#24 音叉
教会周辺を取り囲む空気は居心地良くつい長居してしまった。荷物番をしていたはずのクロードはいつの間にかフィーユの背後に戻ってきている。その表情はいつもと変わらなかったが、優秀な国兵を荷物番にした上、随分と待たせてしまったことへの罪悪感から、目が合った瞬間に頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
「いえ…荷物は馬車に運んでおきました」
「沢山あったのに、本当にすみません」
「いえ」
クロードがいつから此処にいたのかは分からないが、アラン・トワが会見の場にいた記者であることは覚えていたらしく、特に警戒する様子は見せなかった。一方でどうして彼がこの場にいるのか訝しんでいるようで、クロードの眉間にはシワが深く刻まれている。フィーユはアランと会った経緯を説明しようとしたのだが、不意に広場から悲鳴に近い歓声が聞こえてきてそれを遮られる。その場にいた4人が不思議そうに広場へと視線を向ける中、フィーユだけは通りに王宮の馬車が止まっていることに気付き、一足先に駆け出した。
「エルノア国王…」
人込みを掻き分けて向かった先には、煌びやかに着飾ったエルノアの姿があった。国王らしい凛とした表情は一見近寄り難く思えるも人々からは彼を慕う声が聞かれ、笑顔で取り繕って人々に好かれようとしていた自分が情けなくなってしまう。先程までは自分に向いていた人々の視線がエルノアへと向かい、誰も妖精を気に掛けていないことを痛感し俯いていると「フィーユ!」と名を呼ぶ声が聞こえた。
「フィーユ、こちらに来て下さい」
エルノアに呼ばれ、再び人々の視線がフィーユに向かう中、少しの悔しさを滲ませ彼の元へ歩みを進める。その足取りは重く、じれったく感じたらしいエルノアに手首を掴まれて強引に引き寄せられた。
「すみません…君が心配で様子を見に来たのですが、迷惑でしたか?」
「いいえ…そういうわけでは」
そう答えつつも悲しげに目を伏せたフィーユにエルノアは察するものがあったらしい。フィーユの頭に手をおいた彼は「バザーを案内して頂けますか?」そう言ってフィーユの元気を取り戻そうとしてくれる。その優しさに余計に泣きたくなるも、どうにか笑みを浮かべて頷く。
「疲れていませんか?」
「大丈夫です。ただ、私がいると皆さんが純粋にバザーを楽しめない気がして、そろそろ帰ろうと思っていたんです」
「それなのに僕が来て、余計に場を混乱させてしまいましたね…」
「いえ、いいんです」
忙しい合間を縫って駆けつけてくれたのだと思うと嬉しい。同時に、バザーに来たのが初めてだというエルノアに喜んでもらいたいと考えたフィーユはずっと片手に握りしめていたロバブのジュースに視線を落とし「エルノア国王はこういったものを飲まれますか?」と問うてみる。もし、飲むようであれば店を紹介しようと思ったのだ。
「ロバブですか?飲んだことないのですが…是非、頂きます」
「え…」
興味深そうに瞬きを繰り返していたかと思えば、フィーユの手から瓶を抜き取ってしまう。飲んでみたいのであれば買ってくると声を掛ける間もなく、彼は瓶に口付けて勢いよく傾けた。僅かにとろみのあるそれが流れていく様子にフィーユが呆気にとられていると、瓶を口から離した彼は分かり易く顔を顰めた。
「ふふっ、お口に合わなかったですか?」
「甘いのか苦いのか分からない、不思議な味ですね」
今まで見たことのないエルノアの表情に思わず声に出して笑ってしまう。唇に残った甘さに眉を寄せる些細な仕草でさえも可笑しくて瞳に涙が溜まる。ここまで笑われるとは思っていなかったエルノアもまた最初こそ戸惑っていたが、フィーユに釣られて笑みが零れる。そんな二人を更に盛り上げるように、どこからともなく澄んだ音色が聞こえてきた。
「この音は?」
「ハンドベルですね。確か、言ノ葉が保護している子供たちが日々練習していると聞いたことがあります」
「素敵な音ですね」
ありきたりな感想しか出てこないことがもどかしいほどに、その音色は美しかった。キンと耳鳴りのように強く鼓膜に響くのに決して不快ではなく、ただ懐かしさが込み上げる。エルノアとフィーユを囲んでいた人々も教会の前に並んだ子供たちに釘付けとなり、騒がしかった広場はハンドベルの音だけとなった。漸く人の目を気にせずにいられるようになって、フィーユはほっと息を吐く。自覚はなかったが、どうやら自分は相当気を使っていたらしい
「エルノア国王は凄いですね。多くの人に囲まれても動じずにいられて…私は皆さんに好かれたくて必死でした。中にはそれを見抜いている人もいるかもしれないと思うと怖くもなって」
「僕も、不安になることはあります。僕を取り囲む人の中にも、僕に不満を抱いている人がいて、いつか見捨てられてしまうのではないか、そんなことを考えて藻掻き苦しむ日々です」
それでも、少なからず自分を認めてくれる人はいるはずだと踏ん張っているのはフィーユもエルノアも同じだ。共感というものに引き寄せられたのか、フィーユとエルノアはどちらともなく肩を寄せ合うと、ハンドベルの演奏に耳を傾けるのだった。
「この曲は…」
一曲目の最後の音が響いて消えていくと広場は静寂に包まれた。思い出したように呼吸をすればそれを合図に次の演奏が始まる。先程の曲が春の空を舞う淡い花弁を思わせる曲であるとするならば、二曲目は冬の雪になりきれない雨のような曲だった。そして、その曲に聞き覚えのあったフィーユは周囲の人々が音色に聞き惚れる中、一人戸惑いの色を浮かべていた。
「エルノア国王も来て下さったのね」
ハンドベルの音に乗って聞こえてきたその声はエリスのものだった。エルノアに挨拶をしに来たらしく、自ら車いすを動かして真っ直ぐこちらに近付いてくる。その姿にフィーユは切羽詰まった様子でエリスの元へ駆け寄ると、今演奏されている曲について問うた。そして、エリスが答えた曲名がフィーユの思い描いていたそれと一致したなら、現実の世界への手掛かりが見えてくる。
「KENという作曲者だったかしら…私も楽譜を見て知った曲なの。その楽譜は譲ってもらったものだから、それ以上のことは分からないわ」
「譲ってもらったものですか…?」
「えぇ。施設で暮らす子供たちに、いつも古い本を譲ってくれる方がいて、この楽譜もその中に混ざっていたのよ」
マダム・ビターのドレスが現実の世界に存在していたように、この曲も現実の世界で聞いたことがあった。KENという作曲者については分からないが、有名アーティストが歌う人気の曲で、テレビでも街中でも耳にする機会が多く間違えようがない。更に核心に迫るべく、楽譜を譲ってくれたという人物について尋ねたところ、大通りから少し外れたN35番街にある喫茶店・余白のマスターであるということが分かった。
「エリスさん、エルノア国王…私、今からそこに行きたいんですけど、良いですか?」
「フィーユ、一旦落ち着いて何があったのか教えて下さい」
「っ、どうしても知りたいことがあるんです」
マダム・ビターのときのように手遅れになる前に、そう心の中で付け足したフィーユは二人の返事も聞かずに駆けだそうとした。しかし、透かさずエルノアに腕を掴まれると「僕も一緒に行きます」そう言われるから、少しだけ冷静を取り戻すことができた。
「ですが、ご迷惑では…?」
「僕の妖精に何かあってはいけませんし…それに、君はN35番街がどこか分かっていないのではないですか?」
「あ…」
フィーユが言葉を詰まらせている間に、エルノアは喫茶店に行くための馬車を回してくれた。そして、エリスも何か事情があるのだと察したらしく、短い挨拶で二人を送り出してくれるから、フィーユは二人に感謝しつつ馬車に乗り込んだ。
続く




