#27 平凡
第96代国王のドネヘシルはこれまで王族や貴族を主としていた教育制度を一新し、国民全ての権利とした。第95代国王は長年の間、人々を苦しめていたボバナという病の究明に力を入れた。アントゥール国のみならず各国の機関に資金や人材を送り、不治の病とされていたボバナは治療薬が開発され、それから数年後にはワクチンにより発症を防ぐことを可能にしたのだ。
「第94代国王様はその時代に起こったプールバ地区大震災により被災した地区の復旧を僅か10年で成し遂げたのです。元に戻すのではなく、新しく生まれ変わるをスローガンに掲げて造られたプールバ地区は現在、世界有数の大都市となっています」
リズメリーは得意げに語るけれど、そのどれ一つとしてフィーユの心に響くものはなかった。王が国を良くするべく、考え動くことは良いことである。しかし、慣例に従い、柱を決めて、ひたすらに遂行するというのはあまりに柔軟性がないように思えた。そもそも、柱として掲げたそれを達成できたからといって素晴らしい国王と認められるなんて可笑しな話。現に今日まで教育の問題も妖精の問題も、国王が柱にしなかったという理由だけで放置されていたのだから、この考え方が機能されていないのは明白だ。
「いっそのこと、この慣例を止めるという決断をすれば、エルノア国王の功績となるんじゃないですか」
ここまでの不満がその一言に凝縮される。リズメリーは何てことを言うのだと目を見開くが撤回するつもりはなかった。生まれ育った世界の違いによって生じた溝は埋まることがないまま、リズメリーは「気分が悪いので、私は失礼します」そう言って去って行ってしまった。この世界に来た当初は、彼女とは親しくなりたいと思っていたけれど、安易な考えであったことを反省する。とはいえ、誰もいない通路で目当ての詩集へ必死に手を伸ばす自分は孤独で情けなくて、つい溜息が漏れるのだった。
「フィーユ様。そろそろ、お部屋へ戻られませんか?夕食の準備もできております」
あれからどのくらいの間、図書館にいたのだろう。昼間は大勢いた従者も夕方の忙しい時間になると一人また一人と姿を消し、完全に日が沈んで図書館が薄暗くなるとまた明日にしようと見切りをつけて去る者が多くいた。気が付けば、フィーユとコペリ、そしてスペリノだけが取り残されており、それぞれ疲れた表情を浮かべている。
「私は食欲がないので、もう少し此処にいます。二人は気にせず休んで下さい」
「あまり無理をなされてはお身体に障ります。国王様からもフィーユ様に食事を用意するよう仰せつかっておりますゆえ、少しでも何か召し上がって下さい」
「…それじゃ、簡単なものをお願いします。それと、もう一つお願いしたいことが…」
フィーユから頼み事があると言われ、余程驚いたのかすぐに返事を返せずにいたコペリだが次の瞬間に「はい!どのような御用でしょうか?」と発した声は妙に明るかった。人に何かを頼むことが苦手なフィーユは彼女の反応に戸惑いつつも口を開く。
「リーヴァさんのことで。状態が落ち着かないうちは会いに行くのを控えてほしいと言われたんですが…私の羽だけでも届けてほしくて」
「確か、妖精の羽には苦痛を取り除き安らぎを与える効果があると聞いたことはありますが、フィーユ様のお綺麗な羽を簡単に譲ったりなどして宜しいのですか?」
「はい。病が治るわけではないと分かってはいますが、少しでも楽になればと思って」
一度、エルノアの友人であるクレイに渡すために抜いたことがあるフィーユは慣れた手つきで羽を手にすると痛みに耐えるため、ぐっと目を閉じて歯を食いしばると強く引き抜いた。以前と変わらず、涙が溢れるほどの痛みを感じたけれど、手の中で輝く羽を見ると嬉しさに笑みが浮かぶ。
「早速、リーヴァに届けるよう手配致します」
「はい、お願いします」
急ぎ足で駆けていくコペリの後ろ姿を見送っていると不意にスペリノが顔を覗き込んできた。その近さに思わず目を閉じると、そこに指先が触れ、瞼の下辺りを優しく拭われる。くすぐったくて強張る身体をそのままに、恐る恐る瞼を上げると薄い青色の瞳と視線が絡むから、思わず後ずさった。
「っ、あの…」
「羽を抜くのって、涙が出るほど痛いんだ…」
「え?」
「そこまでして、詩集が必要なんですか?」
痛々しいものを見るかのような眼差しに耐えかねて目を伏せるフィーユだったが、リーヴァの為に羽を譲ったことを後悔していなかった。それは詩集の手掛かりを得たいからというよりも、妖精である自分に良くしてくれたリーヴァが早く元気になることを祈っての行動だった。そのことをスペリノに伝えると驚いた顔をされたが、リーヴァを心配しているのはひ孫である彼も同じであったようで「ありがとうございます」と素直に感謝された。
「スペリノさんは普段、何をされているんですか?」
「…劇、作家」
「劇作家?劇に使う台本を書いているということですか?凄いですね」
「原作をもとに書かせてもらってるだけですから。没になることも多いですし」
コペリが夕食に用意してくれたベーグルサンドを齧りながら、他愛のない会話を繰り返す。少し素っ気無いけれど決して蔑ろにされているわけではなく、その気楽さは弟と話をしている感覚に近い。中心に置かれた皿から自分の好きなベーグルサンドを無遠慮に掴んであっという間に平らげたかと思えば、入れてもらったばかりのコンソメスープに対し野菜が多すぎると小さくボヤく。スペリノを見ていると緊張がほぐれるようであった。
「原作ってこの図書館にある小説を使ったりするんですか?」
「あ、勿論、作者の許可取りをしてますから。作者が既に亡くなっている時は大変なんだけど。それと、なっがい話を上演時間に合わせて構成し直すのも」
そんなことを言いつつも、仕事の話をするスペリノは生き生きとしており、今までにないその表情にフィーユもつられて笑みを浮かべた。一方で飄々として見える彼にも悩みはあるようで、以前よりリーヴァから劇作家など止めて図書館の管理をするよう言われていたが、今回、彼女が倒れたことで近い将来の話として意識するようになったのだという。
「スペリノさんは劇作家を続けたいんですよね?」
「そうだけど…俺でなくても務まる仕事ですし。今は幾つかのコネで仕事を貰えてはいるけど、人の作った世界を借りるしか能のない俺に、いつまで仕事があるか…」
「スペリノさんがオリジナルで脚本を書いたことはあるんですか?」
「平凡な人生を送る俺には、何一つ浮かばなかったです」
あれほど美味しそうに食事をしていたというのにぴたりと手が止まり、カップから浮かび上がる湯気が寂しげに揺れるばかり。ふんわりと歯触りの良かったベーグルも湿気てしまった気がして、両手に持っていたそれを皿の上に戻したフィーユは暫し考える仕草を見せたのち「自分が平凡だと思い込んでいるだけかもしれません」と意を決して口を開いた。
「萎んだ風船を膨らますと様々な色や形になるように、些細な日常も息を吹き込めば違うものになるかもしれません。良いことも悪いことも」
「面白いことを言いますね…でも、俺は」
「それでも見つからないなら、私の風船を膨らませてくれませんか?それは此処とは全く違う世界で…」
その言葉を切っ掛けに頭の中に浮かんだ景色は決して美しいものではない。誰にも見向きもされない切り取られた青空、ビル群に反射する太陽の眩しさ、交差点を行き交う車の排気ガスの匂いは懐かしく。大型ビジョンの音楽とそれを打ち消す大勢の足音、話し声、スマホからの電子音は忙しない。全てを伝えることは不可能であるが、手元にあった紙に描いてみせた世界をスペリノは否定することなく受け入れてくれるから、フィーユは思い出話をするような感覚で説明を続けた。
「知らない世界に迷い込んだ少女か…確かに面白いですけど、そのアイディアを貰っちゃって良いんですか?」
「こんな話が参考になるか分かりませんが…良ければ使って下さい」
その答えにスペリノの瞳に光が宿る。まだ若いはずだというのに、平凡な人生だと決めつけていた彼に少しでも変化を齎せたなら嬉しい。スペリノが描いた世界が舞台として形作られたなら是非見てみたいけれど、その頃には自分は現実の世界に戻っているだろう。今はそう願っていた。
続く




