085 決壊 (中)
「話が長くなった。強行突破でしか越境の術がない今、時間がない。端的に話を進めよう。」
コウスケの言葉に、Oの顔が引き締まる。
「……いいだろう。対等に取引してくれるってんなら、文句は言わねぇ。」
「よし。なら、俺はお前の弟をアクア連邦へ連れていくことを承諾する。その安全も、ある程度は保証しよう。だが、俺たちの越境の目的はヴァルキリーズから逃れるためだ。完全な保証はできん。」
「……何かやばいものに追われているとは想像していたが、まさかこの国の騎士様とはな。それで、さらにグルヴェイグにも狙われるたぁ、一体何をやらかしたんだ?」
「俺はこの国のお尋ね者だ。そして、彼女が狙われている理由はソウル・ブレイカー『海剣エーギル』の適性者だからだ。」
「エーギルといえば、俺も名前くらいは知っている。最強のソウル・ブレイカー、だったな。その適性者、ねぇ。」
信じられないという視線をフレイヤに一度向け、Oは口を開く。
「ハッ!なるほどな。グルヴェイグもやべぇが、そっちも、大概だな。」
「要求を取り消すか?」
「──ふん。そんなわけあるか。お前たちの事情に弟が巻き込まれる、そのリスクを承知の上で、俺はアクア連邦への亡命を申し出たんだからな。」
「……無謀もいいところだな。あたしには、理解できないね。」
エミリアの言葉に、少年は肩をすくめる。
「そうか?俺は、この中ではあんたが一番スラムについて理解していると思うんだが?」
「……」
「俺はスラムの人間だ。スラムに生きている奴は、死の臭いに敏感でね。そういうのには近寄らないんだ。」
「だったら、あたしらにかかわるのは相当キツイと思うが?」
「ああ、かなりキツイな。鼻の奥が焼けそうなくらい、ヤバい臭いだ。
けど俺は、自分から出てくる腐臭が、もっと嫌いなんだ。この、死を運んでくる臭いが、な。」
少年は笑い、己の手を見つめる。
「俺と一緒に来たら、弟は死ぬだけだ。俺には、弟を守るだけの力はねぇ。過程はどうあれ、弟はガラスになり、今日、片腕を失った。これは、俺が弟を守り切れねぇから起きた現実だ。このままいけば、弟はフライヤと同じ道を辿るだろう。」
「……」
「それなのに、俺はあきらめることができねぇのさ。あいつを守りたいという想いと同じくらい、殺意があるんだよ。守ることを最優先にしなきゃいけねぇのに、俺は、グルヴェイグへの殺意を抑えることができねぇ。」
少年は、男の眼を見ていった。
「俺は復讐を、堪えることができない。
俺の──白い小鳥を奪った奴には、必ず報いを受けさせる。そのためなら、俺はなんだってやってやる。」
「────」
その言葉は鋼の剣のように鋭く、固かった。
その瞳は火山よりも熱く、炎に燃えていた。
男にとって彼の意志は、二重の意味で鋭利であった。決して曲げられない、狂気に染まった意志の固さ。必ず目にすることになるだろうと、そう思った復讐という光景。たとえ矛先が自分に向いているものでなかったとしても、その光景は男の心を少なからず突き刺した。
だから、彼は認める以外の選択肢は残されていなかった。自分には「復讐」というものを止める権利はないと、彼は自分に十字を架していたからだ。
「──そう、か。」
「ああ。全くもって自分勝手も甚だしい話だが、弟が俺と一緒に来ることだけは避けなきゃいけないんだ。それに──」
少年は大きく息を吸い込み、言った。
「──それに、弟は泥棒ではない別の生き方が、まだできる奴だ。医学や魔法についてもっと詳しくなれば、医者にだってなれるだろう。俺と一緒に来たら、破滅しかねぇ。この機会は、きっとチャンスでもあるんだろうさ。」
「……」
「──いや、今のは余計だったな。取引に関係ない。話を戻そう。」
「そう、だな……」
「たしかにあんたらに弟を送ってもらうには、リスクがある。けれど、あんたらを追っている人間がヴァルキリーズなら、国境を越えてしまえばその心配はしなくていい。流石に騎士様といえど、国を越えて斬った張ったの大騒ぎはできねーだろうからな。」
「ああ。」
「さらに言えば、あんたらは狙われているといっても、グルヴェイグと敵対しようとはしていない。藪をつついて蛇を出すような真似はしないだろう?」
「まぁ、そうだな。」
「なら、あんたたちがグルヴェイグの撃退法を知っておくことは、俺にも利がある。弟の死の危険を少しでも取り除くことができるからな。」
少年はそういうと、マフラーを外した。
「俺がヒュンドラを倒せたのは、このマフラーを使ったからだ。このマフラーは、もともと俺の家族、フライヤが持っていたもので、彼女はこれを”すべての魔法を焼くマジックアイテム”だと言っていた。」
「すべての魔法を……焼く?」
「ああ。実際、俺たちはこのマフラーのおかげで何度も命拾いしている。『アンドヴァラホルス』の警備魔法や、殺し屋なんかとの殴り合いなんかでも、相手の魔法をすべて無効化できる代物だ。」
「ま、まて。それはまさか、『スルトの遺物』か?」
ふるえる声で尋ねたのは、ヴェルンドだった。
「正しいかどうかは分からないが、ヒュンドラはそう口走っていたな。」
「なん──じゃと──」
「ヴェルンド、あたしはそんなマジックアイテム聞くの初めてなんだが、なんだ、その『スルトの遺物』って。」
エミリアの問いに、ヴェルンドは身を震わせながら答えた。
「アクア連邦の一部で言い伝えられている、『神の武具』の一種だ。」
「神の、武具!?」
「ああ。だが、『スルトの遺物』は存在しないものとして神話学会で結論付けられた代物で、もしこれが存在するとなると、大変な意味を持つものなのだ。」
「スルトって、たしか『おとぎ話』の最後、世界の終わり『ラグナロク』で世界を終わらせた炎の巨人の名前、だったかしら?」
「あ、ああ。フレイヤの言う通りだ。スルトは物語の最後に登場する炎の巨人であり、焔でできた剣で世界を焼き払い、すべてを破壊したと言われている。そうして終わった世界に出来上がった新たな大地に住むのが我々だと『おとぎ話』では語られるが、スルトがラグナロクの後どうなったのかは、語られていない。
それで神話学ではスルトについて様々な説があって──」
「まったまった。神話学でスルトがどういう解釈をうけているかは別に今はいい。それより、『スルトの遺物』ってのはどういう武具なんだ?」
エミリアの問いに、生唾を飲み込んでから老人は答える。
「そ、そうだな。今はそれが問題か。
ええと、『スルトの遺物』は先ほどOが言ったように、すべてを焼く武具だと言われている。本来3つあるらしいが、言い伝えでは一つは失われ、残ったのは2つだけだという。それが槍と首巻だ。」
「そのうちの首巻が、このマフラーなのか?」
「いや……」
ヴェルンドは渋い顔を浮かべ、うなった。
「これが本物だとしたら、それは──それこそ海剣に匹敵する武具であろう。しかし、これは──なんというか、妙な感覚だ。」
「妙な感覚?」
「あ、ああ。魔素があるにはあるようだが……推し量れないというか……」
「?」
「いや、だめだ。儂には、分からぬ代物だ。」
「お前が、分からない代物、か。」
コウスケは目を細め、Oを見やる。
「そのマフラーはお前の家族が持っていたものと言っていたが、彼女はそれをどこで手に入れたのか分かるのか?」
「フライヤは最期までそれを言わなかった。だが今日、ヒュンドラがその出所について口走っていた。」
「……どこだ?」
「フリッグという人物から渡された、ってな。」
「な────」
「フリッグだって!?」
その言葉にコウスケは硬直し、エミリアとヴェルンドは身を乗り出した。
「フリッグといえば、モルスとグルヴェイグに並ぶアクア連邦の大魔術師──すなわち、三大魔術師だぞ!?」
「しかも、フリッグは現在行方不明。一体、どうやってそれをグルヴェイグが知りえて──いや、そもそもなぜフライヤはフリッグからそんなものを渡されたんだ!?」
「知らねーよ。それは、俺が聞きたいくらいだ。」
Oは苦虫を嚙んだような顔を見せる。
「俺はあいつについて、何も知らないんだ。2年も一緒に過ごしたのに、俺はあいつについて知らないことが多い。だから、俺は、あいつを──」
少年は大きく息を吐き出し、言った。
「あいつは、テッラ王国から逃れてきた商人の娘だった。だが、アクア連邦の風土病を患っていることを考えると、もともとはアクア連邦の出身だった可能性が高い。フリッグがアクア連邦にいる三大魔術師だってことは、俺も知っている。そいつからこのマフラーを渡されたなら、きっと、そういうことなんだろう。」
「……ひとつ、聞きたい。」
震えを抑えているような表情で、男は口を開いた。
「たしか、お前は言っていたな。俺たちの越境理由は、お前にとっても無関係ではない、と。」
「ああ、そう言ったな。まぁ、今となっちゃ、見当違いだったようだが──」
「いや。聞かせろ。」
「ん?」
青ざめる男の顔は、ミイラに似ていた。その形相は覇気あるものでは当然なく、焦燥にかられたひどいものだった。
なぜそんな顔をしているのか、全く分からない。ゆえに、Oは眉をひそめ、警戒した。
「なんだ?大丈夫か、おっさん。」
「……ああ、問題ない。ただ、お前の考えはきっと、無視できない代物だ。俺、個人にとって。」
「そ、そうか?」
一瞬気味の悪さを覚えた少年は、少しためらいながらも口を開いた。自分の早とちりだと思っている、己の憶測を。
「……一言で言えば、グルヴェイグは嬢ちゃんを狙っているんじゃなくて、嬢ちゃんと共通点を持っている子どもを狙っているんじゃないかと思っていたんだ。」




