078 マフラーと悪夢(下)
◆◇
「兄さん……本当にこのマグカップも売ってしまうの?」
「……そうだ。」
俺は弟の顔を見ずに断言した。
「俺達には金が必要だ。お前の身体を直すためにはテッラ王国に行く必要がある。あのソウル・ブレイカーはテッラ王国がつくっている“量産型ソウル・ブレイカー”のうちの一つらしい。そいつの解除方法はテッラ王国にしか存在しない。で、そうなると問題は、『門』だ。」
そう、俺達はテッラ王国に行かなくてはならない。テッラ王国にソルゲイルの身体を戻す方法があることは分かったが、そこに行きつくまでには金がかかる。最大の難関は『門』を越える必要があるってことだった。『門』は固く閉ざされ、開けるには一生かかっても手に入れられないような金貨の山が必要だった。
「金は俺が稼ぐ。だが、それでも足りねえ。だから、日常の食料品を買う金は今あるモノを売って手に入れる。」
「でも、これは……もう最後のものなんだよ?他のものは全て売ってしまった。フライヤと一緒に過ごした、思い出の物はもう、これが最後の──」
「それでも、だ!」
「兄さん……」
しおれた声を放つ弟に、俺は言った。
「……俺は、失敗したんだ。このマフラーが有れば、俺なら万事うまくいくって、そう勝手に思いあがって、失敗したんだ。」
俺は首に巻いたマフラーを掴む。
「あいつが死んだ理由はわからねぇ。けど、死なせてしまった理由は、分かりきっている。──俺だ。きっと、あいつは俺のことを憎んでいるだろう。」
「そんなこと、あるわけ──」
「いいや、きっとそうなんだ、ソルゲイル。そうでなきゃ、いけないんだ。
だっていつだって、あいつのいうことは正しかったんだ。あいつは、俺達とは、いや、俺とは違うんだよ。あいつは、正しいヤツなんだ。俺みたいな間違いを犯すドブネズミなんかじゃねぇ。『おとぎ話』に出てくる『ギムレー』って争いのない天国に、あいつは迎えられるべき人間なんだ。
知っているだろ、ソルゲイル。あいつが言ってた。天国には『ラグナロク』を生き延びた神、平和と裁判の神テュールってやつがいるらしい。裁判の神サマだぞ?そんな神に受け入れてもらうには、正しくあらなきゃいけねぇんだろうよ。だったら、間違っている奴を間違っているって、言えなきゃいけねぇだろ。」
「それなら、憎んでなんか、きっといないよ。彼女は、ちゃんと言える人だったから……」
「だからこそ、だ。憎しみが、あいつには必要なんだ。
神が何を基準に判断してこの世を観ているのかなんて俺にとっちゃ知ったことじゃねぇが、だからこそ、だめなんだ。何を基準にしているか俺には分からないから、フライヤに落ち度なんて一片もあっちゃダメなんだよ。
もし俺の間違いを間違いだと神に言ってしまったら、神はもしかすると、あいつがマフラーを手放すと決めた覚悟も間違いだったなんて言いだすかもしれねぇ。」
「そんなこと……」
「俺は神なんて存在、いたとしても正直信じれねぇ。俺達が死にそうになっても助けやしない、戦争まみれのこの世界を救うこともせず、ただ傍観しかしねぇ。そもそもいるのなら、フライヤを助けてくれたっていいだろう。」
「……」
「だから、俺にとっちゃいないも同然だ。スラムに住んでる俺達クソガキに手を差し伸べてくれる奴だなんて、思えねぇ。クソみたいな言い訳ならべて、フライヤを『ギムレー』から追い出すクソ野郎かもしんねぇ。
けど、それは、駄目だ。
神がどんな奴だっとしても、それは、駄目だ。
あいつは報われなきゃいけねんだよ。
だから、誰がどう見ても、間違えたのは俺だけでなくちゃいけねぇんだ。
だから、あいつには俺を憎んでいる必要がある。俺に無理やり盗みをやれと言われ、マフラーを奪われたんだって言えば、あいつが被害者でありさえすれば、テュール神だって文句は言わないはずだ。そうだろ?」
「……」
「だから、あれがたとえどんな覚悟だったとしても──」
一呼吸おいてから、俺は言った。
「──話が逸れたな。
俺は失敗した。“完全”じゃねぇ。俺は、あいつからこれを奪ってしまった。それが、あいつを死なせた原因なのは間違いない。この魔法のマフラーは、“何か”からフライヤを守っていた。それを俺は奪い取った。フライヤを直接殺した存在が何かは分からない。けど、俺が殺したようなものだ。」
「兄さ──」
「だが、弟まで失う訳には、いかねぇんだよ。」
「……」
「だから、やれることは何だってやる。金が要るなら全て売る。相手を殺す必要があるなら、殺しだってやってやる。そこまでやらなきゃ、この街からは逃げ出せねぇ。」
「……分かった。」
「……すまない、ソルゲイル。」
「じゃあ、行ってくる。」
「一人で平気か?お前の体は──」
「大丈夫。いつもの鉱石取引のおじいさんだから、僕らの事情は知っているよ。隠れ家を炭鉱の入り口につくったのは、ちょっとした幸運だったよね。」
「……そう、だな。」
「じゃあ。」
弟はそういって部屋を出て行った。
一人残った俺はガランとした家の中を見わたした。
誰もいない、何ものこっちゃいない。
必要なモノだけが残った瓦礫の洞窟。
「……最初は、こんなんだったんだな。」
◆◇
「『先祖合戦』?」
「ああ。大金が手に入る賭場でやっている賭け事のことだ。スラムで暮らしていてても知っているだろう?『ヒュンドラの詩』くらいはよ。」
水売りの店主から聞いたときは何の冗談かと思ったが、本当に先祖の名前を言い当てるだけの賭場が成り立っていると知った時には驚いた。そんなものが成り立っていること自体が不自然だが、それ以上に『おとぎ話』ってやつに、似たような内容が有ること自体が衝撃だった。
「……女神フレイヤが恋人のために、か。……笑えないな。」
◆◇
「お前が、ヒュンドラか?」
「ひひひ。そうじゃが、何か用かね?愚かなオッタルよ。」
「……テメェ、何で俺の名前を知っている。」
「ひひひ。儂は何でも知っているとも。それに、その方が信憑性が増すだろう?先祖の名を知りたいのであろう?」
「……」
こうも都合よく、『おとぎ話』になぞらえた人物ばかり集まってくると気色が悪いを通り越して怪しくなってくる。この婆に関わるのは危険だと、そう直感した。けれどそれでも、大金のためには関わるしかなかった。
「そうじゃねぇ。俺はそんな『おとぎ話』、どうだっていい。『嘘つきを殺すソウル・ブレイカー』とか、そんな怪しげなもののためにビクついてご丁寧にご先祖サマについて調べるだって?バカ言え。ここは【掃溜めの街】。勝つためなら何だってやる、犯罪者の都だ。公平性なんて有るわけねぇ。」
「ひひひ。じゃあ、あんたは何をしに来たんだい?愚かなオッタルよ。」
「あんたは知っているんだろう?あの賭場のカラクリが何かをよ。」
「ひひひ。何故かな?」
「あの賭場で唯一、『アンドヴァラホルス』の罠にかからず大金をせしめた男から聞き出した。お前が、カラクリの解除法を知っているってな。」
「ひひひ。知っている。知っているとも、愚かなオッタルよ。だが、それならその男に聞けば良かっただろうに。」
「そいつはくたばった。『アンドヴァラホルス』に闇討ちされてな。で、奴らはそいつがどうしてカラクリを知ったのか、血眼になってその元凶を探している。」
「ひひひ。儂を脅すのかい?」
「脅す?まさか。この街でそれができるのは支配者である『アンドヴァラホルス』だけだ。俺達ならず者は、ならず者らしく、取引で動く。
俺はあんたが、何かの“石”を欲しているって聞いてな。ちょっとした心当たりがあるんだ。」
「……」
「取引だ。ヒュンドラ。奴らのカラクリを教えろ。その代り、お前の欲しいものを盗ってきてやる。」
「……」
老婆は暫く口を閉じていた。そうしてから、予想外の言葉を口にした。
「それはいらぬ。」
「何?」
「その石は、鍛冶職人が持っている。そうであろう。お主と弟が鉱石を取引する、年老いた剣士にして魔術師が。」
「……そこまで知っていて、何故手を出さない?」
「今は儂にその運命が回ってきていないだけのこと。そしてお前も、その石を手に入れる運命を持っていない。それは“フードの男”の手に渡るのだ。愚かなオッタルよ。」
「では、何が望みだ。」
「ひひ……ならば、そのマフラー。それを、もらおうか。」
「断る!!」
自分でも驚くほど反射的に、俺は反対した。
「ひひひひひ。それは、何故かな?」
「……別にどうだっていいだろう。」
「その理由を聞くことを、取引に応じるかどうかの決定材料にしてやろう。」
「……チッ」
金が要るなら全て売る。そう弟に言った手前、これを手元に残すなんて筋が通らねぇ話だ。だが、それでもこれを手元に残している理由。そんなものは、一つだけだ。
フライヤは、これを手放して死んだ。
だが、逆に言えばこれは、フライヤを狙っていた奴にとっては“邪魔”な存在だった。ならば、そいつに対してこのマフラーは──
「──“武器”になるからだ。」
俺にはヒーローみたいな正義感はなし、ひたすら法を守って相手に報いが来るのを待っているだけなんてこと、決して出来やしない。
俺は泥棒、スラム街のO。欲しいものは奪ってでも手に入れる、己の我欲に忠実な男だ。だから──
「俺は家族を殺した奴を──殺したいんだよ。」
◆◇
「だから手放さないんだ~。」
耳元で囁く小鳥の声で、我に返る。金色の髪をたなびかせながら、俺の周りをフライヤが踊っている。
「だって、オッタル、言ってたもんね。わたしを殺したのは自分だって。」
「……」
「つまり、こういうことでしょう?わたしの命を奪った全てを殺したい。それは、自分自身もなんだって。」
──ああ、そうだとも。
あの日、俺は全てを呪った。己が犯した過ち、その全てを。
出会わなければ良かったんだ。雨の降っていたあの日、あの家に忍び込んだことが全ての間違いだった。俺と出会わなければ、あいつは死なずに済んだんだ。
俺が盗んだから、あいつの両親は死んだ。
それさえ無ければ、あいつは別の人生を歩んでいたはずだった。俺はあの時既に、失敗していたんだ。
だから、あいつを殺した全てが憎いと言うのなら──
「自分も殺されるべき、そうよね?」
「……」
「あなたは望んでいる。わたしを殺した犯人を殺し、その過程で自分も命を落とすことを。」
「それは──」
「だったら、今死にましょう!」
キラキラ輝く瞳で、おぞましいほど美しい笑みを浮かべて、彼女は言った。
「あなたは望んでいるわ。わたしを殺してしまった罪悪感から解放されることを。」
「そんなことは──」
「あなたは望んでいるわ。わたしを殺してしまった全てを、殺してしまいたいのだと。」
「……」
「だから、あなたは決断した。殺す覚悟を決めた時に、自分の死にざまも。」
「──」
そうだな、と俺は思う。「家族を殺した奴を殺したい。」そう言った時の俺の顔は、どんなだっただろう。きっと、酷く情けのない顔をしていたに違いない。覇気なんてまるでない、死を探し求める暗い顔だったのだろう。
「だいじょうぶ。心配はいらないわ。だって、あなたの望む未来を、私はかなえてあげられる!」
彼女は俺の手をとり、抱きしめた。
「自分を憎んでいてほしい。
ええいいわ。あなたを憎んであげましょう。
わたしを殺した全てのものを殺したい。
ええいいわ。あなたを殺してあげましょう。」
そう、だな……これで、いい。俺が望んでいた通りの結末だ。
──いや、本当にそうだったか?
……だめだ。視界が、暗く、霞んでいく。思考が、まとまらない。
「わたしを殺したのはあなたよ。犯人を探す必要なんてないわ。犯人を殺したい、その欲望は、その結末は、その未来は、すぐに叶えてあげられる。」
少女は言う。軽やかに、美しく、そしておぞましく。
「さぁ、死にましょう。
さぁ、殺しましょう。
そのナイフを、自分に突き立てて、全ての望みを、叶えましょう。」




