088 炎の瞳 (後編)
第3章、最終話です。
「ふざけてんのか!?」
少年は机を蹴り飛ばし、老人に掴みかかった。
「俺の弟を、魔法道具にしろってのか、テメェは!!」
「そうではない!ただ、魔法を譲渡するだけの話だ!」
「ただ、だと!?テメェ、今さっき気分が良くねぇって言ったよな!?それは、人を道具にすることになるからじゃねぇのか!?」
「違う!もしそうであるなら、儂は決して手は貸さぬ!儂はソウル・ブレイカーの作り手。魂の声を聴く鍛冶職人だ!魂が望まぬものなど決してやるものか!死体であるならいざしらず、生きた人間を道具にしようなどと、儂は考えておらぬ!」
「じゃぁ、なんだってんだ!?」
「ええい、落ち着かんか!」
ヴェルンドは自身の襟首を掴む少年の腕を掴み、その場にねじ伏せた。
「テメ──」
「分からぬのか!?Oよ!儂にいつも鉱石を届けに来ていたのは、Sなのだぞ!?」
「それが、どうしたってんだ!?」
「儂は、魂が望まぬことはやらぬ。だが、魂がそう望むなら、儂は手を貸す!」
「────」
Oはその言葉に驚愕し、寝ているガラスの少年を見た。
「そうだ、O。Sは、ソルゲイルは、儂に相談していたのだ。魔法の影響を受けやすいガラスの体を、どうにかしてうまく使えないのか、と。」
「……」
「おぬしがSを守るため、泥棒稼業をさせなかったことは分かっている。だが、Sは、おぬしの弟は何もできない自分を嫌っていた。おぬしの力になりたいと、そう言っていた。だから、Sは儂に相談していたのだ。正体も分からぬ儂に、な!」
「チッ!」
少年は体をひねって己に絞め技を決めている老人の手を弾き飛ばし、大きくのけぞった。
「弟が、炎の譲渡を望んでいるってのか?そんなことをすれば──」
「自我を燃やしかねんな。」
「だったら──」
「ソルゲイルの意志は固かった。」
ヴェルンドは手をさすりながら少年に言う。
「儂はソルゲイルから、兄の魔法を己の体に貯えることはできないかと尋ねられた。儂はおぬしが『スルトの遺物』を持っているなど知らなかったが、たとえどのような魔法でも、ガラスの体に魔法を貯めようとすれば、それは確実にソルゲイルの命を蝕む。そういった。」
「……」
「ただでさえ肉体が魔法にかかってガラスになってしまっているというのに、その肉体に魔法を貯えるというのなら、それは呪いの重ね掛け以外の何物でもない。死期を早めるだけだと、そう、儂はおぬしの弟に言った。
じゃが、”それでもいい”と、ソルゲイルは言っていた。」
少年の瞳が、ガラスの少年に向く。
眠っている少年の顔は穏やかだ。小刻みの良い寝息を立てながら、微睡の中でさ迷っている。けれどその光り輝く瞼はじっと兄を見ているようで、Oの表情は眩い視線で苦悩に歪み、静かな悪態をついた。
「……クソが!」
「この話は気分の良いものではない。ソルゲイルの寿命を縮める行為だからだ。
特に『スルトの遺物』の魔法を譲渡するともなれば、おぬしの弟の体や自我を燃やしてしまう可能性がある。けれどな──」
老人は、確固たる意志を持って少年に告げた。
「儂は、当の本人が魂の奥底から出した意志を、無下にはできぬ。
ソルゲイルが望むなら、儂は迷わず手を貸す。」
「──ッ」
「だが、これは家族の問題であろう。兄弟を守るというおぬしの意見も、儂は無下にはできぬ。だから、おぬしの意志も聞かねばならぬのだ。」
「俺がどう答えるのかなんて決まっている!そんなものは、NOだ!!」
少年は声を荒げ、それから三度深呼吸をした。
「──だが、弟の意志を無視して亡命させようとしている俺が、弟のことをとやかく言うのも、筋違い、か。
それに、これは取引だ。魔法を譲渡できねぇなら、話にならねぇ。」
「……そうだな。」
冷酷な言葉に、少年はそれを言った男を見やる。
「──ハッ!まったく、ひっでぇ面だな、おっさん。」
「……」
「それで、どうするんだ?」
エミリアの言葉に、少年は再び肺に薄汚れた空気を吸い込んだ。
長い息を吐き出し、怒りに顔を歪ませ、彼は言った。
「弟は、腕を失った。俺は砕けた腕を元に戻すことができる可能性を考え、割れた腕を保管している。これに魔法を譲渡し、お前らに渡すことなら、最悪、できる。」
「……」
「だが、それは弟の腕だ。弟が最終的には決めることだ。」
「……分かった。」
その返事は、重かった。はっきりとしたその口調には、岩でも背負っているのではないかと思うほどに、苦痛に満ちた響きがあった。
ソルゲイルが砕けた腕の譲渡を承諾するかどうかなど、聞かずとも分かっていた。ソルゲイルは己の寿命を差し出してまで兄の役に立ちたいと願っていた。であれば、砕けた腕の使い道など、それが兄の役に立つのなら彼は許諾する。当然彼自身がアクア連邦への亡命を望んでいないため、前提条件には反対するかもしれないが、少なくとも兄の魔法を己の腕へ譲渡することに反対しないことは、誰の目にも明らかだった。
けれど、それが明白であるにもかかわらず、男の言葉は重かった。軽々しい返答ではなく、答えを知っているからこそ出てくる苦い返答だった。
だからこそ、Oは理解に苦しんだ。
この取引をしている男は何者なのか、と。
何に、責任を感じているのか、分からなかった。
ゆえに、Oは相手を怪しんだ。
「……おい、おっさん。」
「なんだ。」
「俺は、理解できねぇ。あんたがなんでそんな顔をするのか、その理由が分からねぇ。」
「……」
「相手の心情がどうのこうのは、泥棒やってていく上でどうでもいいものだ。相手が自分をどう思おうが勝手だし、相手がどんな感情を抱いたって、俺のやることは変わらねぇ。
それでも俺はこの仕事を通して、あらゆる人間の、あらゆる感情を見てきた。」
「……」
「怒り、嘆き、恨み、悲しみ……どれもこれも最後には俺に刃を向ける感情になる。けど、あんたの今のそれは、見たことがない。
……テメェは一体何者だ?どういう、人間なんだ?」
「……」
「俺はな、一応、あんたの正体に心当たりがある。」
「おい。」
その言葉に、男は目を細め、女は血相を変えた。
少年がコウスケの正体を『隻眼』であると知っている可能性は高かった。自分たちの買い物を調査しているような奴が、自分たちの素性について全く何も調べていないとは考えにくいからだ。
だがそれがもし今ここで明かされたら、フレイヤの父を殺した犯人が、いま目の前にいると彼女の前で言うようなものである。エミリアはそれを避けるために、少年を睨みつけた。
「その話、最後までする必要はあるか?」
「あるね、おねーさん。何しろ、俺はどうにも腑に落ちないんでね。」
「何がだ?」
「おっさんはどう考えたって、強い。身のこなし、観察眼に推察力、『ヴァルキリーズ』レベルの強者なのは間違いない。
なのに、さっきの”弟を連れていく利点”といい、今の表情といい、この殺戮世界って世界に生まれ落ちた人間にしては、妙にズレていやがる。
それが、イメージと違いすぎて理解できねぇんだよ。」
「……」
口を開かない男に、少年は言った。
「言い方を変えよう。あんた、本当は炎を譲渡する別の手段を、持っているだろ。」
「……なぜ、そう思う。」
「そこの爺さんが言っていたように、魔法を保管するには、高純度の魔素を溜め込める大きな水晶球がいる。そう、魔素を溜め込めなきゃいけねぇんだ。」
「……」
「だから、できるだろ?あんたのその左目、魔素蓄積装置『ミーミルの魔眼』なら、よ。」
その言葉に、緊張が走った。
正体をフレイヤに知られてはならない。その共通認識が、老人と女の表情を強張らせた。何としてでも、その先を言わせてはならない。そう、彼らは思った。
そしてそれに気付かないほど、少女は鈍感ではない。言葉には出さずとも、その三人の雰囲気が変わったことを即座に感じ取った。一触即発になる寸前である、と。
けれど、彼女は何もできなかった。
動くことはおろか、声をあげることも、できなかった。
それは、知ることを恐れたから。
父と同じ『罪人』となった目の前の人物の『罪』を知ることを、理由を知ることを、恐れたのである。
”優しかった父に悪いところなんてあるわけない”と、幼い精神は信じ、願い、真実を10年間拒絶した。
だからである。自分を救った男の──優しい人の正体を知ることを、少女は恐れたのだ。目の前の男が何かを隠しているなど、いくら少女が無知とはいえ、とっくに感づいている。それでもそれを知ることは、亡き父親の、”自分の知らない姿”を知ることになる気がした。それは、少女にとって耐え難いものだったのだ。
だから、二人の大人が少年の口をふさごうとすることを、止めたいとは思わなかったのだ。
「まて、O。」
「まぁ、聞けよ、爺さん。
最初は半信半疑だったが、おっさんがアクア連邦に行ったことがあるって言っていたのと、さっきのフリッグの存在を知った時の表情で確信した。この男はフリッグに会ったことがあるってな。」
「……」
「そして、あの三大魔術師が治めていた国は、あの『フェンサリル』だ。だったら、もうあんたが誰かなんて、スラムに住んでるやつにだって分かる。」
「おい。」
エミリアが一歩身を乗り出すのを、意外な人物が止めた。コウスケである。
「コウスケ──」
「いい。彼は、そこまで分かっていない人間ではない。」
「だが……」
「ああ。俺は、別にあんたがどうして隠しているかなんて、どうでもいい。俺はそこまであんたらに首を突っ込むつもりはないし、それはグルヴェイグに敵対するのと同じくらいヤバい案件に手を出すことになりそうだしな。」
少年は目を細め、男を見据える。
「けど、あんたが俺の予想通りの人間なのであれば、俺は確かめておきたい。
なぜ、己の身を危険に晒さずに済みそうだというのに、そんなに後悔した顔をしているんだ?」
「……」
「『ミーミルの魔眼』が魔素を貯められるとは言っても、そいつは呪いの武具だろ?さっきじいさんが言ったように、そんなものに魔法を貯めようと思ったら呪いの重ね掛け以外のなんでもねぇ。それをしなくて済むんだったら、本来安堵したっていいだろ?なのに、なぜあんたはそれを後悔している?
世界でも指折りの惨劇を作り出した、あんたが、さ。」
「……」
「あんたは、取引のできる奴だとは思っている。ある意味、俺はあんたを信頼している。
けど、その表情は信用できない。」
少年は鋭く、男の眼球を覗き込んだ。
「この世界で、そんな顔をする奴はいねぇ。いいや、ありえねぇんだ。
どうやって相手を利用してやろうかと考えているクソ野郎ばかりなんだよ、この街は。この世界にどんなに美しい山や空、神秘の館があろうとも、この世界に住む人間は、ドブネズミのように汚れた魂をもった奴だけなんだ。
……フライアのような奴でない限りは、な。」
「……」
「だから、分からねぇ。出会った人間を片っ端から殺して回ったっていう噂の殺戮者が、なぜそんな顔を浮かべる?すべてを焼きつくしたその瞳が、なんでそんな泣きそうな目をしているんだ?
お前は……一体、何者なんだ?」
ひどい沈黙だと、男は思った。
その静寂は、あっていいものではないと、そう思った。
すぐに、答えられない自分がいた。
答えなくてはいけないはずなのに、その言葉がのどに詰まった。
己の犯した罪がなんであるのか、懺悔の時が近づいている。
そうであるならば、罪をつまびらかに白日の下に晒さねばならない。
けれど──
それを、ためらった。
それが、男の心をさらに軋ませた。
「俺は──」
男の言葉は、それ以上続かなかった。それは罪に押しつぶされたからではない。恐怖に嗚咽したからではない。
もっと驚異的で、物理的なものだった。
男の口が開いたのと、ほぼ同時だった。落雷のごとき轟音が鳴り響き、天井が吹き飛んだ。続いてやってきた衝撃波でその場にいた全員は吹き飛ばされ、瓦礫と化した家の中に埋もれることになった。
「フレイヤ、無事か!?」
粉々に砕け散った家の中から、血相を変えた男が顔を出す。コウスケは肩に突き刺さった木片を引き抜き、真っ先に守らねばならぬ少女を探した。
「ああ、こっちは大丈夫だ!」
「え、ええ。大丈夫よ。」
フレイヤはエミリアに抱えられ、咳き込みながら立ち上がった。
「い、いまのは、何?雷でも、落ちたの?」
「いいや、何者かに攻撃された!」
少女を守るようにコウスケとエミリアは互いに背を預け、見えない敵に武器を構える。しかし視界に入ったのは炎だけだった。天まで昇る黒煙が薄汚れた曇天を多い、肉を焼くさらなる悪臭が立ち込めている。
「これは──」
「攻撃された、だぁ?まさか、『アンドヴァラホルス』に勘づかれたか!?」
「いや、儂の家には防御の魔法を組み込んでおった!それも、宮廷魔術レベルのな!」
瓦礫を蹴とばし、弟を抱きかかえる青年の発した言葉に、ヴェルンドは反論した。額に汗をにじませ、そして空の彼方を睨みつける。
「だが、それを突き破った。『アンドヴァラホルス』に、このヴェルンドの魔法を破れる者はいない!ならば、誰がやったかなど分かり切っている!!コウスケ!!」
「ああ!分かっている──!」
男は苦渋の表情を見せながらも、既にその敵を見止めていた。
黒煙の遥か向こう、炎の海と化した街の中心。その上空に、その男はいた。
天を穿つ槍を携え、深紅の鎧を身に着けた戦士。何にも惑うことない炎の瞳を敵に向ける男が、仁王の如き風貌で空に立っている。
炎海の上に立つその様は、まさに”紅蓮の王”と呼ぶにふさわしかった。
そして紅蓮の王は瞬き一つせず、ただ一言、己が見据える敵にむかって、静かに命を下した。
「裁きを受けよ──隻眼!」
読んでいただき、ありがとうございます。
第4章は10月1日より投稿予定になります。
2か月お待たせしてしまうことになりますが、どうかご了承くださいませ。
それでは、また──
~第四章 予告~
「一人として、生かしてこの街を出すつもりはない。」
ヴァルキリーズが審問官、紅蓮の王による粛清が始まった。圧倒的な武力・魔法を持つルーフスの前に、コウスケは苦戦を強いられる。戦ってはならない。生き延びる手は国境を越える、ただ一つ。
だが、彼らの行く手をふさぐ者が現れる。
「うーん、私は戦うのが苦手なのですがねぇ。」
果たして、彼らの運命は──?




