#20 対峙
夜が明けてからも王宮内は昨夜の話題で持ち切りだった。外出から戻ってきてからの国王と妖精の距離感の違いは明白で、エルノアがそれを否定しなかったこともあり、人々は好き勝手話して盛り上がっているようだった。王宮を歩けば周囲からヒソヒソと噂話が耳に入ってくるから、フィーユは朝から自室に引きこもっていた。
「歩道橋、電車と踏切の音、雪と光…時間は確か七時過ぎていたはず」
机を爪先でトントンと叩きながら、現実の世界で最後に見た光景を思い出して、ピースとなるものを考える。この世界は電車のような乗り物もなければ、雪も降らない。リッジモンドは似た物でも良いと言っていたが、果たしてそんなものはあるのだろうか。答えは出ないまま、縋るようにマダム・ビターの手帳に視線を落とす。
この手帳は彼女が精神科病院に通っていた時に与えられたものであると最初のページに記されていた。日々の記録をつけることで自身を客観視し、精神の安定を図ることが目的だったのだろう。マダム・ビターが躁と鬱を繰り返していたことは自他ともに認める事実であり、病院に通っていたことにも納得できる。一方で、リリアナも同じ病院に通っており、そこで二人が知り合ったという過去には驚かされた。
「マダム・ビターさんが亡くなって、リリアナさんはどうするんだろう…それに現実世界の彩芭香子さんも、意識が亡くなったまま目覚めることはないのかな…」
そんな疑問を呟いたところで、部屋の扉をノックする音が聞こえた。今の独り言を聞かれたのではないかとドキリとして、上擦った声で返事をした。すると、入ってきたのはいつもと変わらぬ仏頂面を浮かべたセンリで、挨拶もなしに近づいてくる姿に嫌な印象を受けたフィーユは独り言を聞かれた云々がどうでも良くなってしまう。
「ある方々がフィーユ様に話があるそうです。今すぐ付いて来てください」
「…付いて来てって、どこにですか?」
センリとはできるだけ話したくないと思いつつ、不十分な説明に咄嗟に問うたなら「白竜の宮です」と短い答えが返ってきた。白竜の宮とはドネヘシル前国王がフィーユとともに晩年を過ごした場所であり、更にその奥の屋敷には長老会が隠居していると聞いた。話があると呼びつけたのは長老会の人間だと察したフィーユは言い知れぬ緊張感に拳を強く握る。
傍にいてくれるのがコペリであれば心強いのだが、センリが相手では何一つ相談できない。そもそも、長老会が今になってフィーユを呼びつけた理由が分からない。新聞に大々的に載ったことが気に障ったのか、王宮内で噂されているエルノアとの仲を危惧してか、それ以前に妖精が王宮にいることが許せないのか、心当たりがありすぎて対策のしようがない。
「こちらで皆様がお待ちです、くれぐれも失礼のないようお願い致します」
センリが案内できるのは部屋の前までらしく、フィーユは目の前にそびえる扉を上から下まで見たのちに自らノックし、向こうからの返事を合図に扉を開けた。朱色の絨毯と焦げ茶色の壁紙、黒に近い色をした木製のテーブルと椅子に、まるで国会中継を見ているような重々しい印象を受けると同時に、それぞれの席に着いた重鎮たちの姿に挨拶も忘れ、その場に立ち尽くす。
「人間の言葉を話すと言っておったが、挨拶もまともに出来ぬのか?」
中央の上座を陣取った男に指摘され、慌てて頭を下げて挨拶をするも、そこにいる誰もが挨拶などどうでも良いといった空気を放っている。その後、自分たちが高齢で耳が遠いことを棚に上げ、フィーユの声が小さく聞こえないから近くに来るよう指示してきた。
言われるがまま歩みを進めた先で椅子に腰かけたリズメリーの姿があることに気づく。以前、リズメリーはフィーユがエルノアのエスコートを受けたことが原因で長老会に煩く言われたと話していた。今回もまたフィーユのせいで責められてしまったのだろうかと不安に思っていたところ、顔を上げた彼女に強く睨まれてしまう。今まで優しかった彼女の変わり様に戸惑って、フィーユは咄嗟に視線を逸らした。
「我々はエルノア国王と同様にリズメリー嬢のことを幼い頃から知っている。言わば孫のような存在だ。お前はエルノア国王とリズメリー嬢が婚約関係にあると知っているはずだというのに、なぜ邪魔をする」
「そもそも、私たちは妖精が王宮にいることすら許可していない。エルノア国王は善意で王宮に留まらせたようだが。少々、調子に乗りすぎてはいやしないか?」
「この新聞記事を読んだ感想はどうだ?人間に上手く取り入ったと、ほくそ笑んでいるのだろう?」
懐から取り出された新聞は男の手によってビリビリに破かれて激しく床にばら撒かれた。フィーユは一人立たされ、罪人になったような気分で床に破り捨てられた新聞を見つめる。これまで自分はこの世界のことが分からないなりに頑張ってきたつもりだった。ここに来たばかりの頃の自分であれば、全てを否定されて心が折れていただろう。しかし、強く握った拳を解かずにいられるのは妖精の差別を無くしたいというエルノアの想いや、妖精である自分に良くしてくれる人々の存在があったからだ。
「どうして、そこまで妖精を否定されるんですか?」
拳に一層の力を込めて問うたなら、不意を突かれた彼らは揃って口ごもる。結局、彼らは妖精から得られる利益のために言い訳を繰り返しているだけなのだ。事の始まりは神族への敵対心だったのかもしれない。しかし、神族が衰退した今でも妖精を嫌っているのは、欲に溺れた醜い自分をどうにか肯定したいからなのだろう。
「えぇい、黙れ!動物が喋るとろくなことがないな」
「今、なんて…」
「言葉を持たぬ妖精は動物と同じであろう。犬のように飼って、鳥のように撃ち落として、家畜のように利用して何が悪い。お前は言葉を持っているから珍しがられているだけで、じきに飽きられ、誰からも相手にされなくなるだろう」
男は自分が正義であると言わんばかりの口調でそう告げると下品な笑みを浮かべた。見た目からして最年長である彼が長老会のトップ、ニコラスであることはすぐに理解できた。フィーユは彼に言い返す言葉を持っていたけれど、ここで対立してしまってはエルノアに迷惑をかけるのではないかと考えて冷静になる。
「全く。何を話しているのかと思えば、随分と古い考えを並べ立てているではありませんか」
ノックもなしに扉が開け放たれ、どんよりと澱んだ空気が一変する。風向きを変えるその声に振り返ると厳しい表情をしたエルノアの姿があり、長老会の面々がどよめく中、フィーユの口元が緩んだ。彼は小説の主人公であるかのように颯爽と登場するとフィーユと長老会の間に立ち「大丈夫ですか?」そう気遣いの言葉を投げかけてくれる。フィーユがそれに頷けば、エルノアは優しい眼差しを鋭く光らせ、ニコラスと対峙する。
「年寄りの暇つぶしに付き合うのは懲り懲りです。僕たちは今を生きるのに忙しいので、放っておいて頂けませんか?」
「っ。今まで散々注意してきたというのに、まだ妖精を庇うつもりか?」
ニコラスは持っていた杖で激しく床を突くと怒りを露わにした。地響きを感じさせるその音に肩を震わせるフィーユに対して、エルノアは一切怯むことなくフィーユを守るべく更にもう一歩前へ出る。
「僕も何度も言ったはずです。口を挟まないでくださいと。元々、あなた方の偏った考え方のせいで差別が生まれたのです。これ以上、助長するようであれば僕は国王として、あなた方を王宮から追放することも厭いません」
「なっ。貴様!今の王族があり、貴様が国王になれたのは誰のおかげだと思っている!」
「何を言われたところで、あなた方の時代は終わったのです。国王である僕の意見を変えたいのであれば、僕が納得するよう示して頂きたい。それすらもできず、欲のために力を奮うのは動物のすることではないですか?」
差別を正当化する言葉などあるはずもなく、あれほど息巻いていた男たちは一様に口を噤んだ。助かった、そう思ったのは一瞬で、彼らの悔しげな顔を見ているとこの先もフィーユやエルノアの障害になる気がして恐ろしかった。とはいえ、エルノアの表情は清々しく「さぁ、もう行きましょう」と手を差し出してくれるから、素直にその手を取った。
二人で部屋を後にする直前、リズメリーの存在を思い出し、振り返る。ここまで沈黙している彼女が長老会側についたのは明らかだ。リズメリーにその意図はなかったのかもしれないが、この一件でエルノアとの関係に歪が生じたはずだ。エルノアがリズメリーに一切の言葉を掛けぬまま、彼女一人を残していくことにフィーユは僅かな罪悪感を抱くのだった。
続く




