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058 隠し球(下)

「…………」


うろたえるコウスケに、ヴェルンドは工房の壁を指さした。


「アレはお主の物だ。儂が持つわけにはいかぬものだ。」


 壁にあったのは、長物だった。祭壇に祀るように専用の架台に乗せられ、周囲には淡い光を放つ四角い“結界”が張られているそれは、ぼろぼろの毛布にくるまれてはいるものの、粗雑に置かれた工具などとは明らかに扱いが異なる代物だった。

 コウスケはその存在に、ヴェルンドが指さすまで気が付かなかった。それは壁にある大小さまざまな円陣が認識を阻害する魔法であったからだが、もしそれがなければ、おそらく彼はこの工房に入るなり即座に気が付くはずだった。それほどまでにその長物は、彼にとって大きな意味を持っていた。


「アレは、俺が持つべき物では──」


 コウスケはそれから目をそらし、机に視線を落とす。そのコウスケに、ヴェルンドは強く言った。


「いいや。ちがう。アレはお主の物なのだ。儂は……今まで預かっていただけだ。

 確かに、儂はアレを持っていられることを心の中で安堵し、優越に浸ってすらいた。アレは儂が――()()()()()()()()()()()()()と、そう思っていた。だから儂は宮廷から逃げ出すとき、これをお主に返さず持ち出したのだ。

 だが――」


ヴェルンドはコウスケの肩をつかみ、その目をまっすぐに見つめた。


「だが、アレはお主の物なのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()。」

「そんなこと言われても、持てる訳がないだろう!!」


 コウスケは悲痛な表情を浮かべたまま叫んだ。


「アレが何かわかっているのか!?海剣エーギルだと言われた方がまだ数百倍マシだ!」


そう言うなりコウスケは立ち上がり、逃げるように玄関へと向かった。だがヴェルンドも素早く立ち上がり、その行く手を遮る。


「待てコウスケ!それでもアレはお主の物だ。お主が持たねばならないものだ!」

「どいてくれ。」

「儂でもルーフスですらなく、お主に託したことには意味がある!」

「……」


それでもなお立ち去ろうとする男に、ヴェルンドは叫んだ。


「お主にフレイヤを託したことと同じようにだ!!」


 その一言に、コウスケの脚は止まった。


「ニョルズは儂に言った。娘を守るために一本の剣を作ってくれと。」

「……」

「儂は言われるがまま一本の剣をつくった。

 だが、あの剣は作り手である儂ですら、所持することを許しておらぬ。あいつが娘を託した者にしか、あの剣は扱えないのだ。ならばやはり、あの剣はお主のものなのだ。」

「だが――」


口を開いたコウスケを遮るように、ヴェルンドは畳みかけた。


「コウスケよ。お主はこの世界で、最初から魂喰者(ソウル・イーター)であったわけではない。召喚されたお主はその後“囚われ人”となり、牢屋へ入れられてしまった。

 では囚人であったお主が何故魂喰者(ソウル・イーター)になれたのか?

 それは、同じ牢にいたニョルズから騎士になるための武術を──そう、()()()()()()()()()!」

「…………」

「お主はこの世界でソウル・ブレイカーを手にしたその日から、その戦い方は銃へと転じた。だが、()()()()()()()()()()()()()。しかもその剣術は最強の騎士、『海神』ニョルズに教わったものだ。」

「…………」

「お主は銃士だけではなく剣士としての才がある。

 何しろお主はヴァルキリーズの入隊試験での折りに、ヴァルキリーズ守衛隊長である()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「いや、それは……」


否定しようとするコウスケの声を遮り、ヴェルンドはさらに続ける。


「ヴァルキリーズが認めたのはその()()だ。それを再び取り戻すことが、新しい銃を手にするより遙かに強い武器となる。

 しかもあの剣の存在を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だが、お主はかたくなに剣を握ろうとしない。それは、ニョルズを殺した罪悪感故なのだろう?」

「それは……違う……俺は、ただ……」

「だがな、ニョルズはお主にあの剣を託したのだ。

 おそらく、お主に剣術を教えたときから、あいつの心は決まっていた。お主に自分の娘を託すのと同じく、あの剣をお前に与えると。」


 コウスケは再び壁にかかった長物を眺め、それから強く奥歯を噛んだ。


「……今の俺に――いや、これまでもこれからも、アレを持つ資格はない。」

「いいやある。ニョルズがお主に剣術を教え、そして自分の娘を託したのだ。これ以上資格として確かなものはないだろう。」

「……」


 コウスケは何度も息を吸い込み、わき上がるモノを押さえつけた。そしてまだ小さく震える声で、彼は言った。


「──フレイヤだ。」

「何?」

「アレを持つべきは俺じゃない。フレイヤだ。」

「…………」

「だいたい、俺がアレを持ってしまったら、フレイヤはどう思うんだ。フレイヤが、アレが何かわからずにいると、そう思っているのか?」

「それは……」


ヴェルンドは視線を落とし、うろたえた。その老人に、コウスケは言った。


「俺はニョルズを殺した。その俺が、アレを持つことなど絶対に許されない。何故ならアレは――」


 その声は、今にも苦しみに押しつぶされそうな、嗚咽のようなものだった。男は何度も震える息を吐き出し、押し殺すように言った。


「――アレは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

「……」

「少女の父親を殺した男が、その娘の前で父親の亡骸から創られた剣を握るなど、これ以上残酷なことがあるか?いいや、ない。だから俺はそれを受け取るわけには――」


 男は工房を振り返り、その薄暗い空気の奥にあるものを見つめた。

 もうやめてくれ、と、そう言いたげに。

 そして苦痛で気が狂ったような笑みを浮かべ、彼は小さく言った。


「――いいや、持てないんだよ、ヴェルンド。」

「……」

「俺は、強い人間じゃない。弱いのさ。そんなものを持ってしまったら、いよいよ罪の重さに耐えきれなくなる。彼を殺したと、一人の少女を一人きりにさせてしまったという現実が、否応なくこの手にのしかかる。俺は、それに、耐えられないんだ。」

「…………」


男は窓から見える淀んだ空に視線を移し、嘲笑した。


「だいたい、俺にはやっぱり資格なんてないんだよ。

 あいつは豪快で勇敢な騎士だった。正義感が強く、人情に厚い誰もが敬愛する人間だった。あの狂人ウォルプタースですら、あいつのことを認めていた。そんな奴を、俺は――あいつのためではなく、自分のために殺したんだ。」

「それは――」

「ああ。自分の娘に、会うために、な……。」


 玄関の扉を押し開け、コウスケは外界の眩しさに目を細めた。


 冷たい風が、頬を撫でる。

 罪人の街の腐臭が、鼻をつく。


 その全てから身を守るように、男はフードを被った。


「俺は、人殺しだ。とっくに人道から外れた男だ。そんな奴がこんなことを言うのは、あまりにも烏滸(おこ)がましいが……。

 娘に会うために少女の父を殺した男が、その殺した父親の亡骸まで利用するなんて、俺には、できないんだ。」


 そして彼は、工房を後にした。



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