067 魂は黄金に
──【掃溜めの街】 某所 ──
「ほう。では、結局2日も足取りを掴めていないのか。」
心臓を突き刺すような殺意のこもった声が、部屋にいる者全ての魂を凍らせる。
「も、申し訳ありません。」
「いい。そのフードの男、よほど用心深い奴なのだろう。我々『アンドヴァラホルス』の支配する街で、我々の目を盗むことができるのだから。」
「……」
太く冷たいその声に、シルクハットをもつ男は頭を上げることが出来なかった。
その声色は刃だ。言葉そのものの意味とは裏腹に、一言一言がナイフのように心臓に突き刺さる。身動きを封じる、恐怖の刃だった。
故に彼は綺麗な帽子を胸に抱えたまま、顎に汗がしたたり落ちていく気味の悪い感触を、既に5分も味わっていた。
「だからそんな汗を掻く必要はないぞ。チェアー。」
「は、はい……」
彼を跪かせるのは、色黒の巨漢。顎を一周する硬い髭に、獲物を縮み上がらせる蛇のような眼。不気味なまでに白い歯を見せて笑うこの男こそ、【掃溜めの街】を支配するアンドヴァリその人である。
「ああ、チェアー。お前の部下だ。お前の部下の目は節穴ではないことは知っている。
だから、未だに情報が何もつかめていないと言うことは、相手はそれなりであるということだ。故に、何も、お前が頭を下げる必要はない。相手が、ほんのわずかに幸運であったというだけのことだろう?我々が、ほんの少し不幸であったというだけだろう?」
殺意の一切衰えないその言葉を、シルクハットの男は素直に受け取ることはできなかった。
「い、いえ。こ、これは私の采配のミスであり、この失態は直ぐにでも返して見せます。」
「おぉ、そうか失態か。」
黄金の椅子に座る男は、身を乗り出してさらに口元を歪める。
「失態、ときたか。それは困る。」
「……」
「俺は失態を許さない。失態を晒した奴はこの組織に必要ない。」
「…………」
「だからな、もしお前がこれを失態だと言うのであれば、俺はお前を殺さなくてはならなくなる。」
「…………」
「だがそれは俺の望むところではない。」
男はゆっくりと体を起こし、頭を垂れる男へと歩み寄った。
「お前とはこの組織を変革する以前からの付き合いだ。そう簡単に、お前とこのアンドヴァリとの絆が切れることはないのだ。」
アンドヴァリは屈強な腕で、似つかわしくないほど優しく部下の肩を擦る。
けれど彼の五指にはめられた、今にもはち切れそうな金の指輪が視界に入った時、チェアーは恐怖に身を震わせた。
「だから、これは運がなかっただけだ。
この俺に、そしてお前に、我ら『アンドヴァラホルス』に、その男をとらえるだけの幸運がなかっただけなのだ。」
「は、はい。」
「ようし、ではそう気を落とすな。次は、必ずや幸運の女神が我らに微笑むのだから。」
男の言葉に乗った殺意は、「次で決めろ」と告げていた。それを理解したシルクハットの男は、帽子がしわくちゃになるほど強くそれを握りしめ、おびえる体に命令を下した。
「しょ、承知、しました。」
「ああ。それでいい。
──だがな?お前はだめだ。メルセナリオ。」
「!!!!!」
殺意の向きが、変わった。
チェアーは心臓を押しつぶさんとする視線から解放され、頭を垂れたまま安堵の息を漏らした。
反対に、悲鳴を上げたのはメルセナリオである。
指を失った豪傑はその目を見ただけでその場に崩れ落ち、地に額を付けて許しを乞う。
「も、申し訳ありません!あのコソ泥の住処を見つけられなかったこと、全てはこの私めの力不足であること言い逃れは致しません!
しかし、しかしです!
おおよその見当はついております!さすれば、周囲一帯を焼け野原にし、奴らスラムのゴミどももろともに処分いたしますれば──」
「くだらん。」
「お、お待ちください!!」
男は顔を上げ、必死に懇願した。目に涙を浮かべ、この先自分がとる雄姿を語った。いずれ汚名を返上する活躍を約束すると訴えた。
だがしかし、男の耳にはその懺悔は一言たりとも入ってはいなかった。
「言っただろう、メルセナリオ。貴様の失態は、あの賭場なのだ。ど~しようもないハエみてぇなテメェの自尊心を守るために、クソがつくほどお粗末な計画でゲームを妨害したことだろうが。」
「い、いやあれは──」
「俺はお前に確かに言った。Oとかいうガキを再起不能なまでに痛めつけろと。だがこの数日でお前がやったことはなんだ?」
「そ──」
「お前がやったのは、この組織に泥を塗っただけだろう。」
アンドヴァリの怒りが、男の涙を塗りつぶす。
「俺はお前の武力を、買った。誰をも寄せ付けぬその悪逆非道な剛力を俺は買ったんだ。
だが、貴様はその武力で何を成した?
たてつく雑魚を捕まえたのか?恩知らずの裏切り者を殺したのか?
──いいや違う。」
男の言葉は、憐れな男の心臓を抉りだす。
「貴様は酒を飲み、肉を食らい、糞を垂れ流していただけだ。小僧一人を血祭りにあげることすらできず、この俺の仕切る『アンドヴァラホルス』の所属でありながら、この俺が決めたルールを破って、この俺の顔に泥を塗っただけだろう。
この上ない失態だ。そうは思わないのか?」
「ですから、挽回のチャンスを──」
「チャンスなら、もう与えた。」
「──」
絶望に染まる顔を見て、アンドヴァリは冷酷に言った。
「お前は、何のためにこの組織に入った?」
「それは──」
「金を得たいからだろ?」
答えを待たず、男は言い切る。
「だったら、今すぐその金をくれてやる。」
「あ、アンドヴァリ様……?」
「ほら。これだ。」
アンドヴァリがメルセナリオの手に強引に握らせたのは、一つの指輪だった。妖艶な輝きを放つ金色の指輪。見ているだけで吸い込まれてしまいそうなほどに美しい。そんな指輪が、男の掌にあった。
「受け取るがいい。それは、お前の黄金だ。」
「…………」
絶望のどん底にいたはずの男は、その黄金の誘惑に負けた。
心臓を射抜くほどの殺意を浴びていたはずなのに、その金の指輪を手にした瞬間、男の視界にはその指輪しか映らなくなった。
男はその指輪をなぞった。震える指で、その輝きに触れた。
愛しい女性に触れるように。
ようやく手に入れられたと歓喜に震えた。
だが──
「あ」
気付いたときには、遅かった。指輪が、手のひらに食い込んだ。
「あがっ!?っうあああああああ!?」
まるで紙に垂らした墨のように、その指輪は解けて手のひらへと染みこんでいく。その痛みは刃で身を斬られるのと同等の痛みだ。男はたまらずひっくり返り、赤い絨毯の上でのたうち回る。
「ああアンドヴァリ様!?これは、一体!?」
染みこんだ黄金は腕の自由を奪い、さらに体へと侵食が進んでいく。肉体が徐々に黄金へ変わっていく様を見て、大男は慌てふためいた。
しかし、アンドヴァリは男の問いに応えない。ゆっくりと黄金の椅子に座り直し、大男が転げまわるその様を、サーカスを見るような高揚した眼差しで眺めている。
「ああ──そんな。い、いやだ。いやだ。いやだいやだいやだ!死にたくない死にたくない死にたくない!頼む!お願いします!何でもする!どうか慈悲を、慈悲をください!」
大粒の涙を流す男は、自身を見下ろす主に懇願する。
だが、男に与えられたのは冷酷な眼差しだけだった。
そして男が全てはもう遅いと悟った時、その肺と心臓は冷たい黄金へと変わり果てていた。
「言っただろ、それはお前の黄金だと。」
アンドヴァリは気味の悪い笑みを浮かべ、頭を垂れ続けるチェアーに向かって言う。
「昔から、これは変わらない。人の命は金になる。
かの『巫女の予言』の一節、『オッタルの賠償金』や『レギンの詩』で語られるように、オッタルの兄弟たちはオッタルを殺した神々に、賠償金を要求した。
そう、命は黄金と等価なのだ。」
「……」
「この俺の指輪は、それを具現化するものだ。相手の魂を黄金に変える。欲に溺れた魂を、肉体ごとその欲そのものへと変質させる物質化魔法。人間ってのは欲に塗れた生き物だからな。俺のソウル・マジックの効かない奴は一人もいない。
そうだろう?チェアー。」
「!!は、はい!間違いなく!!」
今度は自分にその魔法をかけるのではないかと、チェアーは震える。
「それにしてもだ。お前が──いや、我らに運がなかったばかりに、フードの男に逃げられたのは痛手だな。」
「!!」
「つい先刻、『門番』から連絡があった。ヴァルキリーズの1人、フラーテルが越境したそうだ。」
「ふ、フラーテル……?な、なぜそのような騎士が……」
「さあな。だが奴は、どういう訳か『情報』を通行料に置いていった。そのフードの男は、どうやらルーフスに追われているそうだ。」
「…………」
「分かるだろ?ルーフスだ。奴が、この街にやってこようとしているのだ。」
「それは……」
「奴がこの街に来ると厄介だ。あの裁判官は我らの黄金の出どころを怪しんでいるからな。我らの黄金は当然正規のルートをたどっていないし、そもそもモノも普通ではない。どうやって黄金を得ているのか知られれば、いくら放置されたこの地といえども、我らの首は即刻胴から離れることになるだろう。
つまり、俺が言いたいことは分かるな?」
「……はい。」
「ならば言ってみてくれ。我が盟友よ。」
「それは……」
男は、恐る恐る口を開く。
「ルーフスが、来る前に、その、フードの男を、捕らえろと──」
「おお、その通りだとも!流石我が朋友だ!」
「…………」
心のこもっていないその笑みに、チェアーは一層縮み上がる。
「そのフードの男は間違いなく隻眼だ。いいように利用できればと思っていたが、そうもいかなくなった。奴をとらえ、『門番』に引き渡し、そしてルーフスに差し出す。そうすれば奴がこの街を調査する口実はなくなる。
故に、奴がこの街に入るその前に、決着を付けねばならん。」
アンドヴァリは手をかざし、黄金の像から指輪を引き寄せた。
「──Gold for winners。
そうさ。勝つのは、常に──」
──支配者だ。




