069 OとS(中)
「優しいのは、君のほうで……僕は、優しくはないよ。」
「え?」
彼の言葉に、少女の背中に寒気が走る。
「僕は、兄さんと同じ盗人だ。生きるための盗みを是とする人間だ。それは、変わらない。優しいのは、そんな簡単に謝罪を受け取ることができる君の方だよ。この世界でそんなことを言う人を見るのは、僕はこれまで一人しか知らなかったよ。」
「……」
押し黙る少女に、少年はさらに言った。
「それに……申し訳ないけれど、僕は、君をこのまま返すこともできない。」
「……」
「僕たちの目的を達成するには、君を……その老婆のところまで連れて行かなくてはいけない。」
「……」
「だから……」
「……分かっているわ。」
少女は視線を逸らし、ここに来る前の事を思い出す。
「……わたし、あの人と”取引”してここにきているから。元々、その人のところにはいくつもりよ。」
「…………怖くは、ないの?」
「それは──怖くないのかと言われたら、怖いのだけれど……」
「……そっか。」
フレイヤには、少年が微笑んだように見えた。それは哀しく罪悪感のある不思議な笑みだった。
少女はその笑みに、尋ねずにはいられなくなった。
どうしてこの少年は、その姿で、そんな笑みを浮かべるようになったのか、と。
「……あ、あの。一つ、聞いてもいいかしら?」
「ん?何?」
「その、話したくなければいいのだけれど……どうして、あなたはその姿に?」
「ああ、それね……」
ソルゲイルは失敗を思いだした時の苦い笑みを浮かべ、ばつが悪そうに言った。
「よくある……話だよ。愚かな泥棒がいたという、ね。」
「……」
「この世界のスラムで育った人間は、人を騙して襲って盗み取らなきゃ生きてはいけない。お金もそうだけど、なにより食べ物がない。僕と兄さんは、生きるためにこの街で盗みを働いていた。
そして、ある日……盗んではいけないものを、盗んでしまったんだ。」
「盗んではいけないモノ?」
そんなの、全てではないのかとフレイヤは心の中でつぶやく。
「3年前、僕らは『アンドヴァラホルス』の倉庫に忍び込んだ。普段なら組織に手を出すようなことはしない。けれどあの時期は飢饉がひどくて、どうしても食べ物に在りつけなかった。だから、食べ物を求めて、彼らの倉庫に盗みに入った。
けれど──」
“おい、ソルゲイル何してる?盗むのは食べ物だけだっていっただろ?”
“どうせこの先も飢饉が続くんだ。そのたびにここに盗みに来ていたら、命がいくらあっても足りないよ。だったら一つ二つ金品を盗んで、金に換えたほうがいい。それに、そっちのほうが彼女にも──”
“よせ!この街の商人には『アンドヴァラホルス』の息がかかっている。そんなことしたらすぐに足が付く!”
“大丈夫だよ、兄さん。組織に目を付けられていない商人が何人かいるんだ。真水を手に入れているところだってそうでしょ?彼らなら買ってくれるよ。”
“まてまてまて!たとえそうだとしても、組織の品物を許可なく売買するなんて危険なマネ、バカ以外はしねぇ!そして、大概そういうバカは秘密を吐く!そいつが捕まったら、俺たちのことをペラペラしゃべるに決まっている!”
“でも……いつも、兄さんが盗みをしているじゃないか。”
“?”
“僕は──”
「──僕はもともと病弱で、盗みをしていたといっても、ほとんど兄さんがやっていたんだ。僕には体力がない。だから、どうしても兄さんに頼りきりになってしまっていた。僕にはそれが、歯がゆかった。」
部屋の奥で眠っている兄を再び眺めながら、ソルゲイルは言う。
「その時は二人で忍び込んだ。これがよくなかったんだ。僕はいつも兄さんの足を引っ張る。あの時も、余計な気を回して失敗した。なんとかして兄さんの助けになりたくて、宝物庫にあったコレを、持ち出してしまった。」
ソルゲイルはガラスのポケットから、自分の体と同じように透明で七色に輝くものを取り出した。
「これは……ペンダント?」
「そう。ああ、触らないでね?これに触ると、僕と同じになってしまうから。」
「!?!?」
フレイヤは思わずのけ反る。
「これは、ソウル・ブレイカーの1つ。これに触ってしまったがために、僕はこの姿になってしまった。」
「ソウル・ブレイカー!?でも、これ、ペンダントよね?」
フレイヤが驚いたのも無理はない。これまで見てきたソウル・ブレイカーは、ナイフに弓、そして銃と全て武器だった。だが今目の前の少年が差し出したのは、殺傷性など皆無の首飾りであったのだ。
「そう。これは武器じゃない。けれど、ソウル・ブレイカーと呼ばれていたものだった。まだ僕はソウル・ブレイカーについては勉強中だから詳しくは分からないけれど、ソウル・マジックっていうのかな?ソウル・イーターが使用する奥義には、肉体に直接影響する魔法も存在するらしいんだ。たぶん、これはそれの一種じゃないかな。」
「──え?でも、触れただけなのよね?」
フレイヤは首を傾げた。確かにウィオレンティアの使っていたソウル・マジックのように、肉体に影響を及ぼすソウル・マジックは存在する。けれどそれは使用者の奥義であり、”触れただけで発動する”というのはいまいち納得がいかなかった。
だがそんな疑問は、彼の言葉に掻き消えた。
「僕は、これに触れて体がガラスに変わってしまった。それ以外は元の肉体とほとんど変わらないけれど、やはりガラスだ。肉体より強固と言っても、割れる。」
「!?」
「ガラスって自由自在に動いたり曲げたりできないでしょ?そんなことをしたら割れてしまう。それと同じだ。僕は、体を動かすたびに体にひびが入っていく。」
「そ、そんな……」
フレイヤは思わず彼の体を見た。パッと見ただけでは分からない。その体に傷が入っているとは、思えなかった。
「傷なんて見えないだろ?不思議なことに、傷は僕と兄さんしか見えていないんだ。僕ら二人にだけにそういう幻覚が見えているのかとも思ったけれど、ひび割れている箇所は感覚がなくなっていく。それがあるから、やっぱりこの体は割れて言っているってわかるんだ。さっき兄さんを殴った時も、感覚が分からなくて力が入り過ぎてた。」
「……」
「この体になってからは、これをうまく使えないかとも思ったけれど、仕事をしようとすればするほど、この体にひびが入る。体を動かせば動かすほど、この体は軋んでいく。」
「……」
一息の間をおいて、ソルゲイルは言った。
「兄さんは、焦っているんだ。」
「え?」
「兄さん、ガラス鳥とか手懐けるの上手いから、ガラスや陶器なんかに結構詳しいんだ。だから、僕の体の限界が近いことも知ってる。」
「それは……」
「ああ、いや。そんなにしんみりしないでいいよ?時間がないといってもあと数ヶ月で死んじゃうようなことはないし。まだまだ時間はあるから。」
暗い顔をしたフレイヤに、ソルゲイルは慌てて両手を振る。そしてそれに続けて、自分が言いたかったことを口にした。
「僕に憐れみを向ける必要はないよ。これは自業自得だから。でも、君が兄さんに向ける感情が怒りだけだとしたら、それを、僕は払拭したい。」
「どういうこと?」
「信じてもらえないかもしれないけれど、兄さん、本当はあんな感じじゃないんだ。僕と二人でいる時はけっこう優しいんだ。組織にいるような悪人みたいな人では、ないんだ。
ああいや、“悪人”なのは、間違いないのだろうけれど……」
「??」
「兄さんがああなってしまったのは、『あの時』、彼女を──」
「あー、いってぇ!!」
ソルゲイルの言葉を阻むように、わざとらしい声がベッドから響いた。
「兄さん、起きていたの?」
「今起きた。それより──」
Oは一度きつくフレイヤを睨み付けてから、ソルゲイルに視線を移す。
「何故本名を晒した。」
「え、ええと……」
「いや、そんなことよりもだ。」
狼狽える弟に、Oは詰め寄る。
「なんで出歩いたんだ!あれほど外には出るなって言っただろう!」
「あはは、ちょっと兄さんの声が聞こえたから迎えに行こうと?みたいな?」
「何言っている!体の軋みもそうだが、姿を見られたりでもしたら──」
「それは大丈夫。透明だからね!」
「ふざけてんのか!?」
親指を立てて笑うソルゲイルに、Oは言った。
「はぁ、お前はなんだって俺の言うことをいつも聞かないんだ。」
「兄さん。そんなの僕がなんていうのか、分かっているだろう?」
「…………ふん。」
フレイヤは意外だと思った。Oのことだ。なんだかんだとあくどい文句を並べて言いくるめてしまうのかと思っていたが、彼はあっさり手を引いた。その表情に悪意も嫌悪もない。言葉とは裏腹に、そこまで怒っていないというのがよく顔に表れていた。
「おい。なんだよ。人の顔になんかついてんのか?」
「……いいえ。別に何でもないわ……」
「ふん。じゃあ、行くぞ。」
「え?」
「いや、え?じゃねぇよ。」
Oは心底面倒くさそうな顔をして、ぶっきらぼうに言い放つ。
「行くんだよ。あの老婆、ヒュンドラのところにな。」




