081 交渉 (上)
「それで?どうして儂の工房なんだ?」
大の大人が二人に子どもが三人。すっかり手狭になった部屋を眺めながら、ヴェルンドは腕を組む。
「勝手に人の家を落ち合い場所にするとは……人を招く用意など、この家にはないのだが?」
「そういうなよ、じいさん。あんたと俺の仲だろう?」
Oの言葉に、ヴェルンドはため息をつく。
「Oよ。確かにおぬしと儂は知り合いだ。だが、儂はおぬしを家に招くほどおぬしと仲が良かったか?それにそもそも、おぬしに家の場所を明かしてはいないのだが?」
「そんなもん、調べるに決まっているだろう。なんせ、あんたは俺たちの隠れ家を知っている。万が一『アンドヴァラホルス』に密告するような奴だったら命に係わる。あんたがこの街に来た理由まで知る必要はないが、流石に信用していいやつかくらいは調べないと安心できないだろ。
まぁ、家を突き止めるだけで精一杯だったんだが……」
「おい、ちょっとまて、ヴェルンド。あたしは落ち合い場所がどうのの前に、そもそもなんでこのコソ泥とあんたが知り合いなのかの方が気がかりなんだが。」
エミリアが怪訝な顔をすると、ヴェルンドは肩をすくめていった。
「取引したのだ。儂が求めるものを手に入れる代わりに、彼らに報酬を渡す、というな。」
「また、取引か。泥棒のくせにどんだけ商談を抱え込んでいるんだか。」
エミリアの呆れ顔に、Oはふん、と鼻を鳴らす。
「こんなもんは【掃溜めの街】じゃできて当然。じゃなきゃ生き残れねぇからな。」
「まぁ、本当にいつも“生き延びた“って感じの取引だけれどね。」
「おい。」
わざと声を発したソルゲイルに、泥棒は冷ややかな視線を送る。
「事は単純だ、『光の弓』よ。儂は鍛冶職人だ。たとえ逃亡中の身であろうと、魔法具の製作を怠ることはしない。だが、なにを作るにせよ、材料は必要だ。儂は良質な鉱石を求めてあちらこちらを探しまわっていてな。するとちょうど、古い炭鉱がこの街の近くにあることを知った。それでそこに出向いたら──」
「僕たちがそこを拠点にしていたんです。」
ガラスの少年が、エミリアに説明する。
「当然兄は存在を知られたこのおじいさんを殺そうとしましたが、それこそ当然の如くボコボコにされまして。」
「おい。それは言う必要ないだろ。」
「それで、おじいさんが“鉱石”を探していると聞きまして、それなら取引ができると思ったんです。」
「なに、彼らの石を見る”目”がなかなかなものだったのでな。少し、任せても良いと思ったのだ。何しろ鉱石を取るために毎度この老体に鞭を打つのは、ちと厳しいのでな。」
「そう言うわけで、僕らはこのお爺さんと鉱石を売買する仲になったんです。」
「それで、Sよ。なぜお主らはコウスケ達と一緒に今ここにおる?」
「では、僕が説明します。」
それからソルゲイルは、これまで起きたことの経緯をヴェルンドとコウスケ、エミリアに全て話した。テッラ王国へ入国するために『先祖合戦』に出ようとしていたこと、アンドヴァラホルスに狙われているということ。それらの理由とヒュンドラに協力を仰いでいたこと、そしてフレイヤの指輪を狙ったこと。そして、ヒュンドラとの交渉の決裂を話した。
「……なるほど。ガラスになったのは、やはりテッラ王国側のソウル・ブレイカーの影響だったか。テッラ王国へ行くのは、その解除のため、か……」
憐れむような顔をするヴェルンドに、その話はするなと言わんばかりの勢いで、Oは老人の最初の問いに答えた。
「さっさと話を戻すぞ。
今やこの街は大混乱だ。”どこの誰がやったかわからねぇ戦闘行為”で街は半壊。”溢れた負傷者”と”誰のものでもなくなった財産”に、”蟻”が群がっている状態だ。当然『アンドヴァラホルス』は混乱の元凶を躍起になって探している。その状況下で街の外に出るやつがいたら、怪しまれる。俺たちの家は町の外だからな。家に戻るわけにはいかねぇんだ。
……ほんと、どこの誰がやったんだか。」
泥棒が向けた視線に、エミリアは鼻を鳴らす。
「どこぞの泥棒が身の丈に合わない誘拐なんてしなければ、何も起きなかったと思うんだがな。」
「あ?」
「……俺たちが泊まってる宿は通りに面している。俺たちはともかく、そこのガラスの少年が出入りしていたら流石に目立つ。」
Oを無視し、コウスケは言う。
「その点、お前の家には認識阻害の結界が張ってある。見つからずに落ち合うにはここしかなかった。」
「あたしとしては、あたしたちが泊まっている宿に泥棒を招くわけにはいかないってのが本音だけどね。」
「それで人の家とは……はた迷惑な……」
エミリアの言葉に、ヴェルンドはため息を漏らす。
すると、どうすればいいか全くわかっていない少女が声をあげた。
「あ、あの、ご迷惑をおかけてしまってごめんなさい。」
「ん?あ、いや、おぬしが謝る必要はない、フレイヤ。それにここを選ぶ必要があるのはそれだけではないのだろうからな。
そうであろう?コウスケよ。」
ヴェルンドに問われ、コウスケは小さくうなずいた。
「状況が思っていた以上に深刻化している。お前の助けを借りたい。」
◇
「『黄金兵』、だと──!?」
コウスケの話を聞くや否や、ヴェルンドは血相を変えた。
「この街に、奴がいたのか!?本当に!?」
「ああ。この街の半壊は、使い魔『黄金兵』との戦闘……いや、ほとんど一体の『黄金兵』が暴れたせいで起きた結果だ。”奴”が魔術を使える高等使い魔をこの街に放っていたことは確実だ。」
「では、その高等使い魔は今どこに?」
「そこのOが倒したらしい。」
「なんじゃと!?」
さらに信じられないと、ヴェルンドは少年を見る。
「ま、まさか本当におぬしが倒したのか!?あの、『黄金兵』を作り出す使い魔を!?」
「ちょっといいか?」
息の上がった老人を静止し、Oはコウスケとエミリアを見やる。
「俺は”取引”に来たんだ。勝手に話を進めるな。
俺はあのヒュンドラって婆の正体に関する情報の開示を求めた。俺があいつをぶっ倒したのは事実だが、その情報は商品なんでね。まずはヒュンドラの正体について教えてくれなきゃ始まらないな。」
「取引を持ち掛けたのはお前だろう、O。だったら、あんたから話すべきじゃないのか?そのマフラーについて、な。」
エミリアの言葉に、Oは目を細める。
「たしかにな。
だが、それもフェアじゃないだろう?何しろどうやらこの交渉には、前提としてあの婆の正体を知っていなければ話が進まない、という点があるようだからな。話をスムーズに進めるなら、先にそっちから奴の正体くらい話をしてくれたっていいだろう?」
「ならば先に一つだけ聞いておこう。それを知って、お前はどうするつもりなんだ?」
コウスケの言葉に、少年は一瞬口をつぐんだ。
そうしてから、彼は静かに言った。
「──この街で、”理由”を聞く意味わかっているんだろうな。」
「ああ。だがすでに俺たちはお前たちの越境の目的を聞いた。その脅しは意味をなさない。
それに、その必要もない。お前が越境のために提案しようとしている考えは、すでに俺も考えている内容だからだ。O。」
その言葉に泥棒は目を丸くして驚き、そして高揚した笑みを浮かべた。
「……へぇ。そっちの話を今の時点で出してくるとはな。これまでの会話だけで気づいたのか?」
「当たり前だ。お前たち二人とも、交渉においては相当な場数を踏んでいる。どんな情報を、いつ、どのように、どの程度開示してくるか注意するのは当然だ。」
コウスケは泥棒とガラスの少年を見て、目を細める。
「ヴェルンドが取引に応じた理由も納得だ。そこのガラスの少年も、この世界について、よく理解している。
彼はさきほどの経緯の説明に、わざわざ越境の理由を入れていた。自然な流れであり当然の情報の開示だが、この街で越境の理由を聞くことは犯罪歴を聞くようなもの。口封じに殺されかねない危険をはらむものだ。
だが、理由を開示する側にとっては、一つだけメリットが存在する。己が持っている厄介ごとに相手を巻き込もうとしている場合だ。」
「……」
「お前たちが俺たちに持ち掛けた交換条件は二つ。ヒュンドラの情報と越境だったな。」
「そうだな。」
「お前たちにとって越境における本当の問題は、金銭ではなく『門番』なのだろう?」
「……なぜそう思う?」
「何しろ、『アンドヴァラホルス』と『門番』はつながっている。『アンドヴァラホルス』のものを盗んで彼らから狙われているお前たちは、どうあがいても『門番』という難所を越えられない。お前たちが越境するには、同じように越境を目的とするやつらの荷物などに隠れてやり過ごす以外に方法がない。
つまり、お前たちにとって最終的に必要なのは、黄金ではなく協力者だ。」
「……」
「お前たちのもともとの越境計画はこうだ。
まず越境するための黄金を用意し、取引に応じそうな、金に困っている獲物を見つける。
次に彼らに幾ばくかの黄金を渡すなどして、自分たちが有用だと思わせる。そうしてから、越境に同行させるよう迫るんだ。」
「……そんなもの、裏切られるだけなんじゃねーのか?」
Oの言葉に、コウスケはうなずく。
「その通りだ。この世界に、善人なんていない。ましてやここは【掃溜めの街】。相手をどう利用するかしか考えていないやつばかりだ。お前の話に協力しようなんて言ってくる人間は、取引が一番安全であるということを認識している”相当な切れ者”でない限り、十中八九お前たちを『門番』に売り飛ばすことを考えている奴だ。この街には、そんな頭の切れる者はそうそういない。ほとんどは後者になるだろう。」
「……なら、どうするんだ?」
「だが、最初から裏切られるとわかっているのなら、対策の立てようはある。
裏切ったらどうなるかを、相手にわからせればいい。
そしてその一番の方法が、自分が越境する理由を明かし、自分のトラブルに相手を巻き込むことだ。」
「……」
「これは特にお前たちにとって最高の手になる。なにしろ、お前たちが『アンドヴァラホルス』に狙われている理由が、特殊だからだ。
魔法道具に触れただけで体がガラスになった、など、そうそう聞かない話だ。そういう場合、その品物は”秘密”にされている可能性が高いだろう。しかもそれがソウル・ブレイカーなんてものになればなおさらだ。ソウル・ブレイカーの製造には国の中枢が絡んでいる。そんなもの、秘密にされていないなんてありえない。」
「それで?」
「お前たちを『門番』に引き渡そうものなら、自分も秘密を知っていると言うようなものだ。体がガラスになっている少年に出会っている時点で、知らぬ存ぜぬでは押し通せないのは明白だからだ。
──で、秘密を守るためにお前たちを狙っている組織が、秘密を知った奴の越境を、果たして許すだろうか。」
「──ふ。」
コウスケの言葉に、泥棒はゆがんだ笑みを浮かべた。
「安心したぜ。そこの嬢ちゃんと会話をしたときは、正直、保護者のあんたが取引のできるやつかどうか疑わしかった。だが、そこまで俺たちの思考を考え、この街のルールを知ってものを言えるんだったら、間違いねぇ。あんたはこの街にそうそういない”切れ者”のたぐいだな。」
「……それで?ヒュンドラの正体を知って、お前はどうするつもりなんだ、O。」
「なんだ?先に越境の話でもするかとおもったが?さっき、あんたは越境の方法について俺と同じ考えがあると言っていた。俺たちがあんたらを俺たちの事情に巻き込んだというところまでわかっているなら、もう答えは一つしかないと思うんだがな。」
「お前も言っていただろう、この話は先にヒュンドラの正体について、共通の認識を持っていなければ話が進まない、とな。だから、そちらの理由を聞くのが先だ。」
「……ふん。」
少年の視線が、一瞬だけフレイヤに向いた。そうしてから彼は瞳を閉じて、静かに言った。
「仇打ちだ。」
「仇?誰のだ?」
「家族の、だ。」
「…………」
その言葉は、その場にいた全員の表情を、それぞれに変えさせるものだった。
ここにいるものは、全員が全員、家族に対してそれぞれの事情を抱え込んでいる。ヴェルンドは孫を守ろとするため、宮廷から逃げ出した。エミリアは子どもたちを養うために誰かの親を殺し、そして最後には子どもたちを失った。フレイヤは家族を反逆者として失い、孤児になった。
そして、コウスケは──
「……」
思わず、フレイヤに目をやらずにはいられなかった。
彼女はなぜ自分に目をやったのかわかっておらず、首をかしげている。
だが男には、呪いの人形が首をかしげているようにすら思えてならなかった。
静まり返った空気を吹き飛ばすように、少年はぶっきらぼうに言った。
「これでいいだろう?さぁ、話してくれねぇか?あの婆が使い魔なのはわかっている。人格を持った使い魔なんてもの作れる化け物の正体は、なんなんだ?」
Oの言葉に、三人の大人の表情が強張った。
エミリアは額に汗を流し、ヴェルンドは一度身を震わせた。
そしてコウスケは、一度大きく深呼吸をしてから、その正体を口にした。
「……奴の名はグルヴェイグ。『黄金教』における最高指導者『黄金の巫女』と呼ばれる存在であり、テッラ王国を操る現三大魔術師が一人。」
「──は?三大魔術師だって?」
驚愕する少年に、男は言った。苦渋の表情を浮かべ、怒りに満ちた低い声で。
「そうだ。あの女は、世間からはこう呼ばれている──」
”黄金の魔女”、と──




