#29 国王
詩集を巡る騒動にも一段落つき、エルノアに手を引かれるようにして執務室に来たフィーユは目の前に用意されたお茶やお菓子には目もくれず、詩集を諦めきれないエルノアがエレンタンに国中を探すよう指示を出す姿を見つめていた。小説の中ではリズメリーに夢中でフィーユと関わりを持とうとすらしなかったエルノアがここまでしてくれるなんて思ってもいなかった。
エルノアが知らなかったドネへシルの想いを伝えたことで心を開いてくれたのか、ドネヘシルが亡くなって一番辛い時にエルノアの傍にいたことで気を許してくれたのか。理由は分からないけれど、自分が現実の世界に帰った後のことを思うと心苦しい。
「失礼します」
これ以上、予期せぬことが起こらないで欲しいと思っていた矢先、廊下から騒がしい物音が聞こえてきた。それからすぐに少々乱暴に部屋のドアが開け放たれ、今にも襲いかかってきそうなほどの剣幕でティフィアが迫ってくるものだから、頭を抱えたくなる。
「相変わらず、騒がしいですね。ティフィア嬢」
「エルノア国王!私が出入り禁止になったとはどういう意味です?」
「そのままの意味です。君は王宮の物品を盗み、あろうことか燃やしてしまったのですから」
「あの本が、何だと…妖精が喋られるから、何だというのです。昔から親交を深めていた私やお父様、リズメリー様を蔑ろにするほどの価値があるお仰るのですか?」
「論点をすり替えないで頂きたいですね。少なくとも本を燃やしたことについては謝罪すべきではないのですか?」
感情的に声を荒げるティフィアに対しエルノアは冷静だった。最終的には謝罪するしかない状況に追い込まれたティフィアは悔しそうに拳を握るも、素直に頭を下げる。しかし、次に顔を上げた時には反省の色を黒く塗り潰し、王宮への出入り禁止を取り消してほしいと改めて告げるのだった。
「貴族は民に恥じない行動をすべきであると、ベルベッタ侯爵に習わなかったようですね」
「…何が仰りたいのです?」
「まぁ、父親である彼があれだから仕方ないのでしょう。コーラルの常用、妖精の売買と暴力…再三にわたって注意したというのに、裏でこそこそと…タヌキのような男だと思いませんか?」
「なっ、長年、国王に尽くしてきたベルベッタ家を侮辱するおつもりですか?」
「僕が好き好んで侮辱しているとでも?それと、ティフィア嬢。今回の処分は最後の忠告だと、ベルベッタ侯爵にお伝え下さい」
それはリズメリーの専属侍女を切り捨てるときと同じく冷たい眼差しだった。エルノアに返す言葉を失ったティフィアの怒りの矛先は自分に向くだろうと思っていたフィーユの予感は当たり、痛みすら感じさせるほどの鋭い眼差しで睨んでくる。こうして敵が増えることは本意ではなかったが、エルノアの妖精として、彼が思い描く未来を実現させるためにも、ここで気弱な姿を見せるわけにもいかなかった。
「本当に、嘆かわしいこと…」
ティフィアは悔しさを滲ませて呟くと、鳥の羽音のようにバサリとドレスの裾を翻し、去って行ってしまった。彼女がいなくなった部屋は異様なまでに静まり返り、激しく脈打つ心臓の音が漏れ聞こえてしまうのではないかと思えるほどだ。
ベルベッタ侯爵がどれほどの力を持っているのかは分からないが、こんなことになって本当に大丈夫なのかと不安に思うフィーユをよそに、エルノアはエレンタンを呼び出すと幾つか指示を与えた。一つはベルベッタ侯爵とその派閥に属する人間の監視を強化すること。そして、もう一つは2週間後にベルベッタ侯爵が管理する領土に監査を入れるというものだった。
後に聞いた話によると、監査とは主に貴族が管理している事柄について不正や不備がないか、貴族でも王族でもない第三者機関が調査するというものである。通常、領主の世代交代を期に行われるそれだが、管理不十分の可能性があると王族が判断した場合に実施されることがあるという。
「そこまでする必要があったんですか?」
「監査で提出しなければならない書類は膨大です。人間誰しもミスはあります。管理をきちんと行っていたとしても準備に時間がかかります。ベルベッタ侯爵のように疚しい何かがあれば尚更…」
「ティフィア様の件や妖精の件に構う暇を与えないためですか?」
「その通りです。まぁ、個人的に腹が立っているから、その腹いせにというのもありますが」
悪戯っ子のような笑みを浮かべてそんなことを言うエルノアに釣られて笑ってしまう。正直、初対面でのティフィアの印象は悪く、王宮に頻繁に訪れるという彼女に再会したらどうしようかと冷や冷やしていたのだ。まさか、エルノアがそこまで見越して今回の処分をしたとは思えないけれど、清々したと言わんばかりに優雅にお茶を啜る彼を見ていると、それが事実に思えてくる。
「そういえば、夜長祭の準備は捗っていますか?」
唐突な問いに戸惑いつつも、夜長祭についてよく分からないため準備は全てコペリに任せることにしたと正直に答える。明後日に控えたその祭りでは町から一切の明かりが消えると聞いた。町に明かりがない代わりに人々は暗闇で光る塗料で着色した服を身に纏って町を練り歩くのだ。王宮でも同じように照明が消され、眩いドレスの花が咲き誇るそうだが、コペリ曰く、町での祭りに比べると面白みに欠けるという。
「やっぱり、私は王宮の祭りに参加しないほうがいい気がして…コペリさんから町の祭りについても聞いたんですが、私はそちらのほうが惹かれますし」
「君が町へ行きたいのであれば、僕も一緒に行きましょう」
「っ、それではリズメリー様が…!」
「…僕は常日頃から、君に対するリズメリーの態度が気掛かりでした」
「え?」
「確かに表面上、リズメリーは君に優しく接していたかもしれません。しかし、内心では君を妖精だからとハッキリ区別していたように見えました。君はどう思いますか?」
話は思いもよらぬ方向へ飛んだ。今まで気にしないようにしていたけれど、実際にリズメリーから「妖精だから」という言葉を聞かれることが多々あった。それはエルノアと親しいフィーユに嫉妬しないように「フィーユは妖精である」そう自分に言い聞かせているのだと都合よく解釈していたが、そこに悪意がなかったかと問われると全てを否定できなかった。
「確かに、リズメリー様は私を一度も人間として見てはいなかったかもしれません。ですが、それは当然のことです。実際、私は妖精ですから」
「そうだとしても、それを悟られるべきではありません。国王である僕が目指すところを理解しているのなら尚更です」
それはつまり、リズメリーは現状では王妃に相応しくないと考えているのか、彼の表情は険しい。これまで数多くの小説を読んできたが、その中でも感情に振り回され、欲に溺れた王妃の最後は悲惨なものが多かった。私情を持ち込まず、国王を傍で支え、国民の母であり続けなければならない運命なのだ。
「君はリズメリーと仲良くなりたいようですが、諦めたほうが良いでしょう。僕は君に自由を求め、リズメリーには安定を求めています」
「…随分と勝手ですね」
「僕は国王ですから」
誰も国王には逆らえないとしながらも、フィーユには自由を求められている。それならば、フィーユが奔放な行動しても文句は言われないはずだ。何かあった時の免罪符にもなりうるその言葉にフィーユはこっそり笑みを浮かべた。
「エルノア国王の考えは分かりました。ですが、リズメリー様への気遣いだけはお願いします」
「分かっています。彼女には王妃になってもらわなければ、困りますからね」
エルノアの言葉になぜか胸が痛んだ。どんなに頑張ってもフィーユは王妃にはなれないからなのか、それともリズメリーを王妃候補としてしか見ていないからなのか。どちらにせよ、エルノアの冷めた一面に落胆したフィーユは適当な用事を付けて執務室を後にするのだった。
続く




