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#18 欠片

溢れる涙を拭いきれぬうちに、こちらに近づいてくる足音に気付いたフィーユは咄嗟に手帳をドレスの中に忍ばせた。間を置かずして書斎に入って来たエルノアに手帳を盗む姿を見られてはいないかと冷や汗が流れるも、彼は「そろそろ、行きましょう」と声を掛けてきただけで、ここで何をしていたのか問うてくることもなかった。


「え、ですが…」


散らかった室内を放置したままで良いのだろうかと尋ねようとしたところで、エルノアの背後にリリアナがいることに気づき、口を噤む。先程は混乱していたリリアナであったが、今は幾分落ち着いたように見える。ここに来るまでの間に二人で話をしていたらしく、エルノアは後のことはリリアナに任せようと言うから素直に頷くことにする。


「リリアナさんは大丈夫でしょうか?」

「まだ辛いとは思いますが、何かをしていたほうが気も紛れるでしょう」


エルノアに背中を押されるようにして部屋を出たところで、フィーユは神妙な面持ちで尋ねた。それに対する答えは冷たくも感じられたが、自身を警護する国兵にこの場に残ってリリアナのフォローをするよう指示する姿を見るとフィーユも一先ず安堵することができた。



表は今も大勢の人が集まっているため、裏口から外に出るべく廊下を抜けて階段を下りる。その間、二人に会話はなく、暗く沈んだ表情を浮かべていたが外に出て風に吹かれると僅かに気分が和らいだ。次に向かうのはエルノアの友人がいるというアパートだ。ここから歩いて五分も掛からないそうで、気分転換も兼ねて、先程までの出来事がまるでなかったかのように平穏を演出する街並みを歩くことにした。


「大丈夫ですか?」

「はい…ですが、もっと早く会いに来ていればと考えてしまって」

「彼女に聞きたいことがあると言っていましたね」

「一度お会いしてみたかったですし、ドレスのこととか、色々聞きたいと思っていたんですが」


現実の世界んついて聞きたかったとは言えるわけもなく、しどろもどろな返答になってしまうも、彼女の死に動揺していると思われたのか怪しまれることはなかった。確かにまだ心の整理は出来ていないが、リッジモンドの言った通りであったと納得する部分もあった。対して、エルノアはこのホテルに来ること自体、予定外だったのだから彼女の死にさぞ驚いたことだろう。面倒事に巻き込まれてしまったと思われていないか、心配になってエルノアの顔をおずおずと覗き込む。


「近頃、死に関わることが多いので、クレイに会いに行くのが不安になりますね」

「ご友人のことですか?」

「はい。ケンドリー公爵の長男で、病弱でなければ相応の地位にいたはずの男です」

「どういう経緯でお知り合いになったんですか?」

「幼い頃、リズメリーに恋していた彼が僕に決闘を申し込んできたのですよ」


エルノアとリズメリーの世界に割って入ったという恐れを知らないその少年に興味が湧いたフィーユは前のめりになる。それに気を良くしたのかエルノアはクレイと親しくなったのはそれから十年以上が過ぎた頃だったと更に深いところまで話し始めた。


大人になって再会した二人には地位や立場というものがついて回っていた。次期国王である自分との再会。幼少期の決闘について平謝りするだろうと思っていたエルノアだったが、クレイは謝罪するどころか、あの時は楽しかったと思い出話を始めた。それが面白くて、話を聞いているうちにクレイのペースに飲まれていたのだという。既にその頃には様々な持病を抱えていたクレイは父親から見放され、長男でありながら爵位継承権も与えられない境遇にいたらしいが、エルノアは彼を友人だと認めたそうだ。


「あそこが彼の住んでいるアパートです」

「あのアパートが…?」

「僕も来るたびに思います。貴族が住むに似つかわしくない外観だとね…」


町の外れに佇むアパートは自然に囲まれた良い環境であるのは確かだが、貴族が住むにしては古びた小さな建物だった。エントランスは吹き抜けになっており日の光が射して明るいが、薄汚れた壁と歩くたびに軋む床は不気味で、フィーユは困惑を滲ませて辺りを見回す。


「住人は彼だけなので、ここは安全です。すぐに戻りますので、待っていて下さい」

「はい…」


一人残されるのは不安であったが、友人との再会を邪魔するわけにもいかず。アパートの外には国兵が待機しているから大丈夫だろうと自分に言い聞かせ、階段を上っていくエルノアを見送った。それから暫くすると長い時を感じさせる独特な空気にも慣れてくる。壁に掛けられた古い絵画や並んだ郵便受けに残ったネームプレートを見て回っていると、宝物探しをしているような気分になってくる。



「エルノア国王様が仰っていたお連れの方ですか?」


窓枠に残されたボロボロのテディベアに触れたところで突然聞こえてきた声。驚いて振り返ると階段をゆっくりとした足取りで下りてくる女性と目が合った。一つに束ねられた白髪交じりの髪と目元のシワ、着古した紺のワンピースは草臥れた印象を与えるが、上品な口調と仕草のおかげか彼女が悪い人には見えなかった。


「貴女は?」

「クレイ坊ちゃまに仕えるただ一人の従者。ミラと申します」

「私はフィーユです。勝手に上がり込んで、すみません」

「いいえ、こちらこそ。坊ちゃまは話が長く、エルノア国王様をお引止めしてしまって、申し訳ございません」


そう言って頭を下げたのち、ミラはひどく荒れた手で顔に掛かった髪を耳に掛けながら、何か言いたげに視線を泳がせた。中々言い出せない様子をじれったく思ったフィーユが、わざわざ自分に会いに来た理由を問うたなら、彼女は虚ろな瞳をこちらに向けて口を開く。


「あの…フィーユ様の羽を一本譲って頂くことは可能ですか?」

「羽ですか?」

「っ、失礼であることは重々承知しております。ただ、その羽があれば坊ちゃまが少しでも楽になるのではないかと思い…すみません。エルノア国王様の妖精様に向かって、こんなことを」


妖精には人を癒す力がある。そしてそれは妖精の羽や髪、爪など一部だけでも効果があるのだという。効果は一時的であるそうだが、少しの間だけでも病気の苦しみが癒えるなら、という思いから失礼を承知で頼んできたらしい。

深く頭を下げるミラと自身の羽を見比べたフィーユの瞳に迷いはなく、グッと歯を食いしばったのを合図に、光り輝く一本の羽を掴んで一気に引き抜く。髪の束を一気に引き抜かれるようなヒリヒリとした痛みに涙が滲むも、笑顔でそれを差し出した。


「あと何本あれば足りますか?」

「っ、とんでもございません。一本で十分でございます」

「そうですか…それなら、必要な時は王宮に連絡ください。エルノア国王に頼んで送ってもらいますから」

「本当に、ありがとうございます」


深々と頭を下げて何度もお礼を言われると照れ臭くなる。フィーユがお礼は十分だと伝えて、漸く頭を上げたミラだが、まだ気が晴れないのか、身に着けていたペンダントを外し始める。それをくれるつもりなのだと察したフィーユが止めに入るも、彼女はもらってくれと言ってきかない。


「是非、受け取ってください。私の生まれ育った村の民芸品で、高価なものというわけではないのですが…今は無き村の思い出の品で。私がお渡しできる唯一のものです」

「そんな、余計に受け取れないです」

「いらないのであれば処分してもらって構いません。受け取ってもらえるだけで救われるのです。どうか、お願いします」


そこまで言われては受け取らないわけにはいかず。フィーユは躊躇いながらも手を伸ばした。シャランと音を立てて手の平に落ちてきたのは雪の結晶のペンダントだった。チャームからチェーンまで全てが白く輝いたそれは雪でできているような繊細で儚いデザインだった。


「本当に、良いんですか?」

「はい。先程も言った通り、高価なものではないのです。私が生まれ育ったネートという村は世界一雪が降る地として有名でした。雪祭りを開催するなどして観光客も多かったので、こういった民芸品が作られておりました」

「観光客の方向けに販売されていたものですか?」

「はい。ですが、今お渡ししたのは特別で。雪が降るよう村の長が願いを込めて作ったものなのです。願い空しくここ数十年は全く雪が降らず。寂れた村は近隣の村と合併し、ネードはなくなってしまいましたが…」


以前読んだ本の中に、ネードだけでなく世界中で雪が降らない冬が続いていると書いてあった。その原因は明らかにされていないが、数十年降っていないため、雪を知らない若者も多いそうだ。自分の本名にユキが入っていることもあり、雪が好きだったフィーユは残念な気分になる。何よりも雪はこの世界に来る直前に見た景色の一部であり、現実の世界に繋がるピースになるかもしれないと考えていた為、雪が降らないという現実はフィーユを悩ませていた。


「随分、親しくなったようですね」

「今日は早いお帰りで…」

「あぁ、彼女を待たせていたから」


聞こえてきた声に振り返るとエルノアが階段を下りてきているのが見えた。ここに来る前より明るく見える表情にクレイが元気であったことを察したフィーユは密かに安堵する。そして、エルノアは「手紙を書くなら、最後に顔が見たいなどと縁起の悪い文面は止めるよう言っておいてくれ」そう冗談めかしに言うから、フィーユとミラは揃って笑った。


「ぜひまた、お二人でいらしてください」

「あぁ。後は任せたよ」


アパートを出ると既に王宮の馬車が用意されていた。外まで見送りに出てくれたミラに一礼し馬車に乗り込む寸前、何気なく二階の窓に目を向けたところ、こちらに向かって手を振る青年の姿が見えた。肩にかからない程度に伸ばしたブロンドヘアと白い肌、大きな青い瞳は現実離れした美しさで、今にも消えてしまいそうな儚い印象を与える。軽く会釈をして乗り込んだフィーユは彼が少しでも元気になるよう願うのだった。








続く


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