#21 双葉
触れた手から怒りが伝わってくる。手を引かれるがまま歩き続け、白竜の宮から見慣れた庭園に戻ってくるとエルノアも落ち着きを取り戻したらしい漸く足を止めてフィーユを気遣う言葉をくれた。フィーユは大丈夫であると答えながらも、頭の中はひどく混乱していた。
「駆け付けるのが遅くなってすみませんでした…ヴィングの使いから連絡を受けて急いで来たのですが…」
「いえ、おかげで助かりました。ヴィング様にも感謝しなければいけませんね…確か、長老会の一人とお聞きましたが…」
以前、リズメリーから長老会について説明をしてもらった際は相関図が複雑で、記憶力に自信があるとはいえ全てを把握することはできなかった。しかし、何も分からぬままでは彼らと対峙した時に困るだろうと、内情に詳しいコペリから時間を見つけては長老会について話を聞いていたのだ。そのおかげで、ヴィングが長老会のトップであるニコラスの妻であるとすぐに理解したフィーユだが、どうして彼女が自分を助けてくれたのかは分からなかった。
「本当に良かったんですか?長老会の方々にあそこまで言って」
「僕の妖精を侮辱されて黙っているわけにいきません。それに、前国王も亡くなって、時代は変わったのだと分からせるには良い機会です」
「ですが、長老会の考えに賛同する人は多いはずです。賛同者が結託して面倒なことにはなりませんか?」
「確かに反発する者は多いでしょう。しかし、人道に反した行いをしているのは向こうです…表立って攻撃して自身の立場を悪くするような愚か者はいないはずです。何よりもこれまで積み上げてきた実績が崩れない以上、僕が国王である事実は揺るぎませんよ」
エルノアには一切の不安も感じられず、清々しいまでの彼の笑顔を見ていると威張ってばかりの長老会の人間よりもずっと頼りになると思える。一方で、長老会側に付くような態度を見せたリズメリーのことは気がかりだ。
「…リズメリー様があの場にいたことを、どうお考えですか?」
「昨日、僕と君とで外出したことを良く思わなかったようですね。長老会に付くというより、君を少し困らせるために長老会を利用しようとしたのでしょう。彼女は感情的になると後先を考えられなくなります。結果、僕と対立するとは思ってもいなかったはずです」
理解できなかったリズメリーの想いが今になって流れ込んでくる。リッジモンドの占いにひどくショックを受けたことから始まり、エルノアとフィーユが外出したと聞いて暗い感情は膨れ上がってしまったのだろう。きっと悩んだ末、長老会を頼ったに違いない。
「っ、ですが、リズメリー様は私に良くして下さいました」
エルノアとリズメリーの関係修復なんて大層なことをするつもりはないが、自分のせいであるという罪悪感が少なからずあったためそう伝えたところ、エルノアは力なく笑んだのちにその手を伸ばし、フィーユの頭を撫でた。予期せぬ行動に戸惑いつつも心地よさに黙ってそれを受け入れていたが、ふと我に返り、誰にも見られていないか周囲を見回し確認する。周囲にはエルノアを護衛する兵が2人いるだけで一先ず安堵するも、国王らしからぬ行動の数々に戸惑いは拭えない。
「そんな悲しい顔をしないで。リズメリーとは後で話し合ってみます」
「それなら、良かったです」
「その代わり、リズメリーや長老会のことを穏便に解決した暁には夜長祭を共に過ごして頂けませんか?」
それは予期せぬ提案だった。長老会が参加する夜長祭で目立った行動は控えるようにと、リズメリーから言われていたフィーユは頭を抱える。リズメリーや長老会との関係が悪化する可能性を伝えたところで、エルノアはそれが何だと言わんばかりの表情だ。籠から飛び立っていった鳥の名を呼んでも戻ってきてくれないのと同じように、ドネヘシル前国王が亡くなったこと、長老会に意見したことで、吹っ切れたらしい彼には自由しか見えていないのだろう。「このことは内密にお願いします」と少年のような笑みで告げるエルノアに対し、フィーユは頷くことしかできなかった。
「本当は一緒に祭りの準備をしたいところですが、公務が立て込んでそれどころではなく…祭りの件はコペリに任せてあるので、分からないことがあれば聞いてください」
「…はい」
忙しい中、長老会から助け出すために駆けつけてくれたエルノアには感謝している。一方でエルノアを含め、人間の勝手な感情に振り回され、ウンザリもしていた。早く部屋に帰って休みたいと王宮に視線を向けたところで、ふとエレンタンが息切れしながら駆けてくる姿が見えた。嫌な予感がしたのはエルノアも同じだったようで「何事だ?」そう尋ねる声は低い。
「突然、言ノ葉の代表が来られて、エルノア様とフィーユ様にお会いしたいとのことで…」
自身の名前も挙がり驚くフィーユの隣でエルノアが「あれほど連絡しても返事一つ寄越さなかったというのに、一体何をしに…」と不機嫌そうに呟くものだから、また一難ありそうだと思わず溜息が零れてしまう。そもそも、言ノ葉とは一体何なのか訪ねるべく荒れた息を整えているエレンタンに視線を向けたところ、彼は深呼吸一つしたのちに、フィーユが欲する答えをくれた。
言ノ葉は子供、高齢者、障がい者、動物そして妖精に対して幅広く慈善事業を行っており、その規模は世界最大と言われている。創設者である有名画家のエリス・アルモアと実業家のショーン・ワトソンは謎多き部分もあるが、これまでの功績をみれば信頼に値する二人であるという。特にショーンはこれまで何度か話題に上がっている遊園地、ワールドリーフの創設者であるというから驚きだ。
以前、フィーユがエルノアに妖精のことに詳しい人を紹介してほしいと相談した際に言っていた慈善団体とは言ノ葉のことだったらしい。会って話がしたいという国王の手紙に対し、何の返答もなかったというのに、今になって、しかも突然に訪ねてきた二人をエルノアは歓迎していないようであったが、フィーユは何か情報が得られることを期待した。
「お待たせしました。突然、来られたので驚きましたよ」
応接室というには、こじんまりとしたその部屋にいたのは30代半ばと思われる男女だった。エルノアが声を掛けながら歩み寄っていくと二人は揃って頭を下げる。過度に着飾らず、けれども王宮に来るには地味過ぎず、二人の落ち着いた雰囲気に緊張感が立ち込める中、フィーユはエリスが車いすに乗っていることに対し少々戸惑っていた。心配になるほど青白い顔と、簡単に折れてしまいそうなほど華奢な身体の彼女に対し、その傍らに立つショーンはその力強い眼差しでエリスを支えているようであった。
「彼女が手紙でお伝えした妖精です」
「新聞で度々目にしているから、よく知っているわ。それで?私たちにコンタクトを取ってきた理由は何?」
凛々しくも、どこか陰のある声は事務的に言葉を紡ぐ。冷たい印象をそのままに、エリスは挨拶も雑談もすっ飛ばして本題に入ろうとするから、それに従うしかないようだ。まず口を開いたエルノアは妖精の差別解消に向けて協力してほしいと告げた。言ノ葉の代表である二人が王族に対してあまり良い印象を持っていないことに気付いていたフィーユは拳に力を込めたまま、やり取りを見守る。
「以前、エリスと私は同じ提案をしたはず。しかし、王族側が聞き入れることはなかったと記憶していますが?」
「それは…」
「当時の方々が現役を退かれ、エルノア国王に非がないことは理解していますが…謝罪もなしに協力してほしいなど都合が良すぎるのでは?」
ここで初めて口を開いたショーンからははっきりとした怒りが伝わってくる。そして、彼が謝罪を求めている相手がエルノアではなく長老会に対してだと察したフィーユは、未だに妖精を忌み嫌う彼らが謝罪するとは到底思えず、肩を落とす。何か良い案はないかと頼るようにエルノアに視線を向けるが、彼も頭を抱えたまま打開策を見つけられずにいる。ここで国王としての権力を振りかざすこともできただろうがそれをせず。二人に偉ぶることもしないエルノアをフィーユは評価していた。だからこそ、長老会に振り回されている現状が悔しくて、思わず口を開いた。
「あの…妖精のためだと思って協力して頂けませんか?」
その声は僅かに上ずっていた。元々、自分の意見を言うことが苦手で聞き役に回っていることが多かったフィーユは三人の視線が一斉に自分に向いたことが少し怖かった。しかし、ここで対立してしまえば何も変わらない。そう自分に言い聞かせて更に言葉を紡ぐべく大きく息を吸った。
「エルノア国王は、長老会と対立してまで私のことを守って下さいました。私たちは長老会を変えたいのではなく、世界を変えたいんです。そのためにも、味方になって下さる人が必要で…どうか、王族としてではなく個人として信頼できるかどうか判断して頂けませんか?」
妖精の話に耳を傾けてくれたことや、快適に過ごせるようにと王宮を案内してくれたことが嬉しかった。新聞記者の前で話したことも共に遠い村へ出かけたことも、今思えば良い経験となった。エルノアと過ごした日々を全て語り尽くせないことをもどかしく思うも、フィーユの想いは確かに伝わったようで、緊迫していた空気が和らいだ気がした。
「それで?私たちは何をすれば良いの?」
「協力するつもりか?」
「当然でしょ。そのために来たんだから」
エリスとショーンの会話に、暗い海底に一筋の光が差すような希望が見えた気がした。二人が王族であるエルノアに好意的ではないのは悲しいが、表面上だけでも手を取ってくれたのは大きな一歩である。
のちにエリスは改めて言ノ葉について説明してくれた。言ノ葉の資金源の多くはエリスが画家として得た利益とショーンが運営するワールドリーフで得た利益で賄われているという。勿論、賛同者からの寄付はあるものの、要支援者の数が多すぎるためそれだけでは運営できないそうだ。
「妖精は言葉を持っていないけど、心はあるの。うちで保護している子たちとは時間をかけて距離を縮めていくうちに何となくだけど、理解し合えるようになったわ」
「うちでは、支援が必要だと思えば半ば強引に保護を行っており…誘拐や窃盗であると言われたなら否定できません。私たちと協力するということは、その点についてエルノア国王様に理解して頂かなければなりませんが?」
「勿論。寧ろ、法に縛られた僕たちにはできないそれを行ってくれていることに感謝しています」
互いに探り合う空気が息苦しい。のちの会話の中で、言ノ葉が保護した妖精や子供などの要支援者が生活する施設の話題が出た。闇の妖精の力によって隠されており、関係者以外は決して立ち入ることができないその場所。そこに行けば妖精に会えると期待するフィーユであったが、エリスは決して招待するとは言わなかった。
「保護している妖精たちの想いをフィーユさんに通訳してほしいとは思っているの。だけど、平穏なあの場所を脅かす可能性が僅かでもある以上、接触は許可できないわ」
「まだ互いのことを信頼し合えていないのですから、そんな無茶を言うつもりはありませんよ」
「それなら良かったわ。では、今後について話しましょう」
エリスは相手が国王であろうと関係なく話を進めていく。そして、彼女が提案したのは言ノ葉の活動にフィーユや国王が参加するというものであった。言ノ葉は講演会やバザー、ボランティア活動を積極的に行っている。その活動に世間から注目を浴びる二人が加われば、言ノ葉の知名度も上がり、賛同者も増えるはずだというのがエリスの考えだ。
一見すると言ノ葉の得でしかない提案に思えるが、フィーユもエルノアも不満はなかった。言ノ葉が妖精を含め、多くの人を救っているのは事実だ。言ノ葉と競うように一から事業を始めるよりも、言ノ葉の規模を大きくしたほうが、効率が良い。何よりも、国王権を施行したなら、国は多くの妖精を保護することになるだろう。保護した妖精の行き場として言ノ葉の運営する施設は最適だった。
「協力頂けることに感謝するわ。当然、こちらの要求に応えてもらうばかりというわけではなく、必要な情報提供は行うつもりよ」
「近々、妖精を保護するべく国王権を行使する予定なので、助かります」
「それなら、妖精の闇ルートについて詳しいから役に立てると思うわ。シェーン、早急に用意してあげて」
「…あぁ、分かった」
国王権行使の言葉にエリスは一瞬驚いた表情を見せたのち、まるで長い夜が漸く明けたかのような眩しい笑みを浮かべた。その笑顔を見ていると彼女が本当に優しい人なのだと伝わってくる。そして、エリスはフィーユに対しても困ったことがあれば相談に乗るから気軽に連絡してほしいと言ってくれるから、この出会いによって全てが上手くいくような予感に胸が弾んだ。
続く




