046 わがまま
「──防具、を?」
「ああ。この先の旅はさらに過酷になる。フレイヤは……古い防御魔法の編まれた包帯を身に着けているようなんだが、その装備だけでは不十分だ。だから彼女の身を守るために、彼女に見合った防具を一式そろえてほしい。それが、ヴェルンド、お前の依頼を受ける条件にしたい。」
コウスケの言葉に、ヴェルンドは大きくうなずいた。その顔には最初にあった時の力強い気迫があった。
「それならお安い御用だ。儂はあれからいかにして自分のもつ技で孫を救うべきか、それを考え続けてきた。我が人生最高の防具をつくってやろう。」
「そうか……頼む。」
「わたしの、防具?──だったら、その、お願いがあるの!」
フレイヤが、ここぞとばかりに目の色を変えてヴェルンドに言った。だがそれは、コウスケとエミリアにとって、驚くべきものだった。
「武器も、一緒に作ってほしいの。」
「!?」
「な──」
コウスケは顔を強張らせ、エミリアはフレイヤの肩を掴んだ。彼女がなぜそれを望むのか、理解できない。そして同時に、彼女にそんなものを持たせるのは、人として見過ごせなかった。
「ま、まて。フレイヤ、何故そんなものを──」
「だって、わたし、ずっと守られてばかりだわ。
わたしだって、コウスケさんとエミリアさんの力になりたいの。」
「だが、だからって──」
「うん。わたしが武器を手にとっても、きっとすぐには役にはたたないわ。それに、誰かを殺すなんて、とても……」
「それなら!」
コウスケと共に叫ぶエミリアに、フレイヤは言った。
「でも、狙われているのは、コウスケさんだけじゃない。わたしも、なんだもの。
それなのに、二人にばかり……罪を犯させるなんて、悪いことだわ。」
「そんなことはない!」
コウスケは必死で彼女の言葉を否定した。
「お前は、何も悪くはないんだ。ウィオレンティアを殺したのは俺だ。お前じゃない。
お前に、罪なんて、何もないんだ!!
ヴァルキリーズと戦っているのは、俺なんだ。お前じゃ──」
「それよ。」
フレイヤは、まっすぐ、曇りのない瞳でコウスケに言った。
「わたしは人を殺すことはできない……けれど、戦うことは、できると思うの。」
「…………」
その凛とした眼は薄暗い工房の中で煌々と輝き、決して失われない強い意志を持っていた。彼女は心優しい人間だ。だから「戦う」と言うことがどれだけ過酷な状況になるのかコウスケには目に見えていたし、彼女が何を考えてそう言っているのかも、察しがついた。
「フレイヤ……もしかして、自分が戦うことで──」
「うん。コウスケさんが、エミリアさんが相手の人を殺すのは、わたしを守るため。
でも、それはわたしが弱いからだわ。
わたしが敵を撃退できるくらい強くなれば、二人が相手を殺す必要もなくなるわ。」
「い、いや……」
「わたしが戦えるようになれば、コウスケさん達が人を殺すよりも前に事態を打開できるかもしれない。それなら、誰も死なずに済むわ。誰も……誰かを、殺さなくて済むんだわ……」
「…………」
フレイヤは震える声で、言葉を続ける。
「ウィオレンティア……というヴァルキリーズを殺してしまった時、とっても心が痛かったの。」
「フレイヤ……」
「人を殺すことが、どれだけ自分の魂に傷をつけるのか、それを思い知ったわ。
コウスケさんは、それを、毎回感じているのでしょう?」
「それは……」
「だって、その武器を構える時のコウスケさんは、鋼のように強い眼差しを向けているけれど……撃ち終わった後の顔は、とっても痛そうなのだもの。」
「………………」
視線を逸らしたコウスケに、フレイヤは言う。
「コウスケさんとエミリアさんがそんなにも”痛い思い”をしてわたしを守ってくれているのに、ただ守られているだけなんて、それは……いやなの。
守ってくれるのはうれしいわ。
こんなにも人に良くしてもらったのは、生まれて初めてだから。」
「……」
「でもだからこそ、わたしは恩返しがしたいの。
エミリアさんは別の人に恩を返してほしいっていうけれど……わたし、二人に返したいの。それも、ちゃんと、目に見える形にしたい。」
「フレイヤ……」
エミリアの瞳が揺れる。彼女はフレイヤが何を言いたいのか分かっていた。エミリアは、フレイヤが健やかでいてくれればそれだけで十分だったが、フレイヤはそれでは恩返しとして満足していないのだ。
「確かにわたしは……戦うなんて、全然できないし、武器なんて、握ったこともないわ。お父さんは、わたしに戦う術を教えてはくれなかったから……。
だから、いきなり戦えるようになるなんて思っていないの。自分で敵を撃退できるようになれるのが理想だけれど、それには時間がかかるって分かっているわ。恩を返すのに、どれだけ時間がかかるのかは分からないわ。
でも、それでも!
わたし、二人に恩返しがしたいの!
そのために、自分の身を守れる程度には、強くなりたいの!だから──!」
少女は大きく息を吸い、頭を垂れた。
「わたしにも、武器を、ください。」
静かではあるがはっきりとした声が、薄暗い工房に響いた。
紡いだ言葉は、少女には似つかわしくない茨の道を歩むもの。
鉄と血の臭いを纏うはずの言葉だ。
けれど、彼女の言葉にそれはない。
彼女の声は、どこまでも優しく澄み切っていた。
穢れなどどこにもない。
彼女の声は、無垢で幼気な響きを持っていた。
故にその残響は薄汚れた空気を浄化するように大気を伝い、人の心に染みこんでいった。
「…………」
少女の優しさは純粋で、そして我儘だった。
フレイヤが、強い意志で欲したモノだった。
二人のために戦いたい──それが、少女がはじめてはっきりと二人に見せた、唯一の我儘だった。
それはコウスケとエミリアが言葉を失うには、十分すぎる理由だった。
子どもの我儘など、無数にあるものだ。食卓に並ぶものへの好き嫌いや欲しいものへの執着など、際限なくでてくるはずのものだった。
けれど、フレイヤにそれはない。平穏な日常にあるはずの我儘が、何一つなかった。その代わりに出てきたのは、戦いたいという、あまりにも少女らしからぬ我儘だった。
「────」
エミリアは彼女を見ていられなくなった。
守らなければならない少女にそんな願いを持たせてしまった自分の無力さを呪い、やっと口に出した彼女の唯一の我儘を、断ることなど絶対に出来ないと、そう分かってしまったからだ。
「…………」
コウスケは彼女から目を逸らすことができなかった。
どんなに冷たい寒空の下で野宿をしようとも、木の実一つの夕飯しかなかったとしても、一度たりとも不満を口にはしなかったフレイヤが、今、目の前で一歩も譲らず、ただまっすぐに自分達に頭を下げている。
──こんな悲しい我儘があっていいのか?
男は、優しすぎる少女に過酷な道を歩ませてしまった“元凶”を責め立て、少女らしい我儘を言えなくしてしまった“罪人”を、激しく嫌悪した。
彼女を”こんなこと”でしか我儘を言えないようにしてしまった奴が、報われていいはずがない、と──。
「…………」
両足で立ち、頭を下げている少女の姿は、何もかもがまっすぐだった。
だが、存在そのものは儚げで、触れれば割れてしまいそうなほどに、幼気だった。
「……わかった。」
彼女の優しさに男はただそう言うことしかできず、女は目をつむることしかできなかった。




