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#3 天樹


国王のエスコートで豪奢な馬車に乗り込んだフィーユは隣に座るエルノアとその向こうを流れていく窓の外の景色に改めて今までいた世界との違いを痛感する。慣れない馬車の揺れに気分が悪くなる中で、どうしてこんなことになってしまったのだろうと知らぬうちに溜息が零れた。


「あまり話さないのですね」

「そうですね。どちらかといえば話下手で、自分からはあまり…退屈でしたら、すみません」

「いえ。緊張しているのか、僕に気を遣って黙っているのかと気になっただけです。僕の周りにはよく喋る女性が多いせいか、余計にそう感じたのかもしれません」


その言葉にコペリやリズメリーを思い浮かべたフィーユは大きく頷いて納得する。そして「これくらいが丁度良いです」と続けられたエルノアの言葉に応えるように静かに微笑んだ。


「それにしても、話下手とは意外ですね。父との思い出を、まるで物語を読むように語っていたようでしたが」


探るような眼差しを向けられ、ギクリと肩が震えるも「物語のように素敵な思い出だったので」と返せば、彼は益々興味深いといったふうに目を瞬かせた。それからは特に会話はなかったが、二人にとってそれで良かった。外を流れる景色も街の中心地であることが分かるほどに賑わいを見せ始め、蛍光灯やLEDの光が眩しい現実世界とは違った蝋燭やガス灯に揺れる温かな街並みにフィーユは暫く見惚れていた。


「目の前に見えてきたのが広場です。馬車は途中までしか入れないので少し歩きますが、僕の後ろを付いてきて頂ければ大丈夫です」

「はい」


舗装された道から一変、広場に入ると小石や泥を巻き込んで馬車の揺れが激しくなった。前国王の死を弔う灯篭が道沿いに置かれ、月明かりが木々の間から差し込む景色は幻想的であったが、フィーユはそれを楽しむ余裕もなく、胃から込み上がってくる気持ち悪さを必死に抑えていた。広場の中央で馬車が停車しても気分は優れず、顔を真っ青にして口元を抑えていたフィーユの異変にエルノアも気付いたらしい。心配して声をかけてくれるが、口を開けば溢れてきそうでコクリと頷いて答えるばかり。


「あまり大丈夫ではなさそうですが…酔ったのなら馬車から降りて風に当たったほうが良いでしょう」


エルノアが窓のほうへ視線を投げるからそれに倣って外へと目をやれば、先が見えないほど多くの国民が集まっていることに気付く。フィーユは馬車を降りることを躊躇うも、風に当たったほうが良いというエルノアの言葉に同意せざるを得ず。覚悟を決めて馬車から降りるべくドレスの裾を摘まんだ。

それを合図に馭者が馬車の戸を開け放った。冷たい夜風が馬車の中を満たし、僅かに胸が軽くなる。しかし、次の瞬間に大勢の人の声が雪崩れ込むような勢いで聞こえてきたものだから委縮して動き出せなくなってしまう。


「さぁ、手を」


差し出された手は男性にしては華奢であったが、不安を取り除くには十分だった。反射的に自らの手を重ねたなら、動かなかったはずの身体が軽くなる。エルノアに手を引かれ、地上に降り立つと体調も良くなっていくようで自分でも気づかぬうちに笑顔を浮かべていた。


踊っているかのように揺れる真っ白のドレス、月の光に輝く妖精の羽、国王の優雅なエスコートを受ける美しい少女に周囲の視線が集まる。耳を傾けずとも聞こえてくる人々の声は想像していたものとは違って妖精を称賛するものが多かった。中にはどうして妖精がと怪訝な顔をしている者もいたがフィーユが視線を向けて微笑むと険しかった表情が和らいでしまう。氷を溶かす春風のような微笑みこそ妖精の力。自信をつけたフィーユは一層の輝きを纏って国王と同じ道を歩くのだった。



「これが天樹…大きな木ですね」

「天樹は成長が速く、王族は子が生まれると天樹を植えるという仕来りがあります。この木も父が生まれた際に植えられたものです」


広場の中央に用意された天樹は雪でできているのではないかと思ってしまうほど白く輝いている。大きく伸びた枝には沢山の銀色のリボンが結ばれており、物珍しげに見ていると、そのリボンはこの場に集まった人々が結んだものだと教えられた。


のちにエルノアからリボンを受け取ったフィーユは細やかな花の刺繍が施されたそれを軽くなぞると、どこに結ぶべきか考え込む。エルノアが爪先立ちをして高い位置に結び付けたのに対し、既に結ばれたリボンは下方に集中し、一番付けやすいはずの中央は疎らである。下から平民、貴族、王族の順か、それとも故人と近しい人ほど上に結ぶものなのか。どちらにせよ自分は下のほうに結ぶべきだと結論付けてリボンを両手に持った。


「そこではなく、もっと上に」

「こ、この辺りですか?」

「もっと」

「ここ?」

「もっとです」


短い言葉のやり取りを繰り返しながら手を伸ばしているうちに、エルノアが結んだリボンに近づいてしまった。流石にこれ以上はダメだろうと恐る恐るエルノアのほうを向けば目が合って、彼は悪戯っ子のように笑んで「もっと」と続けた。


「エルノア国王より上はマズい気がします…」

「君は前国王と近い間柄だったのだから、一番上に結ぶべきです」

「やっぱり、親しい方が上なんですね!」


それならば余計に上に結ぶわけにはいかないと思った瞬間だった。不意に背後から抱え上げられ、足が宙に浮く。ふっと息を吹いて綿毛が舞い上がるように軽く優しく優雅な光景であった。その様子を見ていた周囲から驚きの声が上がる中、フィーユは触れられた部分のくすぐったさと子供扱いをされているような気恥しさから逃げようと身じろいだ。


「お、下ろしてください」

「結び終わったら、下ろします」

「っ、どうなっても知りませんよ」


悩んだのは一瞬で、この状況からすぐに脱したかったフィーユはどうにでもなれと言わんばかりの勢いでリボンを結び付けた。言われた通り一番上に付けるというのは癪であったため、国王の隣に外れないようキツく結ぶ。リボンが風に揺れたのを合図にフィーユの身体は地上に下ろされた。すぐに振り返ってエルノアを睨むも、彼は澄ました顔で歩き出してしまう。エルノアは一連の様子を見て戸惑う国民のことなど気にも留めていないのだろう。



「座って待っていて下さい」


エルノアが視線を向けて示したのは明らかに身分の高い人々が座っている中の一席だった。身なりや振る舞いは勿論だが、彼らが纏う空気に圧倒されてしまう。そんな場所に自分が入り込んで良いはずがないとエルノアに目で訴えたところで「堂々としていて下さい」そう言って去っていくから、国王の命令だから仕方ないと言い訳して指示された席に腰掛けることにした。


他方から突き刺さる視線に貼り付けにされているみたいに固まって動けずにいると唐突に国王のスピーチが始まる。お陰で人々の注意が彼へ向くから、フィーユは漸く息を吸うことができた。誰もが知る前国王が成しえた功績から始まり、誰も知らなかった私的な部分まで。堂々と話されるそれらに感心する一方でフィーユが語ったことを中心としたスピーチに誇らしくもなった。


「前国王であり父であるドネヘシルの死を哀悼するとともに、彼に長年仕え、余生を共にしてくれた妖精フィーユに感謝の意を表します」


国王から初めて名を呼ばれた。その声は穏やかな波音のようで、あまりの優しさに惚けにとられるも、笛で合図したように周囲の視線が揃ってこちらに向いたことに気付くと、歴史を揺るがす発言に巻き込まれたことへの怒りが込み上げる。そんなフィーユの心情も知らず、国王は粛々とスピーチを終えた。国王が壇上から降りるとどこからともなくラッパの音色が響き渡り、人々は天樹へ祈りを捧げる。フィーユは戸惑いながらも周囲に倣って立ち上がると胸に手を当てた。


「雪みたい…」


人々の想いを届けるため、天樹に火が放たれると優雅に靡いていた白い葉もリボンも呆気なく炎に飲み込まれ、美しく空へと舞う白い灰に周囲からは感嘆の声が上がった。胸を搔き乱すラッパの音。体を熱くする真っ赤な炎。光を帯びた白い灰。現実の世界で最後に見た景色と重なって見えた。そして、このまま踏切の音が煩く響く歩道橋の上に戻ることができたなら、そう願わずにはいられなかった。



「式典はこれで終わりですが、如何でしたか?」

「とても綺麗で儚くて、夢を見ているようでした」


いつの間にか隣に戻ってきていたエルノアからの問いに暫し悩むも、素直な感想を述べた。最期は華やかに迎えることを当然としているこの世界では妥当な答えだったのだろう。エルノアは全て上手くいったと言わんばかりに満足げな顔をするから、思わず「妖精に対してあんな扱いをして、どうなっても知りませんよ」そう伝えるも、彼は全く気にする素振りを見せない。


「妖精は人間の倍以上長く生きるそうですね。僕が死んだ時も君が一番高いところにリボンを結んで頂けると嬉しいのですが」

「私がずっと此処にいるかなんて、分からないじゃないですか」

「僕はいてほしいと思いますよ」

「…そんなことを言ってはリズメリー様に怒られます」


からかうように、けれど本気でそう伝えたならエルノアはなぜか困り顔で肩を竦めた。照れているのかとも思ったが、彼女の話をするのは煩わしいとさえ感じさせるその表情は婚約者を溺愛している小説の中の国王のイメージを揺るがすものだった。二人の関係がどうであろうとフィーユには関係のないことではあるが、読んでいた小説の裏側が見えるようで興味が湧いた。


「リズメリー様と何かあったんですか?」

「何も…彼女とは昔から、何も変わらないままです」


突き放すような冷たい物言いに、それ以上何も聞けなくなったフィーユは今にも溢れそうな感情のコップにこれ以上、水を注ぐことは止めようと口を閉じた。代わりに辺りを見回して彼女の姿を探したなら、存外近くにその姿を見つけた。リズメリーの傍らにいるのは小説でも度々名前が挙がっていたレアーズ伯爵夫妻だろう。周囲に名立たる貴族が集まる中、親子揃って存在感がある。感心しながら見つめるフィーユの視線に気付いたのか、不意にリズメリーの瞳がこちらに向いた気がした。しかし、視線が絡む間もなく顔を逸らされてしまい、何だか嫌な印象を受ける。


「そろそろ、王宮に戻りましょう」

「燃え尽きるまで見なくて良いんですか?」

「もう十分です」


素っ気ない返事であったが、きっと国王としてやらなければならないことが山積みなのだろうと気にしないようにした。一方で目の前で美しく燃える天樹をもう少し見ていたい気もして、フィーユは残念に思いながら既に歩き出している彼を追いかけるのだった。


長い足ですたすたと歩くエルノアに対し、慣れないヒールで付いていくのがやっとのフィーユは馬車はまだ見えないのかと薄暗い道の先を何度も伺っていた。しかし、細い林道を進んでいるうちに街まで出てしまい、尚も歩みを止めないエルノアに堪らず「あの、どこまで行くんですか?」と声を掛ける。


「王宮までです」

「え、どうして…っ、もしかして私が馬車に酔ってしまうからですか?」


誰もいない道に響いてしまうほど大きな声で問うたそれに、エルノアは何をそんなに驚いているのかと言いたげな顔で「折角、顔色が良くなったのに、また馬車に乗って具合が悪くなったら大変ですから」と答えた。焦ったフィーユが自分一人で歩くと言ったところで危険だからと却下され、酔っても良いから馬車で帰ると言っても無理をするなと心配される。結局、フィーユの言葉ではどうにもならず。後ろから一定の距離を保って付いてくる兵士たちには申し訳ないが、夜の道を二人で歩くことにした。





続く

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