#17 落花
ブルームの町に入って暫くすると疎らではあるが人の姿も見え始めた。そう広くはない町だから有名なデザイナーの滞在は噂になっているはずだ。人に聞けばマダム・ビターに辿り着くのは簡単だろうと確信したフィーユはゴホンッと咳払いののち、エルノアに今回、外出を希望した理由を伝えることにした。
「君が先程から落ち着かない様子だったのは、マダムに会いたかったからなのですね」
「はい」
「そうですか…ですが、ここのような閉鎖的な町に妖精が一人でいると警戒されてしまいます」
きっとエルノアは笑顔で送り出してくれると思っていたフィーユは、思わぬ厳しい言葉に一瞬何を言われたのか理解できなかった。自分が妖精であることを忘れていたわけではない。しかし、これまで人間と変わらず接してくれていたエルノアから妖精であると突きつけられては胸が痛む。
「そう落ち込まないで。マダム・ビターはこの町に来るといつもヒダマリというホテルに滞在していると聞いたことがあります。今から向かいましょう」
「え。ですが、エルノア国王はご友人に…」
「僕は急ぎではないので、大丈夫ですよ」
優しい言葉は傷付いた心を一瞬で癒すと同時に、自分を優先してくれる嬉しさと申し訳なさで感情が渋滞し、お礼も言えぬまま。行先を変えた馬車は大きく傾いたのち、路地裏に入り込んだ。目的のホテルはエルノアが言った通り、すぐに見えてきた。桜の花弁が敷き詰められているかのような淡いピンクの屋根が特徴的な建物に目を輝かせたフィーユだが、近付いて行った先でホテルの前に集まる人々とその喧騒に不穏な空気を感じ、緊張が走った。
「何事だ?」
「なっ!エルノア国王が、何故こちらに?」
「このホテルに僕の知人が滞在している。それよりも、立ち入りが禁止されている理由は?」
「じ、実はこのホテルの一室で人が亡くなりまして…現在、現場検証を行っている最中でして」
馬車に近付いてきた自警団と思われる青年はエルノアの姿に驚きながらも状況を簡潔に説明してくれた。この騒ぎを目にした時から嫌な予感に呼吸を乱していたフィーユは思わず二人の会話に割って入り「亡くなられた方の名前は?」と尋ねる。いきなり言葉を発した妖精に青年は驚いているようだったが、エルノアがその答えを促すと彼は「マダム・ビターというデザイナーだと聞いています」そう小声で答えた。
「そんな…まさか。嘘ですよね」
「フィーユ、落ち着いて下さい。君、詳しい状況を教えてくれ。それと、マダム・ビターのマネージャーのリリアナがいるなら、会わせてくれ」
「は、はい…リリアナさんはホテルのロビーにいるはずです」
「案内してくれ。フィーユ、行きましょう」
エルノアに促されて馬車から降りると、そこに集まった人々の視線が集まる。どうして国王と妖精がこの場所にいるのかと皆口々に疑問を溢すけれど、それに応える余裕もないまま、ロビーへと急いだ。
騒然とした外とは違いロビーは重い静寂に包まれていた。そこで一人泣きじゃくっていたリリアナの姿を見て、自警団の青年が話していたことは全て事実なのだと痛感する。目を赤く腫らし、ハンカチでは拭い切れないほどの涙と鼻水で顔を汚した彼女に声を掛けられずにいるフィーユに代わってエルノアは「リリアナ。何があった?」と率直に問う。
「昨日から様子はおかしかった…やけにハイで、デザインも沢山描き上げて。徹夜したのか、朝には部屋中がデザインまみれ」
「それで?」
「昼近くになって仮眠するから1時間ほどしたら起こしてほしいと。言われた通りに部屋に行ったら…バスルームで、手首を切って…あぁー!どうして!」
途中まで淡々と話していたかと思えば、唐突に叫び出したリリアナの姿に、フィーユは自分がもっと早く会いに来ていればと後悔に襲われ呼吸が乱れていく。けれど、それに気づいたエルノアが安心付けるように背中をポンポンッと叩いてくれるから、僅かに落ち着きを取り戻す。対して、リリアナはどんな言葉も受け付けられないようで、今は一人にしてほしいと言われてしまうから、彼女を残したままマダム・ビターが滞在していた部屋へ向かうことにした。
「こちらが現場です。状況からみて間違いなく自殺とのことでして。我々は引き上げますが、リリアナさんもあの状態ですし…後はお二人にお任せします」
マダム・ビターが亡くなったのは三階奥の部屋のバスルーム。エルノアは平気な顔で入っていくけれど、血の匂いが残るその場所にフィーユは足を踏み入れることができなかった。エルノアから離れ、彼女が朝まで使っていた書斎へ向かうと、床に散らばった紙くずや仕事道具が乱雑に置かれた机、目眩がするほど強い香水の匂いが残ったその空間に戸惑った。まるで、つい先程まで人がいて、またすぐに戻ってくると思わせるような光景だったからだ。
「手帳…リリアナさんと同じもの?」
室内を進んでいった先で、なぜか倒れたロッキングチェアとその下にあった手帳を見つける。辞書のように分厚いそれはリリアナが使っていたものの色違いであるとすぐに気づいた。この世にはいない人が書いたものとはいえ、中身を読むのは気が引けるけれど、もしかするとこの手帳に必要とする情報が書かれているかもしれない。現実の世界を知るマダム・ビターがいなくなって、希望を失っていたフィーユにとって最後の望みであった。
「0時になり、手帳を抱きしめ、ロッキングチェアで眠る。またいつもの夢を見た。夫だという男は数週間ぶりに意識を取り戻した香子に対し罵声を浴びせる。けれど、私は目的のデザインさえ手に入れられたなら、それで良い」
現実の世界でマダム・ビターは彩芭香子という名で専業主婦をしていた。大企業に勤める夫は香子を養ってやっていると常に上から目線で、香子が自由に出かけることさえも許さないくせに、自身は他所に女を作り、何日も家に帰らないことが日常茶飯事であった。
とはいえ、マダム・ビターにとっては夢の世界で他人も同然の男から何を言われようと関係のない話。HANASHAKUの新作ドレスのデザインを確認すると、来た時と同じように手帳を抱きしめてロッキングチェアに座ると0時になるのを待つのだった。
「マダム・ビターにとってのピースは時間とロッキングチェアと手帳…」
勿論それはマダム・ビターと彩芭香子を繋ぐためのものであり、フィーユが同じ条件で戻ることができるのかと言われるとそうではないだろう。とはいえ、読み進めていくうちに分かったこともある。それはマダム・ビターがこちらの世界で生活している間、現実の世界にいる彩芭香子は意識を失ったまま時間が過ぎているという点だ。つまり、フィーユがこうしている間も、現実の世界は変わらず動き続けており、出島ユキは意識不明の状態にあるということだ。
歩道橋の上で倒れた出島ユキはきっと救急車で病院に運ばれたはずだ。そしてそのまま意識が戻らぬ娘を両親は心配しているに違いない。自分のせいで家族が苦しんでいるという現実に胸が痛む。読みかけの手帳にぽとりと涙を落としたフィーユは早く現実の世界に戻らなければと改めて思うのだった。
続く




