083 交渉 (下)
兄の言葉に血相を変えたのは、弟だった。
「兄さん、何を言っているんだ!?」
「そのままだ。お前を、アクア連邦へ逃がす。」
「アクア連邦!?な、なんでそんなところに!?僕たちが行く場所は──
いや、そんなことよりもだ!僕が、兄さんが何を考えているのか──ううん、どんな想いでこの半年を過ごしていたのか、分かっていないとでも思っていたの!?」
弟の言葉に、兄は振り返らなかった。一切視線を動かすことなく、不動の岩のように立っている。
「僕だって同じだ!彼女を──フライヤを失って、悔しくないわけない!僕だって、彼女の仇を──」
「だから、だ。ほんとはこの話、最後にするべきだったんだ。」
「兄さ──!?」
ソルゲイルの視界が、突然歪んだ。
「言っただろ、お前の体はガラス。魔法にはかかりやすいって。」
「にい、さん──」
「ほとんど魔力がなくても、睡眠の魔法くらいはかけられる。フライヤが、よくやってただろ。」
Oはソルゲイルを抱きかかえ、近くの椅子へと座らせる。
その様子に驚いたのは、ほかの四人である。突然の弟への魔法の行使。そして唐突に明かされた少年の本当の狙いに、一同は対応しかねていた。
「悪い。話が止まっちまったな。」
「お前……」
「俺にはこいつの体を治してやらなきゃいけないっていう、大事な仕事がある。それにはテッラ王国の北の街、【シンドリ】って街に行かなきゃいけねぇ。」
「ソウル・ブレイカーの製造都市か。」
「やっぱ詳しいな、爺さん。なんかの鍛冶職人って情報を手に入れたとき予想はしていたが、まさかほんとにソウル・ブレイカーの作り手なのか?」
その言葉に、ヴェルンドは一瞬目を丸くした。しかし、無言でいるのは無意味と悟った老人は、小さく笑っていった。
「……まったく、齢15にしてそこまで探り出すとはな。末恐ろしくてかなわんな。」
「そいつは、この上ない褒め言葉だな。」
「それで、【シンドリ】がどうしたって?」
「【シンドリ】がってわけじゃない。テッラ王国に行かなきゃいけないってところが、問題になっちまったんだ。」
エミリアの言葉に、Oは肩を竦めた。
「ヒュンドラが、グルヴェイグの使い魔だった。これは俺の計画になかった、完全に予想外で致命的な障害だ。あの婆がテッラ王国を牛耳っているグルヴェイグで、国境を越えて魔法を行使してきたってんなら、奴の国の中ではいつ襲われるか分からねぇ危険がある。そして何より、忌々しいが、どうあがいても俺の実力では奴から弟を守り切れない。」
「それであたしたちに託すってのかい?」
その言葉に、Oは首を縦にも横にも振らなかった。
「いいや。俺は、他人にすべてを委ねられるほど能天気ではないし、信頼される人間でもない。だからできるのは──」
「取引、か。」
コウスケの言葉に、少年はうなずく。
「この世界で信用できるのはそれだけだ。そして、それを信用する奴で、この世界は回っている。取引を信用できない奴は、弱者だ。どんなに腕っぷしが強くても、駆け引きに恐れをなしてしまったら、終わりだ。利益と損失を見極められないなら、そいつはすべてを手放すことしかできなくなる。」
「……」
「だから、俺はあんたらに頼み事をするんじゃねぇ。取引を持ち掛け、交渉するんだ。」
「つまり、コウスケ達にSを連れることにメリットがある、と?」
ヴェルンドの言葉に、Oはうなずく。
「そこの嬢ちゃんが水売りの店で倒れたとき、そこのお姉さんは対処方法が分からなかっただろ。ソルゲイルには、できる。」
「……根拠は?」
エミリアは、冷静に対応した。目の前の少年はフレイヤを危険にさらした心底気に食わない泥棒であり、その言葉は彼女の神経を少なからず逆撫でするものだった。だが、それでも”取引”が意味するものを、彼女は理解していた。少年との取引には大きな利があることを、彼女は認識していたのである。
グルヴェイグという”世界最強の魔法使い”と刃を交えることは、少年同様テッラ王国に向かおうとするコウスケたちにとって必至であった。ゆえに、魔女に対抗する術が絶対に必要になる。しかし、その術を彼らは知らない。そんな中で、現にグルヴェイグの高等使い魔を撃退した少年の情報は、一字千金に値する価値があったのである。
そして、少年の眼差しは水売りの店主が自分に向けていた、”カモ”を相手にする視線などではなかった。対等な利益を提供すると訴える、まさしく”取引”をする眼であった。それを無下にする場合、自分たちはただOという存在を敵に回すだけという、一つのメリットもないことを、彼女は分かっていたのである。
「俺たちには、フライヤという家族がいた。」
「フライヤ?」
「ああ。2年半くらい前だったか、テッラ王国からこっちに亡命してきた商人の娘だ。あいつは……ヒュンドラ──いや、グルヴェイグに、半年前に殺された。」
その名前とその少女が辿ったという結末に、コウスケとエミリアは得体のしれない寒気を覚えた。
フレイヤと同じ、女神フレイヤから名を得ている少女が、なぜグルヴェイグに狙われたのか。その理由など一ミリも分からない。
なのに、全く根拠もないくせに、”関係ないとは言えない”という確信めいた謎の思考が、二人の脳を蝕んだ。
「それで、フライヤも嬢ちゃんと同じような症状を持っていてな。何の拍子でか、突然意識を失って倒れこむんだ。そして、高熱を出して寝込む。最初はすぐに回復するから気にしていなかったが、放っておくとこいつは重篤な状態を引き起こす。ある時、フライヤは高熱を出して倒れたまま、1週間も寝込んだことがあった。意識が混濁して何かをぶつくさと寝たまましゃべっていたよ。」
「そんな病、聞いたことがないが……」
「それは無理もねぇ。あれはアクア連邦の風土病。少なくともこの国にはない病だったからな。」
「アクア連邦の風土病?」
その言葉に、エミリアは怪訝な顔を見せる。
「……フレイヤ。小さいとき、アクア連邦に行ったことは、あるか?」
「い、いいえ。ないわ。」
「なら、それは見当違いではないのか?フライヤ──はともかく、この国から一歩も出ていないフレイヤは違うだろう。」
「なら、そこの嬢ちゃんに聞いてみるといい。”やたらリアルな幻覚”を、見なかったかってな。」
「!?」
フレイヤの表情が変わったことに、Oは満足げな、そして安堵するような表情を見せた。
「やっぱり、な。心当たりがありそうだぞ。」
「フレイヤ、本当か?」
コウスケが振り返ると、フレイヤは一瞬身をすくめ、小さくうなずいた。
「……そう、か。」
「フライヤも同じだった。既に亡くなった祖母が出てきて妙なことを言ってくるって幻覚をみたってな。」
「……それは、なんて病だ?」
「名前は、”バルドルの夢”。『おとぎ話』の一説、『バルドルの夢』って話から名前がとられているそうだが、そんなことはどうだっていい。問題は、これは魔素に影響を及ぼす病らしいってことさ。」
「魔素に、だと!?」
その言葉に顔色を変えたのは、ヴェルンドだった。
「まて、O。魔素に影響を与える病というものは、この世界では一つの言葉にまとめられる。それは──」
「ああ。じいさんが言おうとしていることを、ソルゲイルは俺に言った。
魔素に影響を与える病──それは、呪いだ。」
「呪い!?」
フレイヤの表情は恐怖に染まり、エミリアは驚愕した。
しかし、コウスケとヴェルンドだけは、別の意味で恐怖した。
Oの言葉は、二人だけしかしらない「とある仮説」を、立証してしまったからだ。
「『バルドルの夢』は、アクア連邦の風土病──つまり、アクア連邦の土地由来の”呪い”に中てられた者がかかる病らしい。まぁ、テッラ王国でいうところの、【ヴィーグリーズの大平原】の呪いと一緒なんだろうぜ。あそこはガチすぎて”呪い”が解明されていないが、多分即死級の病の温床なんじゃないかって、ソルゲイルは予想している。」
「…………」
「で、ソルゲイルはその”呪い”を解除する──解毒する方法を探し、彼女の症状について詳しく調べた。結果、ある薬が有効だということを突き止めたんだ。」
「……つまり、あんたはこう言いたいのか。あんたの弟は、フレイヤの病を治療できる、と。」
「そうだ。なんで嬢ちゃんがその呪いにかかっているのかは分からないが、治療方法のすべてはソルゲイルの頭の中に入っている。あいつなら、その答えを導き出すことだってできるだろう。」
「……ヴェルンド。どう思う?」
「え?あ、ああ。そう、だな……」
コウスケの言葉に、一瞬老人は面食らった。それが二人だけで会話した時のものを言っているのかどうか、判断に迷ったのだ。しかし、そうではないことを彼は理解し、そのことはまだ秘密であるとコウスケが訴えていることを、彼は承諾した。
「儂はもともとアクア連邦の出身だ。あそこの呪いの地、に関してはいろいろと調べているが……『バルドルの夢』なんて病は初めて聞いた。Oよ。おぬし、いったいそれをどこで知った?」
「『アンドヴァラホルス』の蔵の中だ。魔法書やら魔法具やらが山のようにあるところから、ちょいと医療文献を拝借してね。そいつに書いてあった。今はソルゲイルが持っている。」
「……もしかして、だが。」
コウスケは、すぐにその文献の出どころを推察した。
「そこに、この街に使われている麻薬についての記述はなかったか?」
「ん?ああ、確かにあったな。」
「それはもしや……非常に小さな精霊を原料にしている、ということはないか?」
「……よく知っているな。そうらしい。それが、どうかしたか?」
「……」
コウスケは一呼吸の間、思案した。そして何の確信を得たのか、彼の瞳にはなぜか後悔の色が見えていた。
「いや、なんでもない。」
「……まぁ、いい。話をもどすと、だ。俺はあんたらに、弟のアクア連邦への亡命を要求する。あいつが、望まなくても、だ。」
「それじゃあ、あたしらへのメリットは少ないぞ。当の本人はあんたと別の場所に行くことに反対していたようだ。本人が協力してくれなければ何も得られない。」
「それに、俺はもう一点気になっていることがある。俺たちの目的地がアクア連邦だなんて、一度も話をしていない。なのになぜそうだと思った?」
エミリアとコウスケの言葉に、Oは肩を竦める。
「そりゃ、何を買っているか調べてたら、大体分かる。俺だってテッラ王国へ行くことを考えているんだ。目的の町まで行くのに、どの街を経由して、その街で何を手に入れればいいのかを計算した。
あんたらの購入品は、妙に多かった。しかも、日持ちのする保存食ばかりだ。近くの街に行くだけならそんなものは買わない。だから、遠方の街だと思った。俺も遠方の街に向かうが、あんたらのそれは俺のものよりも多い。多少は道中で仕入れるつもりなんだろうが、おそらく他の街には目もくれず、目的地まで突っ切って行く算段だと思ったんだ。」
「……」
「そんなに急いで、俺とは違うもっと距離の長い旅路をするってんなら、アクア連邦との国交を開いているっていう、【スルーズヘイム】あたりが妥当だろうと、そう思った。」
「……たいした推察だな。」
「そりゃ、これくらいできなきゃ生き残れないんでね。
あんたが射的の賭場でメルセナリオの投擲を防いだ時、俺はあんたに協力の交渉を持ち掛けることになるなんて、想像もしなかった。俺があんたらについて調べたのは、ヒュンドラからそこの嬢ちゃんの指輪を要求されたから、だしな。」
そこまで言って、Oはふっと笑った。
「まったく、俺の取引ってのは、いつもこんな感じで行き当たりばったりでね。ソルゲイルのことは、ちゃんと取引をしてから言い出すつもりだったんだ。じゃなきゃ、そこのお姉さんが言ったように、メリットがよくわからないだろ?」
「ようやく、交渉するための取引に話が戻ってきた、ということか。」
「そういうことだ。」
少年はそういい、顔から笑みを消す。
「俺は、あんたらに情報を共有する価値があることを示そう。
そのために俺は、グルヴェイグの使い魔を撃退したこのマフラーがどこで作られ、そして、どこで手に入れられるのかを話すとしよう。」
※次回は土曜日更新予定




