045 形なき日記 20271027
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子とは不思議なものだ。
それまで信じ続けたものをいともたやすく破壊し、人の在り方を変えてしまう。
ヴェルンドと初めて出会ったとき、この老人は岩でできているのではないかと思うほどの頑固者だった。『玉血鋼』を利用するなどという──俺からすれば──恐ろしい考えを、一切ためらわず、悪びれもせず彼は語った。
それは信念だった。
生涯を貫き通した、職人としての生き様だった。
そこに悪意などない。
魂の声を聞く男の、まっすぐな生き様がそこにはあったのだ。
だが、それを一瞬で変えてしまうのが、子と言う存在だ。
子という存在が親にかける魔法は、絶大だった。
──そしてそれは時に、親に残酷な決断を迫ることもある。
親を、暴走させることもある……
子に罪はない。子に責任はない。
あるのは、その決断を下してしまった──それをするしかなかった──自分にあるのだ。
魔法を掛けるのは子かもしれないが、それを受けてどうするかは、親の責任だ。
そう。だから、俺は犯した罪に、責任を取らなければならない。
……『ニダヴェリール』を引き受けると言ったのには、理由がある。
“娘を、守ってくれ”
今も聞こえるお前の声。
忘れたことなど一度もない、お前の願いを。
ああ……分かっているとも。俺が何をするべきなのか。
ああ……覚えているとも。あの日、何故、フレイヤに会いに行ったのかを──
あれは旅の転換期にして、最後の旅の始まりを告げる言葉だった。
“一つの約束”をついに果たさなければならない時がきた、その瞬間の言葉だった。
モルスはあの日、ヴィーンゴールヴ城でヴァルキリーズの誰かに告げていた。
「『例の計画』のために、『海剣エーギル』が使えるあの娘が、どうしても必要だ。最悪、生死は問わない。我は死人使い。死体さえあればよい。早急に、ここに連れてくるのだ。」
──あいつはおそらく、ヴァルキリーズ全員にすべてを話してはいない。
あいつがフレイヤを求めている理由は『海剣エーギル』の適正者だからだが、それは『戦士』として必要としている訳ではない。
ただの……機械的な理由で欲している。役目を果たせる駒としてしか、見ていない。
……もしあの時、モルスが言っていた『例の計画』が『ヴァルハラ計画』だとしたら、この石はこの国にあってはならない。
それだけは分かる。
これがある限り、計画はとまらない。
計画がある限り、フレイヤに安息は訪れない。
ならば俺がとる手段は、一つしかない。
なぜなら俺はあいつとの約束を──フレイヤを、守らなければ、ならないのだから。
なのに──
モルスの言葉を聞いたあの日、俺はフレイヤの元に行くことを決意した。
己の犯した罪を償う時が来たと、そう、覚悟を決めた。
何をどうすれば“守れる”のか、全くわからなかった。それでも、ただ城の中で座っているだけではダメだということは、その理由を考える必要もないほどに明白だった。
だから俺はひた走り、一時も休まず彼女のいる【イヴィング】の街へと走った。
それなのに──
「──これ以上、君を巻き込みたくはない。」
何を、俺は口走ったのか。
「フラーテルやルーフスに、俺に連れ去られたと言えば……君はきっと助かるだろう。」
大ばか者だ。
覚悟を決めて彼女の元に行ったはずなのに、俺はフレイヤを連れ出したあの日、そう口にした。
たとえフラーテルやルーフスが彼女を殺さなかったとしても、脅威はモルスだ。モルスいる限り、彼女の命は脅かされ続ける。それを知りながら、俺はヴァルキリーズに彼女を差し出そうとした。
「あいつは天才だから、……”最悪”の状況には絶対にしない。あの時は……君を命が狙われるという状況から救うには、それしかないと、そう思ったんだ……」
大嘘つきだ。
フレイヤの命を守るのならば、共に逃げる以外の選択肢は残されていなかった。フラーテルを口実に、見苦しすぎる言い訳をしているに過ぎない。
俺は彼女に出会って直ぐに、”罪”と向き合うことから早々に逃げようとした、ただの臆病者だ。
そして今、また俺は逃げようとしている。
こうやってもっともらしい言い訳を並べて、俺は俺自身を騙そうと考えている。
罪に向き合うなら、真摯に向き合わなくてはいけない。
だってそうだろう?
罪は消えない。償っても、与えた傷は無かったことにはならない。
たとえどんなに祈っても、どんなに善行を重ねようと、殺した人間は戻ってこない。
だから、俺は向き合い続けなければならない。
彼女の事を最優先に、旅をしなければならない。
だというのに──
……『ニダヴェリール』を引き受けると言ったのには、理由がある。
そう、理由が有るんだ。
”フレイヤを守るため”、以外の理由が。
「召喚は、失敗だ。……またしても──”『ミズガルズ』を手に入れそこなった。『計画』は、延期だ。」
俺を召喚した時にモルスが口にしていた『ミズガルズ』という言葉は、石のことだった。
そうであるならば、『ミズガルズ』は向こうにある可能性が高い。そしてそれが俺を──いや、彼女を召喚した理由だと言うのなら、石は、彼女が持っていた可能性がある。
何故かなど知らないし、そんなことはどうだっていい。
そんなことよりも、俺にとってもっと深刻な問題がある。
もしも。もしも彼女が──妻が、石を持っていたのだとしたら、今、その石はどこにある?
身寄りのなかった妻が、あっちの世界で石を持っていたのだとしたら、あの我が家にあったのだとしたら、今、その石はどこにある?
あぁ。
今、その石を──“誰が”持っているかなんて、そんなもの、決まっている。
“まって──お父さん!”
何も知らない、何の穢れもない、彼女と同じ黄金の髪をもつあの子の身が──
──危ない。
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