060 黄金を求める者(上)
── カエルム帝国 某所 ──
「……黄金。」
不意の言葉に、道化師は眉を顰めた。
敵を追う状況を考えれば、内容が何の脈絡もなく唐突に過ぎる。それに目の前の男の性格からして、そのような俗物をあれこれと思い悩んでいるとは考えにくかった。
「随分らしくない独り言ですねぇ。ルーフス殿。」
「そうか?」
「ええ。空を駆ける天馬の車から雪原を見下ろすにしては、いささか風情がないといいますか。」
「──フ。お前に風情がどうのと言われるとは思いもよらなかったな。」
ルーフスは道化師を見て一笑すると、再び空飛ぶ馬車から世界を見下ろした。
「知っているか。【掃溜めの街】の『アンドヴァラホルス』の話を」
「『アンドヴァラホルス』……【掃溜めの街】を牛耳る組織ですね。確か首魁の名はアンドヴァリとかいう小人。数年前に先代を暗殺して今の地位につき、黄金と麻薬を使って街を支配下に置いた男。さらに『門番』の役人と癒着してテッラ王国から多くの密輸品を仕入れ、うまい汁をすすっているとかなんとか……。まぁ、なんとも小人らしい姑息で陰湿な男だと聞いていますよ。」
ウォルプタースはわざとらしく肩を竦め、ニヤリと歯を見せる。
「ま、そんな状況をほったらかしにしている我々も我々、ですがねぇ。
いやはや人手不足は深刻深刻。これ以上人が減るのは本当に困りもの、ですなぁ、ルーフス殿。」
「お前の言葉はいつ聞いても減ることを楽しんでいるようにしか聞こえないが……まぁいい。そのアンドヴァリという男についてだが、どう思う?」
「…………。どう、とは?」
ウォルプタースは驚きを隠せず、一瞬の間言葉を失った。
このルーフスという男は、完成された騎士だった。
頭脳明晰、武芸百般。瞬きの間に戦術を組み上げ、一息の内に敵を殲滅する最強の戦士が一人。その思考力・判断力はヴァルキリーズの中でも群を抜く。故にこの男はヴァルキリーズですら裁くことのできる最高裁判官、「審問官」でもあった。その男が自身のような“怪しげな”男に、報告の評価ならいざ知らず、純粋に答えを求めてきたのだ。それはウォルプタースにとって新鮮かつ意表を突かれた言葉であった。
「神話の話を知っているか?」
「…………。ええ。『おとぎ話』なら。」
「『オッタルの賠償金』や『レギンの詩』に詠まれている話では、アンドヴァラホルスは滝の名前、アンドヴァリという存在はロキという神に黄金を奪い盗られた小人の名だ。」
「……でしたねぇ。」
「あるとき、9つの世界が一つ【ミズガルズ】を旅していた神々の長である主神オーディンと、“閉ざす者”ロキ、ラグナロクを生き延びるヘーニルの3柱の神が、カワウソに姿を変えていた男を殺した。その賠償金としてその兄弟たちから黄金を要求され、ロキが黄金を用意した。」
「その賠償金として用意した黄金が、9つの世界の【スヴァルトアールヴヘイム】にいたアンドヴァリという男のもつ黄金だった……でしたね。
いやぁ、懐かしい。いつ以来でしょうか、この話を聞くのは。
たしかあの小男は黄金を奪われたことに腹を立てて、黄金に呪いをかけたんですよねぇ。こんなふうに。
『ああ、その指輪と黄金を持っていくがいい!だが覚悟することだ。その黄金は、それを持つ者を誰であれ滅ぼすであろう!!』」
迫真の演技力で高らかに叫ぶ道化師に、ルーフスは冷ややかな一瞥をくれた。
「ああ。たしかにな。アンドヴァリは神話の中ではただの負け犬だった。ロキに捕まえられ、黄金を渡さねば殺すと脅され、そして自身の黄金を差し出した。それだけの登場人物だ。
だが、いまあの街にいるアンドヴァリという男は神話のそれとは違う。麻薬を街にばらまき、賭場を仕切り、黄金を牛耳る狡猾にして非道な男だ。」
「それはまぁ……『おとぎ話』と現実は違いますからねぇ。」
「その通りだ。アンドヴァリは神話のアンドヴァリとは全くの別人だ。
だが、黄金に関しては別だ。」
「はい?」
眉を顰めるウォルプタースに、ルーフスは言った。
「あの街には金山などない。だが、あの街からはこの国の所持する黄金の、実に3分の1に匹敵する量が国内外へ流れている。」
「……ほう。」
「それは異常だ。我が国が所有する黄金はテッラ王国に劣るとはいえ、解放すれば向こう50年は国民全ての生活を保障できるほどの量がある。その3分の1もの黄金が、あの街から毎年動いている。」
「どこかから奪い取っているのでは?」
「まさか。そのような黄金、我が屋敷の蔵にもない。そこいらの商人や貴族が持てるものではない。そして、テッラ王国から盗み出したとも到底思えぬ。もしそうであれば、あの欲に塗れた”黄金の魔女”が黙っているはずがないだろう。」
「確かに、それは間違いありませんねぇ……。
ははっ!もしそんなことをしているとすれば、あの小男は世紀の大泥棒になりますな!」
「……」
ウォルプタースは「絶対に有り得ない」と言いたげに歪な笑みを浮かべる。ルーフスはウォルプタースのその言葉にやや引っかかるものがあったが、それをこの道化に尋ねるのは無意味と判断し、話を進めた。
「で、だ。神話のアンドヴァリは1つの指輪を持っていた。黄金を創りだす指輪だ。」
「ああ、あの”黄金の指輪”ですか。いわゆる、魔法道具ですね。まぁ、『おとぎ話』において黄金が絡む魔法道具は必ず呪い付きですが。」
「通称、『レギンの指輪』。無限に黄金を創りだす魔法の指輪にして、本来の所有者でない者に破滅の呪いをかける呪具。そんなものが実在するとなると、放置するのは危険だが……お前は、実在すると思うか?」
ルーフスの問いに道化は一瞬口を閉じたが、すぐに仮面のような笑みを浮かべて返答する。
「さぁ、分かりませんねぇ。正直『おとぎ話』はおとぎ話ですし?それが実話かどうかの根拠なんて、なーんにもありませんからねぇ。
──ですが。」
道化師は目を細め、言い切った。
「魔法については、別ですね。」
「……やはり、お前もそう思うか。」
「ええ。何しろ『おとぎ話』に出てくる魔法や魔法道具が、古い遺跡から発掘されていますからねぇ。『おとぎ話』が実際にあったことを語っているかは分かりませんが、何かを元にして作られているのは間違いないでしょう。」
「で、あれば、『アンドヴァラホルス』が保有している金の出どころが『レギンの指輪』であった場合──」
「魔術的そして歴史的な価値は計り知れませんねぇ。当然、その黄金による被害も、ね。
……任務は反逆者の始末ですが、放置するのは下策かと。」
魔術に長けたウォルプタースの意見に、紅蓮の男は強い確信をもって頷いた。
「ならば、お前にやってほしいことがある。」
◇
「確かに、昨日はわたしがいけない子だったわ。でも、その、ええと……」
金髪の少女はどもりながら、手を握る女性を見上げる。
「流石に、今度は大丈夫だから、ずっと手をつないていなくても、大丈夫よ?」
「そうかい?でもまたいつあいつが現れるか分からないし、他の連中だって油断ならない。それにこの人ごみではぐれないとも限らないからね。こうしておけば安心だろう?」
「ま、まぁ、たしかに、そうなのだけれど……」
自分の心が平常ではいられそうにない、そうフレイヤはエミリアに聞こえないようにため息をつく。手を放した方がいいのではと言っておきながら、自分の手はしっかりとエミリアのがさついた手を握って放さない。言葉と行動が矛盾しているその状況に、フレイヤは焦った。
(このままじゃ、わたし、ますますおかしくなってしまうわ……)
フレイヤは話題を変えようと隣を歩く男に声をかける。
「ええと、そういえば今日はコウスケさんも一緒なのね!」
「ああ。今日は情報収集が目的だからな。それに……」
フレイヤを一瞥してから、コウスケは顔を逸らすように街中を眺めた。
「……昨日のことも、あるし、な。」
コウスケは昨日帰宅してから、ほとんど会話をしなかった。
口を開けば、決して出てはならない言葉が飛び出してきそうになる。
故に男はいつにもまして口が重く、その唇はきつく閉ざされていた。
そんなコウスケを、普段のフレイヤなら何事かあったのではないかと気にかけただろう。しかし、フレイヤはフレイヤで他のことで手いっぱいだった。自身のエミリアに対する想いに注意を向けていないと、思わず間違ったことを口にしてしまいそうになる。故にフレイヤも昨日はあまり口を開かず、今日も意識は常に己の感情に向けられていた。
だからコウスケのその「昨日」という発言が、自分の行動だと思い込んだ。
「そ、そう、ね……でも、今日も大事な用があるのよね?……エミリア、さん。」
「ああ。けどまぁ、今日は早いとこ帰るかね。さっきの店でようやくまともな水と食料を売っている奴の居場所を聞き出せたからね。とりあえずその店に行って、水と食料を買ったら退散しよう。情報収集は、まぁ、その店で聞ける分だけにしておこう。」
エミリアは昨日のことを非常に後悔しているのか、極力外に出ている時間を短くしようと努めていた。足取りは早く、普段なら迂回するような人気のない裏道すら迷わず通った。道の真ん中で喧嘩がはじまっていようとその道を突っ切り、誰かが声をかけるよりも早くその場を通り過ぎた。フレイヤは少々歩きづらかったが、それでも一度たりともその手を放さず、最短コースで目的の店にたどり着いた。
「……何か用か?」
客を前にしているとは思えない言葉を発しながら、店主と思しき男が店の奥から現れた。コウスケより一回りも大きい巨漢の男は腕を組み、見るからに威圧的な態度で訪問者を見下ろしている。
エミリアは怯える少女の前に立ち、臆することなく用件を述べた。
「あんたが水と食料を売っているってやつかい?ちょいといくつか買いたいんだが。」
「看板が見えなかったのか?うちは大工だぞ。」
「ああ、見えていたよ。ちゃんと“水車の札”が。」
「……」
男はエミリアをじっと見下ろし、それからフレイヤとコウスケを順に眺めていった。そして敵ではない、そう悟ったのか、ため息をついて吐き捨てた。
「その合図を知っているのなら、もう少し周りに気を配りながら注文しろ。『アンドヴァラホルス』に目を付けられると厄介だ。」
「大丈夫さ。周りに連中はいないよ。」
男はその言葉を聞いてもう一度ため息をついた。
「そう言って注意を怠ったヤツのせいで、別の店が潰されたんだ。俺はそうはなりたかねぇ。」
「なるほど、それであたしが前みつけた店が無くなっていたわけか。
……それで?売る気はあるのかい?」
エミリアはいつの間にか持っていた金貨を、男の前で弾いて見せる。金貨は高々と舞い上がり、何度も裏と表の紋様を男に見せつけながら、再びエミリアの手の中へと納まった。
その煌めきを眺めた男は口元に汚れた笑みを見せ、客人に店の奥を見せた。
「……入りな。商談といこう。」




