#9 アカイハナ
いつもは客人を迎えるために厳かな雰囲気を保っている第一エントランスホールに混乱が生じていた。兵士の口から、その名が出た時点で予想していたが、いざ目の前にすると、自分好みにブレンドされたコーヒーに砂糖とミルクを加えられたような腹立たしい気分になる。
「相変わらず、君の周りには強風が吹き荒れているようですね」
「エルノア国王!」
「これ以上、近付かないで下さい」
混乱の中心にいたサーテリアル国第三王女、ピオニー・スプーヌ・メリベに声を掛けると、しかめっ面を一変し笑顔で駆け寄ってこようとするから慌てて制止をかけた。意外にもピオニーはその言葉に従い、飼い主に『待て』と命じられた犬のようにぴたりと動きを止める。エルノアの次の言葉を待つ姿は可愛らしくもあるが、彼女に隙を見せて落ちていった男を何人も見てきたエルノアが冷たい表情を崩すことはなかった。
「話があるのでしたら、このまま聞きましょう」
「昨夜!昨夜の追悼式にいたフィーユという妖精を紹介してほしいわ」
「っ、何を言い出すのかと思えば…」
「だって、だってとても綺麗だったもの。近くで見てみたいの」
ピオニーは自分の気持ちに素直な女性だ。何か思惑があってフィーユに近付こうとしているわけではないことは分かる。とはいえ、ピオニーが既に数人の妖精を購入し王宮に住まわせているという情報はエルノアの耳にも届いている。気に入った妖精を可愛い可愛いと愛でる一方で、ペットのように従わせ、人形のように着飾らせ、自己満足に浸っているような彼女にフィーユを近づけたくはない。
「申し訳ないのですが、彼女は王宮での新たな生活にまだ慣れていません。今はそっとしておいて頂けませんか?」
「そう…そうね。今日のところは諦めるわ」
「ご理解頂き、ありがとうございます」
「その代わり!そちらに行っても良いかしら?もう少しお話に付き合ってほしいの」
隣に行っても良いかと許可を求められ、エルノアが溜息交じりに頷けば彼女はドレスの裾を持ち上げて、駆け寄ってくる。隣に並ぶとそれだけで満足といったふうに笑うから、調子が狂ってしまう。その名に相応しい鮮やかなピンクの髪と明るい夜空のような濃紺の瞳、笑うたびに浮かぶ愛らしいエクボ。他国の国王などに熱を上げていなければ、良縁に恵まれ、幸せを約束されていたはずだ。そう他人事のように思いながら、彼女とフィーユのことを比較して溜息を吐く。彼女はピオニーのように心からの笑顔を見せることはないし、距離を縮めようとしても常に線引きをされてしまう。隣にいるのに住む世界が違うと言われているようで、余計に気になってしまうのだ。
「そうだわ!エルノア国王に伝えておきたいことがあったの」
「まだ何か?」
「あの妖精のドレス。追悼式でのドレスが平凡過ぎたように感じてしまったの」
「フィーユが追悼式に参加するのは急遽決まったことだったので…」
「それでも、それでもよ。私ならもっともっとあの子に似合うものを用意できたわ」
ピオニーはそう言うけれど、あのドレスは着る人の美しさを際立たせるには十分で、フィーユによく似合っていた。しかしそれは自身が着る服を選ぶことすらままならない一人の男の意見でしかなく。フィーユはどんなドレスであっても着こなせると言いたいところをぐっと堪え、素直にピオニーの助言に耳を傾けることにする。
「同じ白でも光沢がありすぎると安っぽく見えるの。マットにして、その代わりにボリュームを持たせて…」
「もう少し具体的に教えて頂けませんか?」
「具体的に?具体的…そうね。それなら、私が贔屓にしているデザイナーを紹介するわ」
ピオニーが自信満々に口にしたのはマダム・ビターというデザイナーだ。その業界に疎いエルノアでも耳にしたことのある名前であったこともあり、今すぐにでもドレスを依頼すべく画策する。振り返ってみれば、フィーユと初めて会ったときに彼女が着ていたのは随分と煤けたワンピースであった。人目に付かぬよう暮らしていた上に、ドネヘシルがフィーユの服装のことまで気が回るわけもなく。これまでオシャレができなかった分、彼女に似合うドレスを用意したいと思ったのだ。それは妖精の美しさを世に知らしめるためでもあったが、何よりもフィーユに喜んでほしかったからだった。
「女性でなければ気付かなかった部分をご指摘いただき、感謝します」
「まさか、エルノア国王様に感謝されるとは思わなかったわ。あの妖精が余程、大切なようね」
「不快に思われたなら、謝りましょう」
「そうね、いつもなら嫉妬していたところだけど…あの子は別。だから、謝らなくて良いわ」
エルノアはピオニーから執着されている自覚があり、彼女がこれまでエルノアに近付こうとする女性たちをあらゆる手を使って排除してきたことも知っている。だがそれは女性同士の問題であり、エルノア自身が介入する必要はないと目を瞑っていた。
ピオニーのおかげで女性からの誘いや期待が減って救われている部分があったことを否定しない。しかし、今回ばかりは話が別だった。フィーユが傷つけられることも、そのせいで彼女が王宮を去ることも許されない。フィーユに対して敵意を見せるようであれば相応の対処をしなければならないと考えていたエルノアはピオニーのあっけらかんとした態度に胸を撫で下ろすのだった。
「エルノア様、ピオニー王女様。お話し中、申し訳ないのですが…宜しいですか?」
近くで声を掛けるタイミングを測っていたのだろう。二人の会話が途切れたタイミングでリズメリーが歩み寄ってきた。いつもピオニーに迫られているエルノアを救い出すのはリズメリーの役目であり、今回もごく自然にエルノアの隣に立った彼女はピオニーの鋭い視線をものともせず、丁寧に頭を下げる。
「あら、レアーズ伯爵令嬢。先日のお茶会以来ね」
「はい。その節は楽しいお時間を有難うございました」
きっとリズメリーはドレスに関するこれまでの話を全て聞いていたのだろう。自分のドレスを否定され、機嫌が悪くなっているのが見て取れる。とはいえ、そんなリズメリーの心情を察することができるのは長い付き合いのエルノアくらいだろう。余裕の笑みを浮かべる一方で物腰柔らかな低姿勢は他国の王女に対する接し方のお手本のようであった。
「それで?申し訳ないと思っていながら、何の御用かしら?」
「リリー王女様がお探しでしたので、お迎えに上がりました」
「お姉様が…そう。そうね。そろそろ、行かなきゃ怒られてしまうわね」
ピオニーには二人の姉がいるが、中でも二番目の姉であるリリー・スプーヌ・メリベとの仲が良く、二人一緒にいるところを目にする機会は多い。今回の追悼式と葬儀にもサーテリアル国の王族代表として参列していたのだが、その口ぶりから察するに急いで国へ帰らなければならないようだ。
「それでは、エルノア国王。また、お会いできる日を楽しみにしているわ。それと、例の妖精にもね」
ピオニーの周りにはいつも強風が吹き荒れている。周囲を混乱に巻き込んだかと思えば、去り際は潔く。彼女が去った後に残るのは様々な感情が散らかった空間だけだった。ピオニーを見送ったエルノアはどっと疲れが押し寄せてくるのを感じながら、隣に立つリズメリーの様子を窺う。案の定、他国の王女に気付かれぬよう隠していた不満が溢れ出しているから、頭が痛くなってくる。
「ピオニー王女は随分と妖精を気に入った様子でしたが…それで気を許したわけではありませんわよね?」
「気を許すも何も、フィーユに好印象を持ってくれたなら喜ぶべきだと思いますが」
「だから、私のドレスを貶されても辛抱しろと仰いますの?」
「彼女は君のドレスだとは知らなかったのですし、悪気はなかったのでしょう。着るものに好き嫌いがあるのは仕方がないことで、気にすべきではありません」
自信満々に酷評を繰り返すピオニーに対し、エルノアが「あのドレスはフィーユに良く似合っていた」と一言言っていれば、リズメリーもここまで怒りはしなかったのだろう。今更何を言ったところで腹の虫が治まらないらしいリズメリーは、元々フィーユの為に作らせたドレスでないことを考慮すべきであり、あの場で用意できたドレスとしてはベストであったはずだと呪文を唱えるようにブツブツと呟き続ける。
「そもそも、妖精は小柄で、背中に目立つ羽を付けているのですから、あのようなドレスを着こなすことは難しいのだと思いますわ」
「そこまでです。気持ちは分かりますが、次期王妃としての心構えを忘れないで下さい」
「…エルノア様の前でだけだとしても、ダメだと仰るのですね」
リズメリーは幼い頃から次期王妃候補として様々な教育を受けてきた。その中には人々の意見に耳を傾けること、それについて自分の意見は持たぬようにという教えがある。良い悪いの判断をするのではなく、全ての声を受け入れなければならないのだ。ピオニーの前では穏やかに微笑んでいたリズメリーであるが、エルノアと二人きりになると自我が強く出てしまう。これまでは甘く見ていたそれをエルノアは初めて咎めた。
「王妃となれば、更に厳しい目が向けられることになるでしょう。僕や親しい者の前であっても油断せず、気を引き締めて下さい」
冷たい言い方であったかもしれないが、これもリズメリーを次期王妃として認めているからこそであった。次期王妃はリズメリー以外に有り得ないのだと、まるで自分に言い聞かせるように心の中で繰り返したエルノアは「それでは先程、約束した通り、君が作る最後の料理を頂きに行きましょう」と告げたのち、涙をぐっと堪えるリズメリーに背を向けて歩き出すのだった。
続く