074 黄金兵(中)
「フレイヤ──!?」
「いない!?今の今まで気配があったのに!?」
慌てるエミリアの横でコウスケははやる気持ちを抑えながら、部屋の様子をぐるりと見渡し、ベッドに触れる。
「ここにフレイヤは寝ていたんだよな?」
「ああ。まさかあの小僧がまた戻ってきて何か──」
「いや。ベッドが冷たい。おそらくもっと前に出ていっている。」
「もっと前に?そんなバカな!」
有り得ないだろうとエミリアは声を上げる。
「あんただって今の今まであの子の気配を感じていただろう!!」
「ああ。だから変だ。しかもこの状況も妙だ。
見たところ争った形跡がない。つまり──」
「自分から出て行ったってのか、あの子が!?」
「もしくは脅されて出ていったのかだが……」
コウスケは部屋を再び見まわし、あることに気が付き、戦慄した。
「──エミリア、お前、気配を再現する魔法があるかどうか知っているか?」
「気配を再現?そんな魔法きいたこともないぞ!?」
「俺もだ。ダミー人形のようなものをつくって誰かがいるように見せかける魔法は確かにある。誰かそっくりに化ける変身魔法なんてものもある。だが、当の本人の気配だけを再現する魔法なんて、聞いたことがない!」
「コウスケ、何が言いたいのかはっきりしてくれないか!?」
「人の気配っていうのはこの仕事をしていると嫌でも分かるようになる。
臭い、音、息遣い、人がいることで変わる空気の流れ──そういうものを、壁越しに誰が何をしていようとも気付くようにすらなってしまった。
だが、俺はさきほどまで感じていた気配に、これらを感じていなかった!」
「な、何を言っているんだ!?」
意味の分からない言葉にエミリアは苛立ち、さらに声を張り上げる。
「もうちょっと簡潔にいってくれないか!!」
「つまり、気配があるように感じていただけで、気配そのものがなかったんだ!!」
「!?」
「思い返してみろ!
俺達は、彼女の何を根拠に気配を感じていた?
寝返りをうつ音か?
彼女の髪の臭いか?
彼女の息づかいか?
どれも、俺は感じていなかった!なのに、彼女の気配があると錯覚していた!!」
「──感覚を麻痺させる魔法か!?」
「おそらくそうだ。
みろ!この部屋は木造で且つ建てつけが悪い。動けば否応なしに音がする。たとえ彼女が出て行ったのが今でなくても、動けば確実に気が付くはずだ。だが、お前は気が付かなかった。
しかし気配はずっと感じていた。
となると、その魔法しか思い浮かばない。」
「まさか、Oが既にその魔法をあたしにかけ──え──?」
エミリアはあることに気が付き、一歩のけ反る。
「ちょっとまて。その魔法の場合、あんたにも魔法を掛ける必要がある。だがあんたは、Oと会っていない。なら、あんたに魔法を掛けたのは──いったい、誰だ?」
「そうだ。そこが問題なんだ!だから、この状況はマズイ!!」
コウスケはそう叫ぶと店を飛び出し、屋根へと駆けあがる。
「この魔法を使った奴は、確実にフレイヤを狙っている。今俺の知っているフレイヤを狙っている敵は2つだけ。少年とヴァルキリーズだ。」
彼は屋根から街を見渡し、周囲を索敵する。
「魔法にかかっていたのがエミリアだけなら、少年が仕掛けた可能性はある。だが、直接会ってもいない俺にその魔法を掛けることはできない!
それに、ヴァルキリーズという線も薄い!フラーテルはエミリアに出会っていないからあいつではない!そして、ウォルプタースやルーフスはまだこの街についてもいないはず!
つまり――俺の知らない“第三者”が、フレイヤを狙っているということだ!!」
荒い息を整えながら、コウスケは静かにうなった。
(どこにいる──?
魔法を行使できる領域は術者を起点として制限がある。俺に魔法を掛けたということは、まだそこまで遠くに行ってはいないはずだが……)
コウスケは銃を引き抜き、周囲の気配を探った。
(魔法を掛けておきながらそれをやめた。
つまりそれはもう魔法をかける必要がなくなったということ――)
彼の推測が正しければ、今の状況は最悪であった。魔法が解除されたということは、フレイヤを狙う第三者は既に目的を達成したということになるからたからだ。その目的は不明であるが、間違いなくフレイヤの身に予断の許さない危険が迫っているのは確実だった。
──と。
街外れの一角。穢れた空気の向こう側に、身の毛のよだつ気配が沸き上がった。
それは虫の間欠泉。無数の蟻が巣穴から湧き出し這いずり回るように、その魔力は瞬く間に街全体を覆いつくし、そこに住む者全てに悪寒を走らせた。
「そんな──馬鹿な!?」
男は愕然とし、そして沸き上がった魔力に恐怖と憎悪に満ちた目を向ける。
「有り得ない!!有り得るはずがない!何故──何故、あいつがここにいる!?」
「コウスケ!」
エミリアの鬼気迫る声に、彼は我に返った。
「!?」
槍。
金色に輝く一条の槍が、振り返った男の眼前に現れた。
「──ッ!?」
間一髪。コウスケは上半身をねじり、その一投を躱した。
だが、彼はそれだけでは終わらない。
目の前を黄金の槍が流れ去るその刹那、彼は屋根を蹴って後転し、すぐさま銃口を相手に向ける。
「ソウル・ブレイク!!」
空気を割る閃光。
黒い銃身から放たれた焔の弾丸は、光の速さで敵の眉間を貫いた。
「コウスケ無事か!!」
エミリアは屋根から転げ落ちたコウスケにかけより、弓をつがえる。
「ああ、危ないところだった。恩に着る。」
「ならいいが、一体どうしたんだ。お前らしくもない。」
「すまない。信じられないものを見て動転していた。」
「信じられないもの、か。あの投手よりも、か?」
コウスケはエミリアが弓を構える、すでに倒れ伏した相手を見やる。
その男は、異常であった。
なぜならその男は、全身が黄金色に輝いていたからだ。
服はおろかその肌も、髪も爪も、その全てが黄金で出来ていたのである。
「ありゃなんだ。黄金の彫像が動いていたのか!?」
「……いや。違う。アレは元人間だ。」
「元、だと?」
「そうだ。」
コウスケは立ち上がり、銃を構えながら黄金の男に近づいた。
「見ろ。」
「こいつは……」
エミリアの顔にしわが寄る。
親指の無いその手に、その黄金の顔に、彼女は見覚えがあった。
そして黄金でなかった男の顔が金色に輝いていることに、彼女は背筋が寒くなった。
「……メルセナリオか。」
「そうだ。あの賭場にいた男だ。」
「なんで黄金になっているんだ?」
「分からない。だが俺はこの魔法──このソウル・マジックを、見たことがある。これは──」
コウスケとエミリアは、同時に異変に襲われた。
背後に、何かいる。
五感を奪うほどの冷酷な死の気配。
その後に続いてやってくる、吐き気すら感じる金属の臭いに、二人は身震いした。
「──冗談だろう?」
エミリアの額に、汗が流れる。
そこに居たのは人ではなかった。
虫だった。
黄金色に輝く小さな虫。
小指の先ほどもない、踏みつけてしまえば潰せるような、小さな虫だった。
それが真っ白な雪の小路に、ポツンと染みのように居座っている。
その小さな虫に、エミリアは魔力で編んだ矢をつがえ、コウスケは銃を構えた。
「コウスケ。」
「3分だ。それ以上はもたない。」
その言葉がまるで合図であったかのように、カサカサと落ち葉を踏みつける様な乾いた音が、周囲の家から沸き上がった。屋根と壁の間、床下や石畳の隙間から、まるで湧き水のように黄金の虫が現れる。
「……」
虫の流れは小川となり、小川は合流し大河となって最初の一匹に押し寄せた。
金の大河は激しくぶつかり、のたうち回る大蛇の様に大きくうねる。
蟲のうねりは大地を抉る渦となり、渦は竜巻となって空気を震わす。
そしてその竜巻は一点に収縮して金の輝きを放ち、一つの塊へと変化した。
そう、人の姿へと。
「――」
それは、黄金の兵士。金の兜と甲冑に身を包み、金の槍をもった見上げる様な巨人であった。コウスケの背丈の倍はあり、エミリアの頭部よりも太い上腕をもっている。握る槍は天を貫く大樹のようで、佇む姿は岩のように不動であった。
だがそれに感じるのは荘厳さではなく、ただ純然たる恐怖だけ。兜の中の顔は深い闇で覆われ、眼光の一つも見えはしない。そのくせ得体のしれない何かが這いずり回っている音だけが、兜の中から染み出るように聞こえてくる。眼前の兵士の気配は、”蠢く蟲”そのものだった。
「『黄金兵』──」
コウスケの言葉を合図にするように、包丁を研ぐような音を響かせながら黄金兵は槍を構えた。
そして──
「#■@▲────!!!」
黄金の怪物は女の断末魔のような咆哮を上げ、兜の中から牙を剥く。
「来るぞ!!」
瞳のない深淵の眼が、死の視線を載せて二人に襲い掛かった。




