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#34 情景


甘い香水と上質な酒の香り、そして妖艶な光に満たされたホールにしっとりとした音楽が流れ始めるとエルノアの周りにいた人々は示し合わせたように散っていった。男女が光を放ちながら踊る光景はパートナーを探して飛び回る蛍を思わせた。一見すると綺麗に思うそれだが中心から溢れる欲がありありと伝わってくるから、窓際で見ていたフィーユには遠い世界の出来事のように感じられた。


「エルノア国王はどうしてゴーストを選ばれたんですか?可愛いキャラクターなので、男性でも女性でも付けるのを躊躇うものだと思ったんですけど…」

「それは、君が星を選ぶと思ったからですよ」


新しく入れてもらった葡萄酒で喉を潤したフィーユが酔いを感じさせる瞳を向けて問うたなら、エルノアはフィーユのブローチに視線を落として答えた。フィーユのブローチについてコペリから聞いたのかとも思ったがそうではなく、フィーユはダンスに誘われる可能性のあるものは絶対に選ばないだろうし、星とゴーストであればペアになる確率の少ない星を選ぶことは容易に想像できたのだそうだ。


「まぁ、近年は誰からも誘われない星を選び放題だという理由で、ゴーストを身に付ける人が増えているそうなので、来年は気を付けて下さいね」


エルノアは簡単に未来の話をするけれど、互いにいつまでも傍にいられるわけがないことをどこまで理解しているのか疑問である。エルノアのパートナーであるリズメリーが付けていたのはピンクの宝石をあしらった猫のブローチだった。長い付き合いである二人だから、ペアになることは容易であったはずなのに、それを選ばなかったエルノアに対し、どう応えるべきなのかも分らぬまま、フィーユは祭りが早く終わることを願って葡萄酒を一気に飲み干した。


「エルノア様。私、具合が悪くなってしまったので控え室まで送って下さいませんか?」


フィーユのグラスが空になったのを受けてエルノアが追加の酒を促そうとしたところ、声を掛けてきたのは挨拶周りをしたりダンスに誘われたりと忙しそうにしていたリズメリーである。確かに彼女の顔色は悪く見えるけれど、エルノアの隣に立つフィーユを睨む元気はあるらしい。エルノアはフィーユも共に控え室へ行こうと誘ってくれるけれど、これ以上、リズメリーの怒りをかうわけにはいかず。「私はもう少し此処にいます」と答えるより他なかった。


「そうですか…では、すぐに戻りますので待っていてください」


エルノアのその一言でさえもリズメリーは表情を険しくさせたが、エスコートすべく手を差し伸べられると素直に手を重ね、二人並んで去っていくから一先ず安堵すべきだろう。エルノアの姿が見えなくなると広いホールにぽつんと取り残されて不安が押し寄せてくるけれど、彼がすぐに戻って来ることを期待してはいない。リズメリーはエルノアを手放さないだろうし、エルノアもそんな彼女を放ってはおけないはずだからだ。


窓際に一人佇んでいても誰も話し掛けてくることはない。窓ガラスに映る光を纏った妖精の姿はこれほどまでに美しいというのに勿体ないと思ってしまう。そんなことを考えていると無意識のうちに溜息が漏れてしまったらしい。「溜息を吐くと5歳老けるって言葉をご存じ?」と指摘されて我に返る。


「貴女は…?」

「ヴィング・リング・エドアール。老いぼれ会の一人だ」


以前、長老会と対峙した際にエルノアが駆けつけてくれたのはヴィングが裏で手引きしてくれたからだと聞いた。いつかお礼を言いたいと思っていたけれど、あまりに突然の登場とその貫禄に言葉を失う。彼女は既に100歳を超えているはずだというのに杖一つ持たず、しっかりとした足取りで近付いてくると短くカールしたブロンドヘアを軽く整えたのちに腕組みをした。


「他の老いぼれ連中は後10分ほどで到着する。奴らに嫌事を言われる前に早く立ち去ったほうが良いだろう」

「以前も、そして今日も…どうして私のことを気遣って下さるんですか?」

「アタシは連中が大嫌い。特にニコラスのことは夫だと思ってもいないし、思われたくもない」


名前を口にすることすら嫌悪する姿にその理由を問いたくなるも、私利私欲にまみれ、全て自分が正しいと他者を威圧するニコラスのことを考えたなら、これまでヴィングがどのような扱いを受けてきたのか想像に難くない。


「それとこれは自己満足でしかないが…妖精への償いというものか」

「償いですか?」

「ニコラスに強要されたことではあったが、アタシは若い頃にコーラルを常用していた。お陰で若さと美しさを保つことができ、この年になっても生きていられる。だが、コーラルが多くの妖精の犠牲によって作られていると、もっと早く気づくべきだった」


コーラルというサプリを作るためには妖精の血液中に含まれるコラルという成分が必要になる。しかし、血液中に含まれるコラルは微量でサプリを作るには多くの血液を抜き取る必要があった。時にそれは致死量を超えることもあり、需要と供給が増えるにつれて多くの妖精が命を落としたそうだ。今は殆どの国がコーラルに規制を掛けているというが、若さと健康に金を払う人間がいる限り、コーラルが市場から消えることはないだろう。


「コーラルを服用すると妖精への攻撃性が増すと聞きましたが…」

「アタシもそうであれば、楽だっただろうな」


ヴィングはひどく疲れた顔で呟くと、顔に掛かった髪を耳に掛けた。辺りが暗いため、よくは見えないけれど、目元と口元のシワは隠しきれずにいる。印象に残るアーモンドアイと筋の通った小さな鼻、赤い紅が映える唇が彼女の美しさを物語ってはいるけれど、コーラルを飲んでいたとしても決して不老不死は叶わないのだ。


「そろそろ、行ったほうが良い。年老いて美しさを失ったアタシの言うことなんて、連中は聞きやしない。貴女を庇ってはやれないからな」

「はい、ありがとうございます」


ヴィングと話をしている間にエルノアが戻って来ることをほんの少し期待していたけれど、それは叶わなかった。入退場に使う正面の扉を見つめて肩を落とすフィーユだが、すぐさま気持ちを切り替えて、長老会と出くわすことのないよう庭園へと続く扉から出て行くことを決める。


「あの…私はヴィング様のことを綺麗だと思います」

「フフッ。ありがとう」


ドレスの裾を持って小走りで立ち去ろうとしたフィーユは、ふとヴィングが寂しげに呟いた最後の言葉が気掛かりで振り返った。目が合って、早く行けと言わんばかりの顔をされる中で伝えた言葉はフィーユの本心だった。そしてそれはヴィングにも伝わったようで、彼女は小さく笑って手を振ってくれるから、フィーユは丁寧にお辞儀をしたのちにホールを後にするのだった。



多くの人が集まっていた会場から庭園に出ると、あまりの静けさにキンッと耳が冷えるのを感じた。澄んだ空に浮かぶ満月のおかげで照明がなくとも迷わずレンガ道を進んで行けるが、ホールで人々が纏う衣装の輝きに比べると暗すぎて寂しさが込み上げてくる。夜長祭を楽しむことはできなかったけれど、妖精として王宮での祭りに参加したという実績を作ったのだから十分だろう。


このまま自室に戻っても良いが、今夜は明かりを灯してはいけないとされているため、真っ暗な部屋ではすることもなく退屈してしまいそうだ。寝るにはまだ早い時間であるため、どうしたものかと悩みながら歩いていたところ、ふと王宮で唯一、光が溢れている場所を思い出す。


「行ってみようかな」


呟いた声は自分でも驚くほどに弾んでいた。口元に笑みを浮かべたフィーユは足取り軽く、庭園を抜けて王宮の裏手へ。更に誰も踏み入れたことがないような荒れた脇道に入って暫くすると周囲の空をも照らす大きな光が見えてくる。光の見える方角から水が揺れる音が聞こえ始めると身体に纏わりつく空気が一気に冷えたように感じられるも前へ進む足は止まらなかった。


「着いた…凄く綺麗」


舗装されていない道をヒールで歩いてきたせいか、目的の場所に着く頃には足元が覚束なくなっていた。しかし、生い茂っていた木々が拓けて目の前の美しい光景が広がると疲れは吹き飛んでしまう。向こう岸が見えないくらい大きな池と、水の底から浮かび上がる青やピンクや黄色でできた光のグラデーション。執務室で見た景色とはまた違った美しさに一瞬にして引き込まれた。


イルミネーションというよりは暖炉の炎を見ているような温かな気分にさせる光。現実の世界には存在し得ない景色を目に焼き付けながら池の周りを歩いていたところ、薄闇の中にベンチブランコを見つけた。


「乗って大丈夫かな…」


気分が高揚していたこともあり、子供に戻ったかのような燥ぎ様でブランコに駆け寄ったところ、木製のそれは雨風に打たれたせいか劣化が激しいことに気付く。ブランコに乗る気満々でいたけれど、慎重に腰掛けるに留めることにする。最初こそ木がギシッと軋む音を立てたけれど、思いの外、頑丈に作られているらしい。フィーユは体重をベンチに預けると改めて目の前の池を見つめるのだった。







続く


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