082 交渉 (中)
「あれが、”黄金の魔女”の使い魔!?」
「そうだ。」
「いや──いやいやいや。ちょっとまてよ。」
Oはありえないと首を振り、冷や汗を流しながら笑っていった。
「グルヴェイグ──”黄金の魔女”だって?馬鹿言うな。スラムの出身である俺ですら、その名前は知っている。テッラ王国の首都【グリトニル】から一歩も出てこねぇ巫女だろう?あんた、【グリトニル】がどこにあるかわかってんのか?」
「ああ。」
「大陸の西の端だぞ!?ここは大陸の中央、ど真ん中だ!馬車で走ったって一月、いや二月以上かかるほど離れているんだぞ!?この【アウルヴァング山脈】を越え、【ヴィーグリーズの大平原】の向こう側、光の都【ブレイザブリク】のさらに奥なんだぞ!?
そんな遥か彼方の地から、使い魔を放ってきたってのか!?」
「そうだ。奴の魔法は海すら超える。実際、俺はアクア連邦の地で、奴の使い魔に遭遇したことがある。」
「な──」
驚愕する少年に、ヴェルンドがうなる。
「あの魔女は三大魔術師の中でも”最強”じゃ。グルヴェイグは魔法に制約のかかる『セイズの末裔』でありながら、この世すべての魔法が使えると言われている。吐息で天候を操り、指先で山の高さを調節し、視線で森を歩かせる魔法を行使する、化け物中の化け物だ。あまりの力の強大さに言動一つ一つに”奇跡が起きる”とまで言われる、常軌を逸した存在だ。」
「俺たちが戦った相手は『黄金兵』。グルヴェイグが使役する、下級戦闘型使い魔だ。」
「下級!?街が半壊しているのにですか!?」
ソルゲイルの驚きに、コウスケはうなずく。
「ああ。あんなもの、グルヴェイグは瞬きの間に数十体作り出せる。奴の宮殿には『黄金兵』が常に百体徘徊しているそうだ。」
「ひゃ──」
「……一人で戦争を起こせそうな奴だな。」
Oの言葉に、ヴェルンドは目を細める。
「実際、それくらいに奴は強い。あの魔女の名が知れ渡ったきっかけとなる戦争に、アクア連邦【シドレスク】との戦争がある。
当時【シドレスク】はアクア連邦最大の軍事国家として名が知られ、そこには6人の魂喰者の将軍がいた。誰もかれもが強力な魂喰者で、負けることを知らぬ勇猛果敢な戦士だった。現在の【イースラント】女王や【ウプサラ】の『老翁』、さらには【バルンストック】の英雄シグルズと肩を並べるほどだったという。
だが、そんな将軍たちの栄光は、たった一人の魔女の、たった一撃の魔法で灰になった。」
「たった一撃で?」
「ああ。グルヴェイグは手を天にかざし、ただ”消えろ”と言ったそうだ。すると、刃を向けていたはずの将軍たちは一瞬にして、文字通り消されてしまった。」
「……信じらんねぇな。」
「だが、歴史は事実を物語っている。その後の【シドレスク】は悲惨なものだった。将軍を失った国家は一瞬にして蹂躙され、領土であった3つの島すべてを失った。領民は女子供問わず奴隷になり、国王は黄金の彫像に変えられ、魔女の”椅子”に作り変えられた。」
「そん、な……」
その言葉にふるえたのは、フレイヤだった。
「そんな恐ろしい人が、なんで、『黄金教』の巫女様をしているの!?」
「巫女様、だぁ?」
Oのあきれたような言葉に、エミリアの険しい視線が注がれる。しかしエミリアが口を開く前に、少女は少年に食ってかかった。
「な、なんで!?だ、だって、『黄金教』よ?『黄金教』は『おとぎ話』を信じる人たちがつくった、『天国』に行くための『教え』なのよ!?あ、あんなに、きらきらした“おとぎの世界”を語っているお話を信じている人が、どうしてそんなに──」
「はぁ?どうして邪悪なのかっていいたいのか?おまえ、この世界をなんだと思っているんだ?ここは殺戮世界『カーニッジ』だぞ?たかだか『おとぎ話』に、何を夢みていやがる!?」
フレイヤの中で、何かが割れる音がした。罅が入る音がした。
白い光。まばゆいばかりの春の日差しの中で、本を開く一人の女性。その膝の上で「続きを読んで」とせがむ幼い少女の姿が見える。その景色に、その本をめくる女性の顔に、ひびが入った。
数少ない幸せな記憶に、亀裂が入った。
「いい加減にしろO。」
少女をその光景から意識を取り戻させたのは、ひとりの女だった。
「誰が何を信じるかは人の勝手だ。それに救いを見出す者もいる。確かにあの魔女は化け物だが、『黄金教』そのものは、もとはそういうもんじゃない。昔っから存在しているものだ。
それになにより、『おとぎ話』ってのはな、親が子に話して聞かせるものなんだよ。だから──」
エミリアは、はっきりといった。
「他人が、人の家族の思い出を、汚すんじゃない!」
その言葉に、少女は何を感じたのだろうか。
安堵か?郷愁か?
たしかに、それはあった。けれど、それだけではなかった。
そのあとに続いた、こみあげてくるものが、何か分からなかった。
両の眼を見開くその表情は威嚇でも、叱っているものでもなかった。
斜めに見上げて見えるその横顔は、とても頼もしかった。
いいようもないほどに、暖かった。
それこそ、わが子を守る親の顔だった。
「……ふん。」
Oは鼻を鳴らすと視線をそらし、それから口をつぐんだ。するとその代わりに、言いにくそうにソルゲイルが口を開く。
「え、ええと……そ、それであのヒュンドラが魔女グルヴェイグの使い魔だったとして、なぜこんな所にいるのでしょうか?」
「……たしかに、それは儂も腑に落ちぬな。
あの魔女は欲にまみれた女だ。そんなやつが、なぜこんな、薄汚れた街にいる?
いや、まて。まさか──」
「フレイヤ、だろうな。」
「!!」
その言葉に、少女が身をすくめる。
「グルヴェイグがフレイヤの存在をかぎつけた、と見ていいだろう。」
「それで攫おうとした、というわけか……」
「ああ。」
「ちょっといいか。」
コウスケの言葉に、Oは眉をひそめる。
「グルヴェイグが嬢ちゃんを狙う理由はなんだ?今あんたらは狙われた理由が本人にある、みたいなことを言っているようだったが、俺は持っている“指輪”をもってこいと言われただけで、本人の誘拐なんて命令されていなかったぞ。」
「何?じゃぁ、なんのためにフレイヤを誘拐したんだ。」
女の言葉に、泥棒は大きなため息をつく。
「んなことしてねーよ。俺はそこの嬢ちゃんと“取引”したんだ。大体、さっきSがそれについては説明しただろ?」
「いいや。指輪を要求されていたということは分かったが、なぜフレイヤが必要だったのかは聞いていない。」
「チッ。」
Oは面倒くさそうに、そして忌々しそうに言った。
「持てなかったんだよ、その指輪。」
「持てなかった?」
「ああ。本来の持ち主以外が持つと呪いがかかる指輪なのか知らねぇが、そいつを持った時、強烈な“反撃”を食らった。腕が引きちぎれるかと思うほどの、な。」
「……」
エミリアは少女の首にかかっているネックレスに目をやった。白銀の鎖につながれた、一つの指輪。大きな黄金の指輪からは特に何の魔力も感じなかった。
けれど、彼女には見当がついていた。きっとその“反撃”は、父親であるニョルズによるのものだ、と。あの日、Oに指輪を奪われたあの日、掃き溜めの腐った空気を貫く、海のように雄大で猛々しい魔力が、気配が立ち上った。戦場で目にしたこともある、一人の勇敢なる戦士の気配。決してそこにいるはずのない、亡きニョルズの気配であった。
「……フレイヤ、その指輪は……父親のもの、なんだよね。」
「ええ。そうよ。何かの魔法なんて、そんなものかけられていないと思うわ。」
「ヴェルンドは、どう思う?」
「その問いには、わしは答える資格がない。わしは魔法具の作製には自負がある。だから、その指輪には……魔法などないように、見える。じゃが……ああ、そうだな。」
老人は懐かしむような、悲しそうな顔をした。
「それにはきっと、想いが込められているのだろうよ。」
「……そうか。」
エミリアは静かに、その言葉を噛みしめた。フレイヤの話によれば、その指輪はニョルズが処刑されて三年後、『冬至の祭日』に突然家に“もどってきた”ものだった。少女はそれを神様からの賜りものだと言ったが、エミリアは信奉者ではないし、現実を見る戦士であった。ゆえに、それが“誰か”の手によって彼女のもとへ運ばれたのだということは、分かっていた。
それが“誰か”は分からないが、父親が処刑されてから返ってきたというのであるから、ニョルズがこの世を去る時にもその指輪は彼の指に収まっていたということだけは、間違いなかった。
なら、と、エミリアは考えずにはいられない。娘の手から離れた指輪が、魔力を放った。それがニョルズの想いであるならば──
(ニョルズは──どんな想いで、最期を迎えたんだろうか。)
金の腕輪を回す女の視線は、それを知るであろう人物へと注がれた。
その男はただ黙って、瞳を閉じていた。ただそれしかできないと、その表情は語っていた。
「しんみりしているところ悪いんだが、結局お前たちが考えている理由は何なんだ?」
Oの言葉に、コウスケの瞼が開く。
「……どうしてそれを聞く?それを聞けば俺たちの事情に首を突っ込むことになる。“スラム街のO”と呼ばれたお前が、俺たちの“越境理由”を聞いていいのか?」
「ああ。多分だが、きっとその理由、俺と無関係ではないだろうからな。」
その言葉に、コウスケは眉をひそめる。
「なぜだ?」
「……俺は俺なりに、自分の持つ情報を基に推測を立てた。なぜ、俺の家族は殺されたのか、ってな。けど、どんなに考えても、分からなかった。こいつと、ヒュンドラの元に行くまでは。」
「……まて。どうして、お前の家族が殺されたことフレイヤが狙われることと関係がある?そもそも、お前の家族というのは一体、何者──」
「関係があるかどうかはわからねぇよ。お前たちの話を聞いたわけでもないし、俺の推測には、明確な根拠もねぇ。
だから、取引しに来た──いや、交渉をしに来た。」
コウスケの言葉を遮り、少年は言う。
「さっきも言っただろう?俺たちの目的は、確かに越境が第一だ。
だが、俺の目的は、復讐なんだよ。」
「兄さん?」
「これは、身勝手な目的だ。弟は、関係ない。」
「まって、兄さん。関係ないなんて、そんなこと──」
「俺は、Sに復讐の話を一度もしたことなんてねぇ。」
反論しようとする少年を無視し、兄は話を進めた。
その言葉に、コウスケの目が光る。
「流石に無謀だぞ。それに……あの魔女がそんな言い訳を許すと思うか?」
「……たしかに、相手が三大魔術師ってのは予想していなかった。ぶっちゃけ、あの使い魔一体に殺されかけていたのは事実。全く仇を打つビジョンなんて見えやしない。
けど、俺はわがままな泥棒でね。自分のほしいものを手に入れないと、満足できないんだ。」
「それは……身を亡ぼすだけだぞ。」
「ああ。最後にはそうなるかもな。」
「兄さん、ちょっとまって。まさか──」
「けど、あきらめてなんてやるものか。弟は、巻き込まない。それでいて、復讐は必ず遂げる。
だから、俺はあんたに取引を持ち掛けた。交渉の場に、つくために。」
「おまえ、まさか──」
「そうだ。悪かったよ、おっさん。俺の要望は、もう一つだ。」
少年の瞳はまっすぐに、静かに、そして強く訴えた。
「この弟Sを──いや、ソルゲイルを、アクア連邦へ逃がしてやってほしい。」




