062 黄金を求める者(下)
「先祖合戦?」
聴きなれない言葉に、エミリアとフレイヤが同時に声を上げた。それを見た男は、やはり美味い客だと言わんばかりに笑みを浮かべる。
「知らねえか。まぁ、無理もない。なんせここ2、3年にできた賭け事で、選ばれた人間にしか参加できないものだからな。だが──」
男は誰も店にはいないのに、内緒話をするように声量を落とした。
「得られる金貨は、普通の賭場の100倍だ。」
「へぇ。枚数は?」
「少なくとも、千。」
「せ、千!?」
「嬢ちゃん、声がでかいぞ。」
男は再び重心を椅子の上に戻すと、軽快に語りだした。
「お前たちが何のつもりで食料を求めているのかは大体察しが付く。この街に住もうってやつは毒のことなんて気にしない。気にするのは、この街を出ていく気がある奴だけだ。ってなると、テッラ王国への亡命──要は、門を越えたいってわけだ。」
「……」
「そうなると金貨は必要だろう?俺から食料を買うだけのレベルの金貨じゃ、足りねぇはずだ。」
「そうだな。で、その『先祖合戦』とやらに出て勝てば、門も越えられるだけの金貨が手に入るってか?」
「ああ。昔は金貨100枚でゴマを擂りに擂ってなんとか門を越えられるかどうかってところだったが、今はそれ以上。『アンドヴァラホルス』の頭が変わってからはさらに高くなった。
だがこの『先祖合戦』はそんな金貨の悩みを一度に解決してくれるカッコいい賭博なのさ。」
「ほう……」
エミリアは、予想通り自分の知らない案件が出てきたこと事態には満足していた。相手が自分を“美味い客”とみれば“危険で勝率は低い”が、確かな“馬鹿高い報奨”のある仕事を紹介するはずだと思っていた。実際その通りになったし、金貨の問題を解決できそうなのは良かった。
ただ、問題はその内容だった。
エミリアは以前この街に来たとき、同じ方法でカエルム帝国における初期の生活費を手に入れていた。しかしその方法は基本的に武術に依る影の仕事──平たく言えば“汚れ仕事”だった。孤児院を失ってしばらくは、己が生きていくためには多少の汚れ仕事も平然とやってのける性格であったし、今でもそれを成すだけの理由も技術も持っている。そう彼女は自負していたが、今回はそういうものではないという予感が不安を煽った。
ここですぐに首を縦には振れないと、そう思った彼女は男に尋ねた。
「そいつはあたしの知らない賭け事だな。どんなものなんだ?」
「簡単さ。自分の先祖の名前をどれだけ言えるかって勝負さ。」
「はぁ?」
予想外の答えに、エミリアはぽっかりと口を開けた。
「なんだいそりゃぁ。そんなの、正しいかどうかなんて誰もわかりゃしない。出鱈目し放題だろ。」
「いいや。それがそうはいかないのさ。」
「何故だ。」
「実はな?ここだけの話、その賭場では“嘘を言っているかどうか分かる魔法道具”が使われていてな。そいつがなんと、テッラ王国の裁判所で使われている魔法道具なんだとよ。」
「テッラ王国の裁判所で?」
エミリアの眉間にしわが寄る。
「……あんなもの、一体どこで手に入れたんだ?」
「なんだ、知っているのか?入手方法については知らねぇが、間違いなく本物だぞ。俺はテッラ王国出身の知人から、その魔法道具を見て確かに裁判所で使われているモノだと聞いた。だから、公平性においては間違いねえ。なんたって、裁判所が使っている魔法道具だぜ?出鱈目なんかできるわけないだろう?」
「そう、だな。」
自慢げに力説する男に対し、鋭い怒りを持ってエミリアは答えた。
彼女は、即座に理解した。それが間違いなく審判──元締めにとって超有利な賭博である、と。彼女はテッラ王国の出身であり、元聖騎士団で隊を率いたこともある人間だ。故にその経歴から、テッラ王国の裁判所で使われるその魔法道具がいかに“私利私欲にまみれた道具であるか”を知っていた。
(あの道具は、そんな公平性のある代物なんかじゃない。金で買収された人間が、勝手に結果をいじくれるただの道具だ。そのせいで、あの恩師にあんな判決が下った。あんなものがあるせいで、テッラ王国の将軍は四人から三人に──)
「エミリアさん?」
「ああ、いや、なんでもない。」
フレイヤの言葉で我に戻ったエミリアは、思考を整える。
(落ち着け。今のあたしは、あのカラクリがどういうモノなのか既に知っている。アレはソウル・ブレイカーの一種だ。随分と在り方がねじ曲がっているが、“魂に干渉する魔法”であることは間違いないからな。なら、これはソウル・ブレイカーを持つ魂喰者同士の戦いだ。だったら、活路はある。
ただ妙なのは、この賭場は──)
彼女はあることを確認するため、静かに尋ねた。
「ちょっと気になったんだが、それ、誰が観るんだ?」
「ん?そんなの、この街にいる連中に決まっているだろ?まぁ流石に推薦状がないと入れねぇから、誰でもってわけにはいかねぇが。大体はアンドヴァラホルスに近い人間が多い、な。」
「具体的には、どんな奴が来るんだ?たとえば……『門番』、とか?」
「んー、確かに、何度か来ていた時があったな。」
その言葉にエミリアは目を細め、一つの確信を得た。この賭場の裏に、そしてアンドヴァラホルスの裏に、“巨大なもの”があることを。
「そうか。なら、もうひとつ聞きたい。さっき選ばれた人間しか参加できないって言っていたが、なにか条件があるのか?」
「紹介状と参加費100金貨さえあれば誰でもやれる。なきゃ、自分の命を賭けるか、だな。
一応言っとくが、嘘だとバレたら即刻あの世行きだぜ?なんせ、その魔法道具は“嘘つきを殺すソウル・ブレイカー”って言われているからな。」
「ふむ。こっちではそう言われているのか。」
腕を組むエミリアに、店主は顎を突き出した。
「なんだ?怖気着いたのか?」
「まさか。ただ、ちょっと気になることがあっただけさ。」
「ほう?それはなんだ?」
「たいしたことじゃないさ。アレを手に入れて使っていて、それでも尚且つ無事で済んでいるのは何故か、と思ってね。」
「なんだかよく分かんねぇが……で、どうするんだ?やるのか?やらないのか?」
男の言葉に、彼女はニヤリと笑う。
「いいぜ、受けてやろうじゃないか。それなら、余裕だよ。」
「ほほう。ノリがイイじゃねぇか。なら、俺が話をつけてやる。あの合戦は見ていて気持ちがいいからな。」
怪しげな言葉の響きに不安を募らせたのはフレイヤだったが、彼女はただ黙って聴いているしかなかった。エミリアはもう決断してしまっていたし、自分の“涙”には頼らないとコウスケが断言していたからだ。自分には出る幕がないのだと、そう思っていたのである。
だが男の放った言葉で、彼女は思わず声を漏らした。
「きっと嬢ちゃんも気に入ると思うぜ。」
「え!?ど、どうして?」
そんなことは微塵も思えない。
彼女は男が自分を一体どんな人間として見ているのか、非常に不満に思った。結局その合戦でも、あの“射的”のような、胸の痛む内容になりそうな気がしてならなかった。何せ、金がなければ命を賭けると言っていた。死人が出ることが前提のゲームである気がしてならなかったからだ。そんなゲームを喜々として楽しむような人間ではないと、少女は強く口を噤んだ。
なのだが──
「そりゃぁ、なんせ『先祖合戦』は『おとぎ話』に出てくる『ヒュンドラの詩』にそっくりだからな。あれの結末もきっとこの合戦の通りだったんじゃないかって思うと、ワクワクするだろ?」
「──え?『ヒュンドラの詩』?」
彼女の声は、先ほどの驚きとは違うものだった。それは自分が知っていると思っていたことが、実はすべてではなかったと言う新たな発見を目にしたときに出る様なものだった。
そしてそのことにエミリアは気が付き、同時に彼女は眉をひそめた。
「うん?フレイヤ、まさかあんた……『ヒュンドラの詩』を、知らないのかい?」
「え?ええ、うん。初めて聞いたわ。」
「初めて!?」
「……でも、変だわ。だって、わたし、おとぎ話は全部お母さんから聞いていて、一つも忘れてなんていないから。」
「え!?」
その言葉に、エミリアは驚嘆の叫びをあげた。
「ちょ、ちょ、ちょっとまて。なん、なんだって!?」
「え?な、何か変かしら?」
首を傾げる少女にその答えを言ったのは、思わぬ人物だった。
「……そいつは、随分と奇妙な話もあったものだな。」
「え?ど、どうして店主のあなたが奇妙、なんてわかるの?」
店主は肩を竦めると、そりゃ当然、と言って語った。
「だってお前の名前はフレイヤ、なのだろう?美の女神、愛の女神フレイヤと同じ名を持っているんだろう?それを、親からつけられたのだろう?」
「そ、そうよ?それが何か?」
「いや、何がって……『ヒュンドラの詩』は、その女神フレイヤの話だぞ。」
「え──」
少女の脳に、衝撃が走った。
稲妻にうたれたように全身が痙攣し、視界に火花が散った。
「フレイヤ!?」
血相を変えたのはエミリアである。エミリアは突然呻き声を上げて崩れ落ちた少女を抱きかかえ、すぐさま状態を確認する。
「大丈夫か──って熱っ!?なんだこの熱!?」
エミリアはフレイヤの体の熱に、思わず手を放しそうになる。まるで焼けた鉄を抱いているような気がするほどに、少女の体は熱を帯びていた。その熱は少女の意識を奪い、フレイヤはエミリアの呼びかけにうめき声を返すのがやっとであった。
「おいおいおい。ここで死んでくれるなよ。後片付けが面倒くせぇ。」
「だったらそこで突っ立ってないで、ベッドと水を用意してくれ!!」
全く心にもない言葉を述べる男に、エミリアは怒りを込めて叫んだ。
男は心底面倒くさそうに二人を眺めていたが、ここで死人が出る方が面倒ごとは増えると思ったのだろう。仕方なくチッと舌打ちをして、店の奥に向かって叫んだ。
「おい!布と水を持ってこい!」
エミリアは意識を失ったフレイヤに呼びかけ続けた。何の返事もしない少女を前に、彼女の胸が締め付けられる。何が原因かは全く分からないが、このままではフレイヤの命が危ない。その事実は、彼女の過去を、心を、抉った。
(あたしは、また子どもたちを──)
「おい、水と布を持ってきてやっ──」
「ああ。すまない、ありが――」
彼女の意識は全てフレイヤに注がれていた。故に、その水を持ってきた人物を見た時、エミリアは完全に動きを停止した。
そして、それは水を持ってきた人物も、同じだった。
「な、なんでテメーらがこんなところにいるんだ!?」
先に動いたのはその水を持ってきた人物だった。彼は花瓶を投げ捨て、瞬時にエミリアとの距離をつくった。
そしてエミリアも同じ行動をとった。フレイヤを抱きかかえ、彼女を守るようにしてその相手に戦闘の構えを取った。何故なら──
「何故貴様がここにいる、O!!」




