そんな俺を作ったのは他人であるお前らだろうが
今日はライバル校である北峰学園との練習試合で相手校に向かう。六月末になるともうこの町はサウナのごとく蒸し暑さを誇っている。津摘さんによると、露は病気の影響で肌が日に弱くなっているらしい。最近、皮膚がヒリヒリすると津摘さんに相談してやっとわかったことだ。
そのせいで雪女のように白い肌を真っ黒な上着、白い手袋にマスクとサングラスで隠すようにしている。
「゛あ゛あ゛あ〜、暑い。暑い暑い暑い暑い暑い。っんっんっん……ぷはぁ、水がなんぼあっても足りないぃ。」
「丹生、そんなに暑いと言われるとこっちが暑くなってくるからやめて。後もうちょっとだから。」
暑さに垂れながらゾンビのごとく鈍い足取りで歩み、なんとか集合十二分前に玄関前に到着することができた。
「あ、くゞりふじ東高校の皆さんですね。今日はご足労いただきありがとうございます。では、荷物の置き場所に案内いたしますのでついてきてください。」
漆黒の髪をツインテールに結んだ彼女はこの暑さをもろともしないスマイルで露たちを向かい入れてくれた。心なしか男子の口角が緩んでいる気がする。この子は昨年度にはいなかったので多分今年入学した一年生なのだろう。
「ちょっと、丹生。ぼうっとしないで早く入りなよ。」
会追の喝に背中を押され、露は玄関をくぐり靴を履き替える。
ふと天真爛漫そうな子の靴を自分のものと比べてしまう。あの子も俺と同じメーカーの白に有色のラインが入っているものだ。ただ違うのは俺は緑色のラインで彼女は黄色だということだ。
「何?丹生はあの子に見惚れたの?ああいうのがタイプ?」
「いや、そういう目線で人間を見たことはない。どうせみんな動く肉の塊だろ、そんなものに肉欲が湧くわけないだろう。」
「おいやめろ、グロい筋肉の人体模型を思い出すだろ。」
会追にど突かれながら彼女についていく。待機の場所は年と変わらないためあまり困ることはない。
「女子はこちらです。後十五分ほどからなのでそれまでに集合お願いします。」
彼女が戸を閉め、去ってからリュックから2Lのスポーツドリンクを取り出す。今日は審判がメインなため一年生はいない。
北峰学園もほぼ二年生だけ、ただこちらより一人多くそれが一年生であろう彼女である。
「先行くぞ。」
「ちょっと待ってよ。準備するの早いよ、もうちょっと丹生はゆっくり私のためを思ってさぁ……。」
「俺は毒になりたい。」
目の前の彼女は聞き取れなかったのか露の方に振り向く。
「影は薄いし、どこかグループに入ることはできない。これといって直向きに貫く趣味もないし、共感してほしいわけではない。」
「俺は人を楽しませることも安心させることもできない。透明人間なんだよ、このままじゃ。だから毒になりたい。」
「よくわからないけど、そのままがいいんじゃない?」
そのまま、か。
突っかかりを胸に抱えながら露と会追はコートに向かっていくのだった。
「じゃあ、私が主審を務めますので残りの皆さんでジャッジお願いします。」
ジャッジ、ボールがインかアウトか判断する役割である。フラッグを下げたらイン、上げたらアウトだ。『旗を振ってアンテナを指差すアウト』や『触れてからコート外に出る』というものもあるがここは割愛しておこう。
俺と会追はくゞりふじ側のコートのラインジャッジをすることになった。俺はサイドライン(横の線)の見極めをする。向こう側にはエンドラインをまじまじと眺めているあの子がいる。上には北峰高校のジャージを羽織っており、胸元に『輪内』と刺繍にされている。多分、あの刺繍こそ、彼女の名前なのだろう。
ラリーが続いている間、露はつい輪内の方を見てしまう。ジャッジをしている以上彼女が視界に入るに決まっているがそれでもラインというより輪内の真剣な顔の方に意識が向いてしまっている。
どうしてそこまで真剣でいられるのか。来るかどうかもわからない際々の一球を直向きに待っていられる。所詮ラインジャッジだぞ、たまに悪ノリでカッコいいラインジャッジを目指して一試合本気で集中することはあるが毎回というわけではない。
数試合終わった後時刻は正午を回り、一度昼休憩(昼食)を挟むことになった。男子は待機場所の教室で、女子はステージ上で昼食を摂ることになった。当然、異質で話す話題もないため隅の方に追いやられるのだ。
「あのぅ、皆さんと一緒に食べないのですか?」
かなり気になっていた輪内さんがこちらに近づいてくる。彼女の背では他の三人が輪になって楽しく話している。
「輪内さん、心配ならしなくていい。俺が会話についていけるわけないし、もし入れたとしても飯が不味くなるに決まってる。」
彼女の提案を一蹴し、再び箸を進める。
「ちょっと、最初から拒絶なんて酷いじゃないですか。私は輪内翔です、あなたは?」
「丹生露、十七歳。」
露の冷たい返答に輪内は口角をひくつかせている。
「ごめんね、丹生のやつ結構無愛想なんだよね。その……人に興味ないって感じ?まあ、仲良くしてね。」
会追が一瞬だけこちらを向いてフォローをしようと試みる。
「ええ、はい。……やっぱり、それじゃあ本当に?」
輪内は会追に軽く会釈し、俺にも聞こえないぐらいのボリュームで何か呟く。ボソボソとしていて聞き取れず露は彼女のどうでもいい独り言と判断し再び箸を進めた。
午後は三時までまた試合で詰められている。やることは午前と何ら変わることはない。皆の行動を観察していると課題がいくつか見つけられたが、格下の俺にとやかく言われるのは癪だろうからこれは忘れるまでしまっておこう。
いつの間にか練習試合は終わり、片付けに入った。俺は輪内とドリンクボトルを洗うことになった。会追が無理やりくっつけてきたのは言うまでもない。
ただ流水が落ち、ステンレスに当たる音がやかましく響く。
「私、元々くゞりふじ東に行くつもりだったんです。兄がそこに通ってて、去年に一度だけ勉強のリフレッシュという名目で試合を見に行ったことがあったんです。」
俺は沈黙を続ける。最悪の事態が起きるなんて信じたくないしそうなってほしくないから、口は災いの元とよく言うし。
「そこに誰も見てないけど、私には一際目立ってるように覚えた人がいたんです。兄に後で聞きました、彼の名前は丹生露というそうです。」
自分の名前が出てきた瞬間、露の肩が電流に当てられたかのように震え、手がぴたりと止まる。
「あなたも確か、ニブツユって名前ですよね。何か彼について知ってることは——。」
「——知らないよ、ただの同姓同名じゃないかな。俺が入ったのは今年からだし、辞めたんじゃないかな。裏方だし、一応強豪だからユニフォームもらえなくてモチベーションが保たないことなんてしばしばだって聞いたよ。」
「そ、そうですか。」
いかん、饒舌すぎたか。まあ良い、彼女が俺のことに少なからず憧れを抱いているならばその幻想は取り払われるべきである。
「じゃあ、会追さんに聞いてみます。」
「ちょ、それは。」
「何がダメなんです?」
水流の音が再び空間を支配する。
「やっぱり何か知ってるんじゃないですか?」
多分、俺が言っても信じてはくれないだろう。あっけなくスルーされるのではないか。
「まあ、会追に聞けよ。あれのことは正直に話していいって伝えて貰えば良いから。どうせ、信じないと思うし。」
俺の話より会追の話の方が幾分信頼できるだろう。
「……そうですか。」
輪内は消化不良な顔をしながらもまた手を進める。
嫌だ、こういうバカ正直で真面目なやつがうまく行っているのをみていると犬の糞でも踏んでしまえと思う。
ひと足さきに輪内は洗い物を済ませ、恐らく会追のいる方へ向かった。俺もすぐに終わらせてここから離れる準備を急いで進める。動いていないとはいえ暑い体育館では汗をかいてしまうので素早く着替え、途中から会追も更衣室に合流してくると輪内について問い詰められた。
「ねぇ、丹生。自分のことぐらい自分で説明しなさいよ、私が丹生は男から女になったって伝えたら正気かって顔されたから。」
「多分、俺が言っても信じてもらえないと思う。今までも俺はやってないと主張したとしても誰も信用することはなかったから。たぶん、今回もそうじゃないか。」
「今回がそうとは限らないでしょ。自分で話してあげたら?」
「無理だよ、そう思って何度弁解したか分かるか?変に期待するのはもうやめたんだ。」
互いに背を向けて荷物を詰めている間、会話は途切れ続かない。どうせ、この程度の仲なのだ。趣味は合わず、共有している話題・SNSもない。そもそも俺の通話アプリに入っている人は家族と公式アカウントそしてクラスの集まりだけで二日ほどは動いていない。
「先に行ってる。」
「うん、私忘れ物がないか確認してから行くから。さきに行ってて。」
男子たちの群れの後を追うと、もうすぐ出発できるぐらいであった。特に仲が良いわけではないがとりあえず会追のことは伝えておく。
「丹生さん。」
後ろから今日、散々見聞きした少女に足を止められる。
「何だ?時間がないんだ、用がないなら行くが。」
「えっと、丹生さんはあの丹生さんで良いんですよね。」
何と野暮なことか。
「君がそう思うならそれでいい。会追からも聞いただろう。じゃあ、会追の準備も整ったようだから失礼させてもらおうか。」
玄関に向かうために振り向いた瞬間、彼女の何ともいえぬ顔を見た。鋭い目つきで何か覚悟したようだが諦めたような顔。目尻には涙が溜まっている。ああ、嫌だ。諦めたつもりでも諦めきれていない顔をしている。
なぜ、苦労して手に入れたいものを目指して、それでも手に入れられないとわかってもまだ追い続ける。無理だと思ったら方向転換するのが妥当ではないか?
丹生露は金輪際、輪内翔とは分かり合える気がしない。分かり合おうとも思わない。
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