不変なんてないし劇的な変化もありえない
すぐに放課後はやってきた。今日はそのまま体育館に行くわけにはいかない。急にあの輪の中に俺が入っても妙な目を向けられるだけである。
「ああ、来たか。じゃああいつらのとこに行くぞ。」
顧問の珠木はゆっくりと腰を上げる。今の露にとって180cm以上の巨体は壁のようにしか思えない。徐々に第一体育館に近づいていくにつれてシューズが擦れる音や掛け声が大きくなっていく。
「集合!」
珠木が顔を出した瞬間、キャプテンが号令をかけると露と珠木を囲むように部活のメンバーとマネージャーが集まってくる。
「あー、なんというか……。」
「丹生露、こんな姿になってしまったけれど本物だ。もう選手としての働きはもうできないがこれからは一マネージャーとして関わらせてもらおうと思う。よろしくお願いします。」
何秒か経った後、珠木はすぐに手を叩いて解散させると我に帰った彼らは何度かチラチラとコチラを見てからいそいそとコートの方に戻っていった。
「本当に丹生なんだよな。……その残念だったな。」
「余計なオブラートはいらないですよ。俺も戸惑ってますから。」
少し離れたところにいたコーチの殿町が散った後に近づき話しかけてくる。
「まあ、残念だったな。ユニフォームも……。よかったのか、女子の方にいってもよかったんじゃないか?」
「いえ、いいんです。悔しいところもありますが引き摺らずに済みますから、まあ仕方ないなって。」
殿町は乾いた笑いをする。
「コーチは俺のことよりチームのこととか考えたほうがいいと思います。今週末は練習試合でしょう。」
「お前なぁ、まあいい。なんかあったら言えよ。」
そう言って殿町コーチはボサボサの黒髪をガシガシと掻きながら戻っていった。露自身も何かしなくてはと思っているうちにスパイク練習が始まった。三本目のいわゆるアタックというやつである。
俺はただひたすら球を拾う。打ち出された球を拾って籠のそばにいる同年代のマネージャーに渡す。
「あー、ごめんなさーい。そっちにボール転がっちゃったから撮ってくださーい。」
視界の端から声を上げる彼女は一年生の陸。俺よりちょっと高いぐらいの背をしていて髪を茶色に染めているウェーブのかかった長髪が特徴だ。
ギャルというか女子高生らしい女子高生と言えるだろう。学校という閉鎖空間で謎のカースト制度を採用していて、彼女はその一軍という頭領のような存在でいるらしい。
「ああ。」
彼女はいつもああやって汗を流すような行為を避けている。ああ、嫌だ。
まあ、マネージャーの人数は足りているからその選択は賢いと言えるのだけれど、俺たちはバカをするためにここに来ているのではないか?こんな熟考してる暇があれば動くのが一番だと思うのだけれど。
サーブ、ブロック、と練習が切り替わり時間が経つにつれ、マネージャーが一部を除いて働いていないのは明白になっていった。
「じゃあ、ラストは試合形式で行こう。スタメンとユニフォーム持ってるやつ……空いた一人分は古川が入れ。じゃあ早速始めろ。」
「はい。」
同級生のマネージャーである会追鈴芽と得点板の両サイドに着く。
「本当に丹生なのね。びっくりしちゃった、ズル休みするやつだとは思ってなかったけど顔を見せたと思ったら……はぁ。」
「お前は信じるんだな。結局信用される人間がいないと生きていけないんだなぁ。」
露も会追のため息に呼応してため息をつくと彼女は一つにまとめた髪を揺らしてコチラを睨みつけてくる。
「ホッとした、って顔してる。」
「あ、ああ。肩の荷は降りたよ。崖っぷちというかずっと宙ぶらりんだった気がするからな。縋ってたものは俺縛ってた気がする。」
目の前の地獄を見て頬が引き攣る。嫌でも懐かしいというか、ちょっとでもやりたいと引っ張られてしまうのだ。
「そう、でもあなたがギリギリででも手に入れたあれって三十分の十二なのよ。誰だって欲しいし手に入れることができたら賞賛される代物には違いないでしょ。」
「でも、努力してアレだったんだ。柵間には届かんよ。……ナイスブロック。」
ふと露は空中に止まっている4番のゼッケンをつけた男を見つめてしまう。
いいなぁ。嫌気を通り過ぎて羨ましく思えてくる。
「まあ、彼はイレギュラーだから。なんで女バレの方に行かなかったの?」
「あいつのことが呪いたいほどに嫌だから。あ、そっち得点入ったぞ。」
俺よりも体格が恵まれているから嫌いだ。
周りなんて気にしてないようにしてるところが嫌いだ。
胸を張って生きていて実力もその自信に追いついているから嫌いだ。
その癖、バレーボールができる自分ができない他人をバレーボールから遠ざけてしまっていると自覚しているところが嫌いだ。
「ふっ、やっぱりアンタは丹生露だ。間違いない。」
「あ?」
「全方位に銃火器を構えてるところとかまんま。まあいいや、ここに居たいって思ってくれたなら嬉しいよ。」
笛の音が鳴る。
「まあ、退部届とかの処理が面倒だからな。」
「゛あ、ホントそういうところは良くないよ。アンタらしいといえばらしいけど。……ナイスキー。」
今日はここに来てよかったと思えた、のではないだろうか。
「じゃあさ、今度の日曜日に私とどこか行かない?」
「どこかってどこだよ、俺はそういうのに疎いからな。」
「わかった、私が全部考えておくから安心して。」
一度切るようにして吹かれたホイッスルの音が響く。
「やっぱりスタメン組が勝つよな。」
しかし妙だ、俺が参加していた時よりベンチ組の得点が明らかに低い。1セットにかかる時間も三分の一ぐらい減っているのだ。気のせいだろうか。
「俺モップかけるから会追はそれ片付けておいてくれ。」
軽く手のひらで得点板を叩いてから掃除用具箱に向かい、緑の持ち手に黄色い房糸のモップを持って床に滑らせながら走る。陸は相変わらずあまり疲れないアンテナ(ネットについてる赤と白の縞模様をした棒)を片付けるだけだった。
「集合!」
キャプテンの集合で一斉に皆が集まる。
「うおっ」
癖で二年生選手の列に入りそうになったところで会追に腕を引っ張られ、変な声が出てしまう。
そう言えばと俺は前と違うと思考してしまう。コーチの話を半分聞きながら、天井の照明を見つめる。
これからどうしようか。女性として生きる以上女性特有の知識があるはずだ。まあ、時がくれば姉から教えられるだろうが。何も知らない以上知ろうと思っても知ることはできないだろう。鳴くまで待とうホトトギス、である。
「気をつけ、ありがとうございました。」
その声で一斉に散らばっていく。そそくさと教員用の更衣室に入る。迅速に制服へと着替えて下駄箱で外靴に履いて爪先をトンと軽く叩いて奥まで足を通す。
「あ、いたいた。更衣室にいないからどこに行ったかと思った。」
「流石に女子更衣室には入れない。訴えられたくないからな。嫌だろ、容姿こそ女とはいえ元々男だったやつに見られるのは。」
「いや、別に。」
「はぁ?」
軽い返事に思わず惚けてしまうが仕切り直しに立ち上がってリュックのせいで上がったブレザーを引っ張って整えると先に前の方に出ていた会追が扉を開けてくれる。
「ねえ、これからもずっと女の子でいるの?」
「ああ、墓場までずっとサル目ヒト科のメスでいる。まあ、戻れないから俺が戻りたいからと言ってどうすることもできないけど——」
オレンジゼリーのような夕日が露と鈴芽を包み、刺す。
「——丹生露という人間は変わらないよ。この男の腐った根性は女になっても死んでも生まれ変わっても多分変われないよ。」
人は変われるとほざく人間はしばしば見受けられるが俺はそうは思わない。そういう類の愚か者は自分が変わったと錯覚し自惚れる。
「やっぱり丹生は丹生のまんまだね。」
その言葉は露の心の臓を包んで腹を温めてくれるような、そんなものだった。