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055 求めていたもの


──数分前──


「──わたし、今、なにを……」


 口を押える少女は、小さく震えていた。自分の口からどうしてそんな(・・・)言葉が出てきたのか、理解できなかった。エミリアという人物は、決して自分の母親ではない。なのになぜそんな言葉が出たのかと、彼女は自問する。


「エミリアさんは……お母さんじゃ、ない、わ。エミリアさんは、コウスケさんの知り合いで、強くて勇敢で──」


その先に続く言葉を、フレイヤは飲み込んだ。その先に連なる言葉を口にしてしまったら、きっと否定できなくなる。それが、彼女にはいけないことのように思えた。


「だ、だめよ。そんなの……わたしはスカジの娘なんだもの。それに、そんなのは──」


少女は首を振り、自分に言い聞かせた。


「ああ、そうよ、フレイヤ。わたし、またエミリアさんに()()()()()()()()()。自分の身は守れるようにならなきゃいけないのに、わたしの物のためにエミリアさんが走っている。自分のことは、自分で解決しなくちゃだめよ。

 それに──」


フレイヤは狭い路地の入口を見つけると、わき目も降らずに走り出した。


「あの指輪は、わたしの、たった一つの宝物。だからあの指輪だけは、あの指輪だけは!絶対に、失いたくない!」




 どこをどうやって走ってきたのかなど、フレイヤには分からなかった。着た道を彼女は覚えていない。「きっとあるだろう」と思う場所に、ただひたすら全速力で走っていただけだ。そのあばら家に駆け込んだのも、「なんとなくこっち」という程度の根拠だった。

 それは何かの魔法故なのか、それとも第六感なのか。はたまた単なる強運か。いずれにしろそこに、指輪はあった。

 人は強い感情に突き動かされると、他の物事に対して注意が散漫になる。思考が一点に絞られ、それ以外のことが考えられなくなる。この時の彼女は「失いたくない」と言う思いが、他の思考全てを占領していた。「その手に握っていたい」という渇望が、「取り返す」という行為そのものを忘れさせた。だから彼女は探し物を見つけた時のような声を発したし、少年のことなど眼中になかった。彼女はなぜO(オー)がその場にいるのか、一瞬わからなくさえなっていたのだ。


「あなたは──!……そこで、何をしているの?」


 普通の人間なら「取り返す」という行為を思い出して、事なきを得たら有無を言わさず踵を返すだろう。しかもフレイヤは10年間街の人間から酷い迫害を受けていた。故に泥棒がいるという脅威を目の前にしたら、一目散に逃げだしていたはずである。

 しかし、その脅威(オー)がひっくりかえっているという不可解な事態が混乱を招いた。「何かがおかしい」。これまでの彼女の経験上、そういう時(明らかに怪しい時)はより危険な何か()が待ち構えている前触れだった。だから、彼女は度直球にそれが何か確認しようとしたのである。


「それは……こっちの、台詞だ……なんで、お前みたいな、嬢ちゃんがここにいる……」


 「何故」といわれても「当然」という答えしかフレイヤには思い浮かばなかった。自分の大切なものを探しに来ただけだ、と。

 しかし、フレイヤはO(オー)が意味するところを理解していなかった。

 

 (弱者が何の策もなく突っ込むなど、無謀にもほどがある。いったい、何を考えて──)


 そして立ち上がった少年は、目の前の事実に畏怖を抱いた。


「……はは、まじかよ。冗談じゃねえ。」

「な、なに?」


 ギョッとしたフレイヤは一歩後ずさった。


「お前、なんでその指輪を平然と首に下げられる。」

「え?」

「今もその指輪は得体のしれない魔力を放っている。俺はその魔力に押しつぶされそうになった。なのに、何故お前はそれを、ただの指輪を持つみたいに持っていられる?」

「何の、話しを──」

「正しい持ち主以外が持つと呪いがかかるって、おとぎ話によくあるアレか?ああ、そうなると超面倒くさいが……その指輪を持っていこうとすると、おまけでお前まで連れて行かなきゃいけねぇみたいだな。」

「──!?」


 訳が分からないが、間違いなく自分の身に危険が迫っている。そう感じたフレイヤは、来た道を引き返そうと、右足を後ろに下げた。しかし、少年の速さに比べればその一歩は亀のようなもの。


「なんでここに1人で来ているのかは知らないが、お前じゃなきゃ持てない代物ならば都合よく利用させてもらおう。一緒に来てもらうぞ、いいとこのお嬢ちゃんよ!」


 O(オー)の手が少女の腕をつかむ。だが──


衝撃波。


津波に似た青い衝撃波が、再び指輪から放たれた。その力はO(オー)の腕力の数十倍。一瞬にしてOは吹き飛ばされ、あばら家の壁をぶち抜いた。


「……な、なに、今の??」


 フレイヤは風通しのよくなった部屋の中で、人型の虚を呆然と眺める。その奥では目を回した少年が、大の字で地面に横たわっていた。


「今のは、魔法……?」


 少女は自信の腕を見つめた。少年に捕まれた腕は痛くもかゆくもない。自分が何かをしたという感覚はないし、そもそも『(ルクス)』の魔法以外使えなかった自分が敵を一撃で吹き飛ばす術など知るはずもない。

 ただ腕には何もなかったが、その手にはしっかりとあるものがあった。


「嘘、でしょ?だって、これは……ただの、指輪、だわ……」


 少女が再度顔を上げたとき、虚の向こう側で声が聞こえた。


「おい、誰か突っ伏しているぞ。」

「なんだなんだ、()()()()()()()()()()?」

「金になるならなんだっていい。銀歯だろうと引き抜いてバラしてしまえ。」


 その声で、少女の視線は指輪に移った。

 


 このままここにいるのは危険だ。



 大切なものを失う恐怖は、思考するより早く彼女の足を動かした。危険を察したリスのように踵を返し、一目散に逃げ出したのだ。

 風のように早く、小鳥のように慌ただしく。一切後ろを振り返ることなく、少女は走った。

 たとえ背後で、誰かのうめき声が聞こえていたとしても。




「──え?フ、フレイヤ!?なんで、そっちから!?」


 向かうべき方角から、現れるはずのないフレイヤがやってきたのだ。エミリアは驚きのあまり屋根から落ちそうになった。


「あ、エミリアさん!指輪、見つけたわ!」

「は?えぇ!?いや、見つけたって、どういうことだいそりゃぁ!?」


エミリアは屋根から飛び降り、フレイヤに迫った。


「ああええと……取り返した、でいいのかしら?」

「そうじゃない。なんで、待っていなかったんだい!?」


 エミリアの険しい表情に、フレイヤははっとした。明らかにエミリアが怒っている。


「いや、その、気がついたら、駆け出していて……」

「駆けだしてって──この街は危険なんだぞ!?何かあったらどうするんだい!?」


その強い言葉に、少女は息をのんだ。彼女はエミリアの言葉の意味を直感で理解した。エミリアは自分の身を本気で案じているのだと、そう理解した。


 それこそ、我が子(・・・)を思うように。


 だが、同時に少女はそれを認めようとはしなかった。いや、()()()()()()()()()()()のだろうと、そう思った。なぜならエミリアと自分自身は赤の他人である。人が赤の他人をまるで我が子のように案ずることなど、きっとないのだろうと考えたからだ。


自分の直感は、ただの傲慢だと思ったのだ。


 だから彼女は、小さな声で言った。


「……ごめんなさい。()()()、かけてしまったわ……」

「違う!!自分の命を大事にしろと、そういっているんだ!」


 間髪入れずに言い切ったエミリアは、その動作にも何の迷いはなかった。敵をなぎ倒す時よりも早く、彼女はフレイヤを抱きしめた。


「何かあったら、どうするんだ。」

「─────」


 フレイヤは言葉が出なかった。こんなことは今まで一度もなかったから混乱していたのもあるし、エミリアの厚い腕の中では言葉が発せられなかったのも確かだった。

 けれど、初めてのその言葉に、その想いに、その抱擁に、少女は言葉を失った。


知らないものだ。

一度も経験したことのない体験だ。


けれど、間違いなく──


自分は、()()()()()()()()()()()


 そういう傲慢で邪な考えが、自分の頭の中でわき上がってくるのを少女は感じた。この想いはエリアにとってみればきっと迷惑この上なくて、我が儘で贅沢な欲望にちがいない。

 だから、決して今のこの状況はよくなくて、きっといけないことなのだと少女は考えた。

 早く、もっとしっかりエミリアに謝らなければいけないと、そう思っていた。


 エミリアは他人だ。お母さんなんかじゃ、ないんだから、と。



 けれど、それでも、声は出なかった。



「……すまなかったね。あたしが躊躇っていたから、我慢できなくなっちまったんだろう?あんたにとってその指輪は、それだけ大切なものなんだ。思わず駆けだしてしまうほど大事なものだったんだ。あたしはそれをわかっているつもりだったのに……『有り得ない魔力』なんかに怖じ気づいて、あんたの想いに応えてやれなかった。こりゃあ、もう本当に、寮母失格だね。」



違う。

違わなくはないが、違う。


応えてほしいのはそこではなくて、でもそれを求めることを一切口に出したこともないし、それを求めることは許されなくて、寮()失格なんて、決してそんなことはなくて──


 そんなまとまらない思いが、一気に頭を駆け巡った。そんな願いなんて今まで一度も考えたことすらなかったはずなのに、たった一度言い間違えた(・・・・・・)だけで、そのことがこびりついた油汚れのように頭から離れない。


(……わたし、おかしくなってしまったわ……)


 何を言ったらいいのかわからない。どんな表情をすればいいのかもわからない。フレイヤはそれ以降宿(やど)に戻るまで、ただの一言も発することができなかった。




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