表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

79/88

079 慟哭

「ぎゃぁぁぁああああ!」


 少女には似つかわしくない、狂った悲鳴が聞こえてきた。


「……なん、だ?」


 頭が痛い。視界がくらくらする。それに、なんだか焦げ臭い。


「いってぇ。何が、起きた?俺は、フライヤと……」


 そういってから、俺の思考は冴えた。()()()()()。死んだフライヤと会話するなど、有り得ない。そしてそれ以上に、弟を放って死ぬなんて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それは、一体何故だ?それは、魔法を掛けられていたからだ。あの、老婆に──


「ソルゲイル──!」


 俺は全てを思い出し、起き上がって弟を探す。

 だがそれをする前に、眼前の状況を叫ばずにはいられなかった。



「!?な、なんだ!?炎!?何が起こっている!?」





 状況は、この上なく危険な状態だった。口調の変わった老婆は蛇のような動きでO(オー)を締め上げ、顔面を鷲掴みにしていた。壁一面に謎の黄金虫が這いまわり、扉を覆って逃げ道をふさいでいる。


「あ、あ──」


 その光景に、フレイヤは戦慄した。何が正しい行動かは分からなくても、その光景は自分がとった行動が“間違いだった”と気が付くには、十分すぎた。数分前とは何もかもが異なる状況が、その全てを物語っている。

 そして今、その“間違い”が極限へと収束せんとしていることの象徴たる言葉が、禍々しい老婆の口から放たれた。


「さぁ、死になさい、愚かなオッタルよ!」

「やめろ!!」


 走ったのは、もう一人の少年だった。光り輝くガラスの少年。殺されかけている少年のたった一人の弟が、フードを脱ぎ捨て、七色に輝く拳を老婆めがけて振り下ろす。

 だが──


「あ──」


 その腕は、老婆に触れる前に砕け散った。周囲を這いずり回る黄金の蟲が矢のように飛び立ち、少年の腕を貫通したのである。


「──ッツ!」


 少年が膝を着く様を見て、老婆は嗤った。まるで苦しむ様を観るのが楽しくて仕方がないというように、老婆は金属音のような高い乾いた笑い声で、少年をあざ笑った。


「アッハハハハハ!いいわ、いいわ!その顔よ!そういう顔って、ほんっとうに最高だわ!()、黄金と同じくらい、そういう顔を観るのが大好きなの!!他人の運命を握っている、この快感を味わうのが、何よりも楽しいわ!」


もはや声は老婆のそれではない。甲高い女の声は、明らかに別の、若い女の声だった。そしてその“若い老婆”は、直ぐにその欲を満たさんと次の行動に打って出る。


「さぁ、次はあなたよ、愚かなオッタル!さぁ、自分で自分の心臓に、ナイフを突き立ててしまいなさい!!それが、あなたの『運命』よ!!」


 顔面を鷲掴みにされて抵抗していたはずの少年の動きが、ぴたりと止まる。そして彼の手が、ゆっくりと自身のナイフを引き抜いた。


 その瞬間だった。白銀に光るナイフを視た瞬間、彼女は叫んだ。


「ダメッ!」


 コウスケとエミリアは、フレイヤを守るために迫りくる敵を殺した。そんな事実をなんとかしたくて、フレイヤは戦う術を求めた。敵を撃退できるようになりたいと、武器を願った。彼女は自分のせいで人が死ぬことを、誰かを殺してしまうということを強く拒絶した。この世界の人間にとってそれは普通ではなくても、彼女という人間は、誰であれ殺されるべきではないと、そう考えていた。

 だから彼女が走るのは、当然だった。

 ()()()()()()()()()()()()。ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()。それが自分のミスによる結果の出来事なら、尚更だった。

 具体的な解決策など、少女は持っていない。ただ、自分の嫌なことが目の前で起きてほしくない。その一心で、彼女は走った。


 だからその結果は偶然で、奇跡というべきものだろう。たとえその現象になにかの因果があったとしても、少女にはそれが引き起こされるなどとは一切思っていなかったし、そもそも何なのか分からなかった。だからその現象を、その結果を解明する者はおらず、ただ「奇跡」と言うしか、今はまだないのである。


 ナイフを握る少年の手に触れた瞬間、稲妻が部屋を走った。強烈な電撃が老婆を襲い、老婆は思わず手を放した。そして同時に、少年のマフラーから、炎が沸き上がった。


「ぎゃああああああ!!」


 全ては一瞬だった。稲妻が走ってからの炎の出現、そしてその炎が黄金の蟲と老婆を包み込むまでにかかった時間は、瞬きもする間もなかった。


「な、なんだ!?炎?何が起こっているんだ!?」


 正気に戻ったO(オー)は突然の火の海に驚き、周囲を見渡した。のたうち回る老婆に、気を失ったフレイヤ、そして腕を失った弟を見て、少年は血相を変える。


「ソルゲイル!お前その腕いったい、どうしたんだ!?」

「兄さん!よかった!正気に戻ったんだね!」

「ああ、俺は正気だ。だが、お前こそどうしたんだ!何があった!?」


 駆け寄ろうとする兄を止め、ソルゲイルは叫んだ。


「僕は大丈夫!それより、ここから脱出しないと!兄さん、フレイヤを連れ出せる!?」

「は、はぁ!?な、なんでこんなやつ──」

「いいから速く!このままじゃ僕らも焼けてしまうよ!?」


 そう、ソルゲイルが言った時だった。炎の中から、おぞましい蟲のうめき声が響いてきたのは。


「忌々しい!!()()()()()、その炎か!」

「いっ!?」


 炎の中に、どろどろに溶けた蝋人形のような顔をした老婆が立っている。その有様に、二人の少年は目を剥いた。


「こいつ、この状態で死なないのか!?」

「黙れ愚かな者よ!滅びの炎をまき散らす、“黒き者(スルト)”の遺物を持つ者よ!セイズを焼く、愚かなる俗物めが!」


 老婆はよろめきながら悪態をつく。


「その遺物は、憎きフリッグの入れ知恵か?否、否!あの女は、お前にも、フレイヤにも会っていない!フリッグがそれを渡した相手は、フライヤだけ!」

「──は?」

「なればこれは、単なる"偶然”か?いや、"偶然”など、この世にない!この私の前で、"偶然”など、起こらない!このような因果(うんめい)、愚かな者どもに手繰り寄せることなどできようか?否、否、否!」

「──おい。」


 肉が焦げ、血が蒸発する音を立てながら、老婆は言う。


「これは“セイズ”。不完全ではあるが、これは"セイズ”!"封印されしセイズ”なれば──」


白目を剥く老婆の視線が、倒れている少女に向いた。


「──スカジの、守護か!」

「──!!」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。彼はスラムの出身であり、生きるためなら人のモノを何の後悔もなく盗むことができる泥棒である。彼に内に秘めた善性などはなく、目の前で炎に包まれた腕が少女を襲おうとしていても、心が痛むことなど無かった。

 あったのは、()()()()()()。他のものは眼中にない。老婆が発したたった一言で、少年は目の前にいる化け物が、殺すべき相手だと悟った。


「“燃えろ”!」


 炎を纏った(マフラー)が、鞭のように宙を舞う。そして深紅の鞭は蛇のようにしなやかに、獲物の喉元に食らいついた。


「──え?」


 その光景が、目覚めた少女の(おぼろ)な意識を、一瞬にして現実に引き戻した。荒れ狂う炎の中で断末魔を上げる老婆と、溶岩の如き鞭を振るう少年が一人。鞭は老婆の首に突き刺さり、深紅の亀裂を枝葉を広げる樹木のように、その老体に走らせた。


「お、のれ──」

「そこの女なんてどうだっていい。問題は、テメェが──」


 少年は怒りの限り叫んだ。


「テメェが、フライヤを殺した奴だってことだ!」


 炎の鞭が、槍となって老婆を貫く。全ての魔力を注ぎ込んだ、渾身の一撃が炸裂した。全てを焼き尽くす、怒りの一撃。膨れ上がった炎は空気とともに老婆の身体を一瞬で蒸発させ、周囲一帯に熱風を巻き起こす。屋根は吹き飛び、粉塵が巻き上がり、ソルゲイルとフレイヤは爆風に煽られ、数歩後ろにとばされるほどだった。


「ゲホッ。に、兄さん、大丈夫!?」


 周囲が静かになったころ、ガラスの少年が起き上がる。

 彼は真っ先に兄の元へと走った。膝をつき、ぜぇぜぇと荒い息をする少年の元に。


「あ、ああ。大丈夫だ。だが──」


 O(オー)はマフラーを握りつぶしそうな程つよく握り、そして叫んだ。


「ダメだった!!」

「ダメって、どういう──」

「手ごたえが、ねぇ!!」


 少年は悔しさに歯を食いしばり、未だ煙の燻る地面を見やる。


「みろ、あれが、あの老婆の正体だ。」

「あれは……虫?」


そこにあったのは、小さな小さな蟲の死骸。黒こげになった黄金虫が、仰向けになってちいさなクレーターの中で煙を上げている。


「あんな虫が、“本体”なわけねぇ。あの虫は──あの老婆は、きっと“使い魔”だ!術者が、どっかに居やがる!」

「兄さん……」

「だから、()()、まだ、討ててねぇ!クソがッ!!クソがッ、クソがぁあああああ!!」


 フレイヤには、分からなかった。少年が何にそこまで怒りをむき出しにしているのか、そして、何故目に涙を浮かべているのかを。

 けれども、彼らに声をかけることはできないと、それだけは分かった。彼らに何があったのかは分からない。彼らは赤の他人であり、どうでもいいと言えばどうでもいいのかもしれないが、そういう無関心故の思いではなく、赤の他人だからこそ踏み込んではいけないものだと、少女は思った。

 それほどまでに、彼が発した慟哭は胸を突き、酷い虚しさを覚えさせるものだった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ