが耳から垂れているパンが乗せられていた。手に取る前にチーズの乳臭さが鼻に届いた。パンは少し焦げていて、耳の部分はカサついていた。鏡の中の自分を思い出して一瞬食欲を失う。

「ガリッ」

パンが割れた。正確にはパンを齧ったと言った方がいいのかもしれないが、このミディアムの食パンは歯を食い込ませたら自ずから裂けたのだから、割れたという表現がしっくりくる。

テレビに身体を向ける母の横顔を見た。どう思うだろうか。娘がいきなり死にたいだなんて言い出したら、この人は何て言うだろうか。一瞬だけ考えたが、パンをもう一口食べる時にはすでにやめていた。答えなんて決まっていた。心配されて、学校や病院に連れて行かれる。大人は理由が好きだから。分からないということを、さも何にもないかなように扱うから。

パンを完食した後の喉はどうしようもなく渇いていた。おまけにパン屑が喉の内側に着いているようで咳まで出た。

水道のレバーを上げ、半透明のコップに水が注がれていく。水は底の方にぶつかって大きなに波になった。と思えば何事もなかったかのように水位を上げていく。次第に波さえもなくなった。その光景は不快以外の何ものでもなかった。道徳の時間だけ笑顔になる担任の顔が思い浮かんだ。

結局水は飲まなかった。排水溝に水を流して、食洗機の上に置いた。リビングを出て、階段を上がる。階段の軋む音がどうにも心を憂鬱へ落としていく。

カバンに教科書や筆箱やらを詰めて、しわのないシャツに袖を通す。スカートのフォックを締めて、鏡の前に立つ私はやはり死にたそうにしていた。

「このままどこかへ行ってしまいたいの」

彼女が行った。

「どこかってどこへ?」

「さぁ? でもここじゃないどこか」

「とても陳腐な言い回し」

「嫌い?」

「ううん、好き」

彼女は少しだけ微笑んだ。それは綺麗な笑みだった。

今日も私は死にたい。通学路を歩いている時も、友達と話している時も、授業を聞いている時も、彼氏とデートに行っている時も、家族と談笑している時ですらその欲求を忘れることはきっとない。ただ私はその欲求を今はまだ満たせない。満たせないよう自分を鼓舞しなければならない。だからもう少しだけ朝を苦しんで下さい。

結局、私は陳腐なハッピーエンドが一番好きなのかも知らなかった。

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