050 盗人
「へぇ、覚えていたのか、俺の名前。ま、あの賭場であんだけ目立っていれば、新参者でも覚えられるか。」
声をかけてきたのは、あの賭場でメルセナリオという巨漢に勝利した少年だった。細めの体に灰を被ったようなボロ服を着る姿からは、とても大人と喧嘩ができるほどの強さがあるようには見えない。
しかし赤いマフラーを首に巻いた少年が放つ気配は、明らかに異質だった。どこをとっても隙は無く、逆に隙を見せたら殺される、そういう類の強者の眼を持っていた。
その見た目と眼光から放たれる気配とのギャップに、エミリアはこれまでに感じたことのない“やりにくさ”を感じていた。侮ってはならないと分かっていながらも、心のどこかで「こいつには勝てそうだ」と、つい油断してしまいそうになる。普段であれば自然にできる警戒を、全神経を用いて注力せねば実現できない。
故に、言葉を紡ぐのに、ほんの少し時間がかかる。
「お前とあたしらは、赤の他人だ。なのに、何故、声をかけた?」
「いやなに、あんたたちが困っていそうだったんでね。お詫びついでに手助けしてやろうかと思ってな。」
「詫び、だと?」
「ああそうさ。」
Oはマフラーの下で不敵に笑い、足元の小石を蹴りながら、ゆっくりとエミリアとフレイヤの周りを歩き始める。
「ほら、メルセナリオの件だよ。何もなくても余裕で勝てたんだが、あいつが試合をほっぽりだす方が、より確実に勝てるからな。」
「……」
「賭場は『アンドヴァラホルス』が敷いた法が絶対の掟。そんな場所で『アンドヴァラホルス』の雇われ兵であるメルセナリオが“試合を中断させる”なんてことをしたら、上の連中は黙っている訳にはいかないからね。
で、だ。わざとナイフ投げる速度落として、あいつを煽ってやった。そしたら案の定、いい感じに焦ってきたからな。あいつが幼稚な策を考案できるよう、そこのガラス鳥をお前のとこに誘導した。」
「!?」
指をさされたフレイヤは、自分の胸元にすっぽりと収まっている鳥を思わず抱きかかえた。
「ど、どいうこと!?」
「ん。いや、そのままの意味さ。メルセナリオがお前を狙うようにガラス鳥を誘導させた。」
「貴様っ!」
「おおっと。」
歯をむき出しにして怒るエミリアに、Oは慌てて一歩下がった。
「いやだから言っているだろ?詫びだって。それに、ちゃんと死なないことくらい分かってたさ。今日は居ないみたいだけど、あのフードの男、相当やる奴だろ?
あの男がいるんなら、絶対その女の子に手出しはさせないと思ってさ~。」
へらへらと嗤うOに、エミリアは激高する。
「貴様……もしあいつがフレイヤを守らなかったら、どうするつもりだったんだ!!」
「いや、大丈夫だろう?現にあの男はその子を守った。
俺の眼に狂いはない。」
「あなた、何を言っているの!?」
平然として言ってのける少年に、フレイヤは信じられないと首を振った。
「コウスケさんは、怪我をしたのよ!?
あんな、床や壁を壊すようなナイフを、素手で握ったのよ?それなのに、なんでそんな平気な顔して──」
「おいおい。なんだ、このいいとこのお嬢様は。」
Oは露骨に嫌悪感を示し、フレイヤを見下した。
「俺はスラム街のO。スラムに住んでいる人間だ。
生きるためならどんな手段だってとってきた。それはこれからも変わらねぇ。俺が生きるために必要な金貨を得るためなら、誰を利用しても、誰が犠牲になろうが知ったこっちゃねぇ。」
「な──」
「お前がどんな人生送ってきたのか知らねぇけど、そんな自分以外の人間の心配ができるなんて、随分と甘ったれた人生送ってきたんだな。」
その言葉が終わると同時に、エミリアの腕がOの胸倉をつかんだ。
「おおっと、こいつはなかなか怖いおねーさんだこと。」
「ふざけるなよ、少年。」
エミリアの鷹のような眼光が、少年の瞳に降り注ぐ。
「あの子が一体どれだけ苦しい人生を歩んできたと思っている!
あの子がどれだけ酷い仕打ちを受けてきたと思っている!!
あの子が、どんな思いでこれまで生きてきたのか──何も知らない奴が、偉そうな口を叩くんじゃない!」
だが、その言葉にもOは微動だにしなかった。
「何も知らない?ああ。知らないね。そんなもの知るものか。赤の他人だ。」
「な──」
「お前らだって、俺がどんな生活を送ってきたかなんて知らないだろ?
俺がどんなに泥水をすすって生きてきたのかなんて、知らないだろ?
偉そうな口を叩くな?それはこっちも同じだ。
この薄汚れた世界で生きていくのに、他人を気にしてなんかいられねーんだよ。
そこのお嬢さんはどうか知らないが、あんたは分かっているんだろ?
これが普通。仕方がねぇってことくらいさ。」
「このっ──」
エミリアは握る拳を、振り下ろすことはできなかった。Oが言っていることは確かにそうだということを、エミリアが痛いほどよくわかっていたからだ。
彼女は孤児院の母。
そして、スラム街に生きる子どもたちは、皆孤児だった。
どうして孤児になったかは人それぞれだが、大方は戦争によるものだった。
そして、エミリアは元騎士。
孤児を育てるために騎士となり、戦争で誰かを殺し、その結果、誰かを孤児にしてしまっていた。
“仕方がない”
その言葉が、冬の冷気のように耳を突く。痛みは顔を強張らせ、動きを鈍らせる。
──その隙を、強者は逃さない。
「戻ってこい、グラスタム!」
「!?!?」
フレイヤの胸に収まっていた小鳥が、突如羽ばたいた。
それと同時にOは自分をおさえつけるエミリアの腕にしがみつき、彼女の首に足を回して一気にエミリアをねじ伏せた。
「な──!」
一瞬の判断の遅れが勝敗を決する。それが強者同士の戦い方。
ねじ伏せられたエミリアが衝撃に意識を持って行かれそうになっている間に、Oは自分が目的としていた行動を全て終えていた。
「な、なんで──」
「ああ。そりゃぁ、簡単さ。いっただろ?ガラス鳥を誘導したって。
そんなもん、飼い主にしかできないさ。」
「じゃあ、その鳥は──」
「そ。このガラス鳥だけは、俺が手なずけた奴なんだよ。
事前に『アンドヴァラホルス』のガラス鳥の中に紛れ込ませるのは大変だったんだぜ?けどま、こういう下準備もやっておかないと確実には生き残れない。こうやって、目的を達することもできやしないのさ。」
瞬きの間に民家の屋根へと上がったOは、ガラス鳥が加えているものを受け取りながら、満足げに笑って見せる。
だが、それを見て笑っていられないのはフレイヤだ。
「ちょ、ちょっとまって!!それは、駄目!!それを、返して!!」
「ああ、これかい?」
青ざめる少女に、Oはその首飾りを掲げて見せる。
「これはいただいていくよ。21枚目の金貨の代わりとして、ね。」
「な、何を言っているの!?」
「あっ。そうそう、水だったね。真水に関しては、さっきおねーさんのポケットに場所を示した紙を入れておいたから、それをたどるといいぜ。」
「そうじゃないわ!その指輪を返して!だってそれは──」
「そいつは無理だな。俺がこいつを手にした瞬間から、この指輪はもう俺のモノになったんだから。」
彼はマジシャンのように指輪を掌で華麗に踊らせる。
「これがこの【掃き溜めの街】のルールってものさ、お嬢さん。
俺の名前と一緒にそのルールを覚えておくといい。」
少年は赤いマフラーの下でニヤリと笑い、仰々しくお辞儀をして見せた。
「俺はスラム街のO。盗人さ。」




