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063 取引(前編)


 埃臭い店内が、たちまち息をつかせぬ殺気で満たされる。


「テメェが、なんでここにいる!!」

「それはこっちの台詞だ。」


 Oはナイフを構え、エミリアは金に光る針を引き抜いた。そして次の瞬間、互いの刃はともに怒りを載せたまま寸分の狂いなく宙で激突した。


「チッ──強化魔法か。」

「それがどうした。」


 エミリアは五指の間に再び針を構え、フレイヤを抱きかかえたまま臨戦態勢を整える。

 状況は圧倒的にエミリアが不利であった。屋外であれば、たとえフレイヤを抱きかかえたままでもOをねじ伏せるだけの自信はあったし、実際その実力を有している。しかし、今いる場所は木材が所狭しと積み上げられた、視界の悪い店内である。


(フレイヤを抱えたままでは小回りが利かない。どうしても動きが大振りになってしまう。あいつの投擲速度は屋外のあたしとほぼ互角。だから一瞬の遅れが命取りになる。

 それに加えてこの木材──)


エミリアは視界を狭める店内の障害に小さく舌打ちする。


(こいつが邪魔で速さが足りない!あたしの得物は針だ。軽量の武器は速さがないとダメージが出ない。フレイヤを抱えた状況で速さを出すためには、大きく振りかぶらなきゃいけないが、ここはスペースが狭すぎる。

 対してあいつの獲物はナイフ。初速が遅くても重量でダメージをだせる武器だ。それにさっきの投擲、強化魔法をしてようやく五分(ごぶ)だった。ってことはその分重い(・・)ということ。あいつのナイフはこの辺の木材を盾にしても貫通してしまう。)


「まさかこんなところで会うとは思いもしなかったよ。ここはあんたの隠れ家ってところかい?」

「ハッ!時間稼ぎか?会話している間に打開策を見つけようってか?そうはいかねぇ。」


 Oは姿勢を低くし、蛇のようにエミリアを睨み付けた。


(今、あいつの動きは鈍い。だったら普通に速さで勝負した方が楽に勝てる。

あいつはあの嬢ちゃんを抱きかかえているからしゃがめねぇ。ってことは、頭上に空間を作って動ける領域を増やした方が──)


「──速い!」


 床を蹴って身をひねり、その回転エネルギーを全て速さに変えて得物を放つ。頭上につくった空間を最大限利用したその投擲は、間違いなく戦士を倒すほどの威力を持っていた。

 ──いたのだが、その刃はエミリアには届かなかった。それどころかOは故意に倒された木材によって、ナイフもろとも床に突っ伏す羽目になった。


「冗談じゃねぇ。こいつは、テメー以外じゃ久しぶりにやってきた客なんだぞ。ここでこの客殺したら、俺の金が減るだろうが。」


 男は怒りを露わにしながら、床に飛び散っているフレイヤに与えられるはずだった水を睨み付ける。


「クソ泥棒が。大事な真水(商品)を駄目にしやがって。支払いが足りねぇから今ここで働いているって分かんねぇのか?これじゃ一生俺の奴隷だな。」

「テメェ……何しやがる……」


 資材の下敷きになりながら自分を睨みつけてくる少年に、男は唾を吐き捨てた。


「商売の分からないガキは黙ってろ。

 おい、客人よ。」


およそ客に対する態度とはかけ離れた口調で、店主はエミリアに言った。


「その嬢ちゃん助けたかったら、まずはそこで寝かせて俺の真水(商品)を買うんだな。」





「ねぇ、他にもお話はないの?」

 

 そよ風が頬を撫でた。

 視界に飛び込んできたのは、真っ青な空に浮かぶ真っ白な雲が一つ。


(ここは……どこ?)


 少女は起き上がり、周りをゆっくりと見回した。


 一面の花畑。


 色とりどりの花が咲き乱れ、その上をチョウチョがひらひらと踊っている。

 羽毛のような暖かな日差しが大地一杯に降り注ぎ、小鳥は春の訪れを祝っていた。


(……あったかい……)


 春というものはこんなにも穏やかだったのだろうかと、少女は温もりに浸った。疲れた心がみるみるうちに軽くなっていく。


(そうだわ、思い出した。【イヴィング】は一年中雪に閉ざされているけれど、何年かに一度、こんなあたたかな時がくるのだったわ。確か、最後に見たのは──)


「ねえ、お母さんってば!」


 風が、強く吹いた。花びらが舞い上がり、蝶が遠くへと飛ばされる。


(……)


少女はゆっくりと、自分の背後を振り返った。


「──」


 そこにいたのは、もう覚えてもいない自分の姿。

 まだ世界を知らない幼き自分。

 そして、その自分がしがみついている人物は──


「お母さん、どうして黙っているの?」


 娘の問いかけにその女性はしばらく黙ったままだった。その顔は太陽に照らされ、全く表情が読み取れない。せがむ娘を抱くことも手を差し伸べることもせず、ただじっと向き合うだけのその姿は、ひどく冷たいようにも見えた。

 しかし。

どうにも少女には、それが困っている(・・・・・)ように見えた。


「そうね……まだあなたがそれを知るのは、早いと思うわ。」


ようやく言葉を発した母に向かって、幼い少女は頬を膨らませる。


「ええー!いじわるしないでよぉ!」

「……そうかも、しれないわね。でも──」


金色に輝くその髪をなでながら、その女性は少女を見た。


「──もう時間ね。」


(え?)


()()()()()()()()。」





「──カハッ!!」


 肺に入り込んだ水を、勢いよく吐き出した。


「目が覚めたか!」

「……ここ、は?」


 フレイヤは咳き込みながら、周囲を見渡した。

 薄暗く埃臭いその一室はどうやら物置のようだった。天井からつりさげられたランプは申し訳ない程度に光を放っており、蛾が周りを飛ぶだけで部屋の中は暗闇に閉ざされる。

 けれど今自分の視界を覆っている影は、人のものだった。


「よかった!急に倒れたからどうしたのかと思ったよ!」

「エミリア、さん?」


 手を握りしめてきたのは、エミリアだった。ひどく安堵した表情を見せるその女性に、フレイヤは驚いて目を見開く。


「えと、何が、起きたのかしら?」

「あんた、倒れたんだよ。おとぎ話の話をしたときに、ね。」

「おとぎ話……ああ、そうだったわ。思い出した……」


 未だに残っている頭痛を感じて、少女は何があったのかを思い出した。そして同時に、どうしてそんなことになったのかと心の中で自問した。


「まだ痛むのかい?」

「ええ、ちょっとだけ……」

「まったく、世話の焼けるお嬢様だな。」


 エミリアの背後から、どこかで聞いた少年の声がした。すると途端にエミリアの顔は怒りと警戒の色へと変貌し、ゆっくりとフレイヤから視線を外した。


「お前はここに入ってくるな、O(オー)。」

O(オー)……?」


 その言葉に少女は驚き、その声の主を見た。

 目に痣をつくった一人の少年。唇は切れ、赤い血が顎にまでついている。泥と埃に塗れたその体を柱に預け、彼は見下すように少女を見ていた。


「ふん。お前に指図されるいわれはない。だいたい、はち遭わないようにわざわざ別の店紹介してやったのに、なんでここにくるんだよ、おねーさん。」

「お前の情報なんか、誰が信じるってんだい。それより、さっさと出ていけ。」


エミリアの言葉にOは鼻を鳴らし、腕を組む。


「俺は泥棒なんだよ。俺にとっちゃ家も庭もただの狩場。間仕切りなんて関係ない。どこに入るも出るも自由だ。俺を止められる(ルール)はねぇ。」

「ならここに入ってきた理由は、その泥棒とやらをしにきたのか?」


 エミリアの瞳が鋭く光る。

 だがOは臆することもなく、その瞳を睨み返した。


「ああそうだな。それもいい。俺は狙った獲物は逃さねえ。一度取り損なったその指輪を戴くと言うのも悪くない。」

「ほう。ならその前に──」

「だが、そうじゃねえ。」


エミリアの手が針に伸びるその前に、Oはきっぱりと言い切った。


「ここのクソうぜぇ店主があんたを呼んでいる。前金を戴くのと、契約書について話がしたい、だそうだ。それを、伝えに来ただけだ。」


 フレイヤは衝撃を覚えた。たかだか人に言伝をするだけで争いが始まるのか、と。

 それがこの街特有なのか、それとも自分が知らないだけでこの『カーニッジ』という世界の人間にとっての常識なのかは分からなかったが、少女は今の状況をひどく悲しいと、そう思った。 

 エミリアが自分を守ってくれているこということは痛いほどよくわかっていたし、彼女が本当は優しい女性だということは知っている。

 けれども、ただ争いに身を投じようとするエミリアの背中をみると、ひどく胸が痛んだ。

 だからフレイヤは、遠くに行きそうなその背中に手を伸ばした。


「フレイヤ?」


 小さな力で、服が引っ張られる。

 白い肌に傷だらけの手が、一人の女の服をつまんでいる。


「どうかしたのか?」

「……ううん。でも、わたしなら、大丈夫よ。」


 少女は小さく微笑み、エミリアに頷いた。


「だから……お話、してきてくださいな。」

「……」


 エミリアは、フレイヤの視線が一瞬Oに向けられたことを見逃さなかった。

 フレイヤがこの世界では珍しいほどに優しすぎる人間だということは、もう分かっている。故に、彼女が争いそのものを避けたがっていると気付くのに、時間は必要なかった。

 エミリアは小さく頷き、立ち上がった。


「……わかった。じゃぁ、あんたも安静にしているんだよ。」


 エミリアは優しく微笑むと、少女の頭を撫でた。その手は温かく、優しかった。

 だが出入り口で全く動こうともしない少年の横に立った時の彼女の声は、とても鋭かった。


「……フレイヤに何かしたら承知しないぞ。」

「ふん。そんなことしねぇよ。

 俺も真水を欲する身。忌々しいがここの店主にとってあんたたちは客人だ。ここであんたたち(別の客人)に手を上げたら、俺の真水が手に入らねぇからな。」

「……その言葉、忘れるなよ。」




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