051 二人の父(前編)
── ヴェルンドの工房 ──
「“セイズの一族”、海剣エーギル、例の計画……そうか。この数週間でそんなことがあったのか。」
「ああ。これでお前がフレイヤについて聞きたいと言っていたことは全部だ。俺の知る限りの、彼女のことについて言ったつもりだ……」
「……」
暖炉の光が、コウスケの顔に影を落とした。その影はひどく暗く、その言葉は影よりも暗かった。
「……それで?あの時、フレイヤの手に触れて何が起きたんだ?
俺は……あいつとの約束を、果たさなければならない。だから、彼女のことについてはできるだけ多くを知っておきたい。」
「約束、か。それは──」
ヴェルンドは小さくため息をついて首を振った。
「──いや。それは、儂が語ることではないな。すまぬ。」
「……」
「それで、あの時何があったのかだが──」
ヴェルンドは己の皺のよった手を見つめ、震える声で言った。
「──明確な“敵意”を感じ取った。」
「敵意?誰の?」
「おそらく……母親だ。」
「母親?スカジの、か?」
ヴェルンドは頷き、話を続ける。
「フレイヤの手に触れた時、頭の中に『その手を放せ』という言葉が流れ込んできた。あれは──あの声は、母親スカジのものだ。何度か話をしたことがあるゆえ、間違いない。
それで、あの声を聞いて以来“絶対にフレイヤには触れることができない”という妙な確信が儂の中にある。そして事実、彼女に触れようという意志が起こらない。
つまりは、“呪い”を受けた。」
「呪い……何故そんなものが?
俺はスカジには会ったことがない。だからフレイヤの母親がどういう人物だったのかは知らない。だが、そんな魔法を自分の娘にかけることは、この世界の親なら普通なのか?」
コウスケの言葉に、ヴェルンドは肩を竦める。
「まさか。いくら危険な世の中とは言え、そこまでする親などいない。故に、何故そんな呪いをかけているのかは儂もわからぬ。
それに、儂もスカジがどのような人間であったのかを語れるほど、彼女を知っている訳でもない。ただ、ニョルズは気高く心優しい女性であったと言っていたが……。
そういえば、お主はフレイヤの手に触れたことはあるのか?」
「ああ。洞窟で逃げる時に、彼女の手を引いたが……特に何も感じなかった。もっとも、俺自身が魔素を有していないからかもしれないが……」
「ううむ。だが光の弓がフレイヤに触れていても、なんの変化もなかった。彼女はこちらの世界の人間だ。つまり、だれかれ構わず発動するのではなく、何か条件があるのであろう。宮廷魔術師が対象なのか、それとも別の何かか……。
判断材料が足りぬゆえ正確なことは分からぬが、ひとつだけ言えるのは、あの呪いはフレイヤに害になるものに対して向けられたものだということだ。」
「……なら、あの街の少年たちは?」
「フレイヤをいじめていた人物、か。お主の話からすると呪いは受けていないように思えるな。もしかすると既に呪いにかかっていて気付いていないだけかもしれんが、あの明確な敵意を感じないとは到底思えぬしな……」
「……」
“害”という言葉が、コウスケの眉間に複雑な皺を創りだす。
(フレイヤに害を与える人物に発動するのなら、何故俺に、呪いがかからないのだ……。俺は、フレイヤの父を殺した男なんだぞ……)
「あれは明確な敵意であった。我が子に降りかかる災いから我が子を守ろうとする親の、周囲に対する“怒り”に似ておる。
……儂も人の親。ああいう類の──愛は親であれば自然と持つものであろうなぁ。」
「…………」
「なんにせよ、あれはフレイヤを守るために掛けられた魔法であることは間違いない。何故そんなものを掛けたのかは分からんが、“セイズの一族”は特殊だからな。他者から狙われることもあると聞く。
モルスがフレイヤを狙う理由が『海剣エーギル』を使用できるためで、それが『ヴァルハラ計画』に関係していることを何らかの方法でスカジが知った……ということもあるかもしれんが、正確なことは何もわからんな。」
「そうか……」
「だが、スカジがまさかセイズの一族であったとは。出会ったときに、もう少し話をしておくべきであったわい。そうであればどれだけ魔術を磨き上げられたことか……」
ヴェルンドは唸り、背もたれにもたれかかる。
目の前のお宝を逃したと、そう言いたげな悔しそうな表情に、コウスケは疑問を投げかけた。
「それなんだが、“セイズの一族”はニョルズの方ということはないのか?」
「いいや。あいつは“セイズの一族”ではない。それは本人の口からきいていたし、あやつ自身セイズが何なのかを知らなかったようだった。儂にセイズとは何なのかを聞いてきよおったからな。だから、間違いなくスカジの方だろう。」
「なら……“セイズの一族”が『海剣エーギル』の使い手、という訳ではないか。」
「もしそうであるならば、“セイズの一族”であるモルスも『海剣エーギル』を使えるはずであろうからな。わざわざフレイヤを狙う理由はなかろう。」
「ああ……」
コウスケは一度深く息を吐き出し、話を切り替えた。
「ヴェルンド。他に、フレイヤについて何か分かったことはないか?」
「他に、か。それが……あるにはあるのだが……」
ヴェルンドは目を泳がせ、狼狽えた。それは言えない事情があると言うものではなく、信じられなくて自信がない、というものだった。
コウスケは老人の視線に入り込み、強く言った。
「なんでもいい。俺は、さっきも言ったが、約束を守らなくちゃいけないんだ。あの子を守る、そう、あいつに誓ったから。」
「……」
「だから、そのためにできるだけ多くの情報を得ておきたい。何に関わり、何に関わらずにいれば彼女を守れるのか、それを知りたい。だから、そのためには彼女についても知らなくてはいけない。」
暖炉の炎が、男の瞳の中で煌々とした光を放った。その光はまっすぐに老人を見据え、言葉を続ける。
「俺は魔法には詳しくない。だがそれでも、彼女が普通ではないことはよくわかる。
彼女の魔素量は間違いなく膨大なんだ。それなのに彼女は光の魔法しか使えないと言った。彼女は俺のように『魔眼』を埋め込まなくてはならない人間じゃない。それなのに、何故彼女は魔法が使えない?きっとそれには理由があるはずなんだ。」
「……」
「お前は防具をつくるために彼女の魔素を測定したはず。たとえ呪いを受けたとしても、お前ほどの職人であれば、その一瞬で彼女の魔素量だけでなく、彼女が何故魔法を使えないのか、その原因を特定できたはずだ。
だから教えてほしい。それがたとえ根拠のない推測であろうと、何でもいい。彼女は何故、魔法が使えないのかを。」
「……」
ヴェルンドは一度背後の金庫を振り返り、固く閉ざされたその扉を眺めた。
書類に埋もれた黒い扉は、さながらぽっかりと口をあけた洞窟のようである。闇よりも黒いその穴から、何かが語りかけてくるような、何かが這い出てくるような、それでいて引きずり込まれそうな異様な気配を放っている。
ヴェルンドは何度も感じてきたその気配を再度確認すると、大きく震える息を吐き出してからコウスケに向き合った。
「──彼女の魔力は、莫大などという言葉では収まりきらないほどに、膨大だった。
ニョルズの倍、などという生易しいものではない。
あれは──あれは、『ニダヴェリール』と同じだ。」
「──なに?」
「彼女の魔素量は、滅んだ『9つの世界』の魔素量──それと同等だったのだ。」
凍り付いたコウスケに、ヴェルンドは冷汗を流して言った。
「これは推測だが、おそらく彼女は──」




