041 玉血鋼
言葉が出なかった。
人間は生きるためにあらゆる生き物を利用して生きている。
毎日食べる食事は当然他の生命を戴いた結果であるし、今着ている衣服も植物や動物の助けがなくては作ることはできない。
──ただ、人間が人間を物として扱うということはない。
そう、彼女は思っていた。
「に、人間……!?」
「まぁ、人間といってもその死体、しかも“石化した”血が、だがな。」
青ざめたフレイヤに、ヴェルンドは何も特別なことはないと肩を竦める。
「ソウル・ブレイカーは過去に死んだ人間の血が魔素の影響で腐食せず、そのまま鉱物と化した『玉血鋼』と呼ばれる鋼で創られている。一言で言えば人間の化石だ。」
「人間の、化石……!?」
「そうだ。」
「な、なんでそんな──。死んでいるとはいっても、石になってしまったとはいえ、人だったのでしょう?それを利用するなんて──」
「ああ、そういうことか。」
ヴェルンドはようやく彼女の言葉に納得したように、静かに言う。
「身体なんぞ、魂を入れておく入れ物でしかないのだ、小さき人よ。
誕生とは魂の顕現であり、死とは魂の喪失だ。
だから大切なのは魂であって、体ではない。」
彼の捉える命とは魂そのもの。肉体はそれを入れる”器”でしかない。
そしてこの考え方はこの世界の住人にとって基本的な死生観であり、同時に死後の肉体の扱いを複雑怪奇にさせるものでもあった。当然フレイヤのように死体を生前と同じように丁寧に扱おうとする人間もいるが、それと同じように「死ねば肉体はどう扱ってもよい」という考え方をする人間もいる。ヴェルンドはこの世界の大半の人間が考えている後者の考え方であったというだけのことだった。
「──お主は魂の入れ物である肉体を、魂の現身とみているのであろう。だから、肉体を利用することを否定的に思えるのだ。
……気持ちは、分からなくはない。」
ヴェルンドは小さくため息を漏らし、静かに言った。
「……儂らソウル・ブレイカーの作り手は、魂は2種類あると考えていてな。」
「2種類?」
「そう、”心”と”想い”だ。」
フレイヤの問いに、ヴェルンドは答える。
「一つは『自我を指す心』。生き物は喜怒哀楽と言った感情を有し、物事を思考する“心”という活動を常に持っている。これが我々という自我を指す精神であり、人が真っ先に思い浮かべる“魂”──そして“命”そのものだ。
もう一つは『思念・思想という精神性』。具体的に言えば強い感情・残留思念や哲学・宗教的な考え……要は他人に影響を与えるモノだ。
これらは精神の活動でありあり方。魂から生まれた“想い”という”心の結晶”。
自我は死ねば消えてしまうものだが、これはたとえ生命体が死んでも世界に残り続けるものだ。誰かが伝承することもあるだろう。誰かの心に残ることもあるだろう。」
ヴェルンドは声をやわらげ、遥か昔を懐かしむようにフレイヤに言った。
「……ああ、それを、ある男はこういった。
“想いは生き続けているのだ”と。」
「……」
「ならばそこにあり続ける精神性を、脈々と受け継がれ続ける精神を、なんといえばいい?
心でないならば魂ではないか?
いや、これも魂と表現するしかなかろうよ。」
「……」
「肉体は確かに魂の入れ物だ。だが、だからこそ強い想いがその器に残ることもある。
儂らは『玉血鋼』からその“魂の声”を聞く。命が生きたその残滓を読み取り、形にする。そうやって、ソウル・ブレイカーは作られているのだ。」
「それは、命を利用することとどう違って──」
声を発した彼女を、老人は止める。
「お主には──まだ難しいことかもしれぬ。
遺体にあるのは命ではない“想い”なのだ。
魂から生まれた想いなのだ。
どこまでいっても、それは変わらない。
儂とて命としての魂を利用することは嫌いだ。だから『ヴァルハラ計画』から逃れるため、儂はここに逃げてきた。
──だが、魂から出た想いを形にすることは嫌いではないし、むしろ使命だとすら思っておる。」
ヴェルンドは揺らぐことのない強い瞳を少女に向ける。
「ソウル・ブレイカーになる『玉血鋼』には、強烈な感情が宿っている。だがそれはな、喜びや楽しみという感情ではないのだ。
誰かを守りたい。誰かを殺したい。
誰かを救いたい。誰かを呪いたい。
悲哀や悔恨、怒りや憎悪といった感情だ。
だから儂は、『玉血鋼』の叫びを形にしたいと、そう思わずにはいられんのだ。」
「どうして?」
「そのどれもが、『愛』から生まれる感情だからだ。」
「愛、から──?」
ヴェルンドは頷く。
「愛する者を守りたい・救いたいなどは言うまでもないだろうが、死してなおも残り続ける怒りや憎悪が生まれるのは、愛あるが故。大切にしているからこそ、裏切りや喪失に見舞われたとき、人は悲しみ、憎しみ、苦悩するのだ。」
「…………」
「愛している者を失ったか、愛していた者から裏切られたか……あるいは、愛する者を裏切ってしまったか……。
負の感情は、愛より出でるもの。叶わぬ願いであればあるほど、その感情は強くなる。それが死後にも残り続けるということは、玉血鋼にあるのは……一言で言えば“無念”なのだ。」
「無念──」
その言葉は、少女にとって衝撃だった。
叶わない願いを、そんな風に表す言葉が世界にあるということが。
ヴェルンドの話は続き、少女はその言葉に耳を傾けた。
「そんな感情がただ渦巻いただけで何も成せないなど……儂は憐れでならん。儂は妻と共にこの国に逃れてきた故、よく知っている。愛する人を守ることがいかにこの世界で難しく、愛する者に裏切られることがどれだけ無念であるのかを。
だからたとえソレがどんな感情だろうと──そう、殺意であったとしても、その感情に偽りはないと断言できる。誰も理解せぬものであったとしても、儂は魂の声が聞こえるのだから、それに耳を傾ける”義務”がある。愛する者と歳を重ねられたのだから、そうでなかったモノたちの無念を晴らすことが、この儂の使命なのだ。
そう、儂がソウル・ブレイカーを作る理由は──魂を無視することができない、それだけのことなのだ。」
そこまで言って、ヴェルンドはふっと笑った。
「──ふ。初対面であると言うのに、ちと語り過ぎであるなぁ。こういう話は、是非戦場で雄姿を見せた時に話をしたかったものだが、いやはや……歳だな。ふふふ……」
そして彼は、大きく息を吸いこんだ。
「しかし、感慨深いものだ。こうしてお主と会話をしておる、というのは。」
「私?」
「ああ。ニョルズの娘、フレイヤよ。」
「私がフレイヤだって、知っているの!?!?」
彼女の驚きに、ヴェルンドは穏やかに答える。
「うむ。儂は元宮廷魔術師。ヴァルキリーズと所属を同じくするものだ。それにニョルズとは同い年ということもあったからな。何度か首都の酒場で酒を飲み交わしもした。……娘がいたというのは、つい3年前に知ったのだが、な……。」
「……あなたも、父を知っているの?」
「ああ。豪快で気さくで話のわかる、いい男だったよ。
儂の愚痴を嫌な顔せず何度も聞いてくれておったわ。まぁ、向こうも向こうで愚痴を言いたい放題ではあったが、な。」
老人は懐かしそうに微笑むと、フレイヤに向き合った。
「……だが、儂はお主の存在を3年前まで知らなかった。故に知った時は……儂はヴァルキリーズから身を隠さねばならない状況にあってな……お主が一人でいるのを知りながら、助けてやることが出来なかった。それは、すまないと思っている。」
突如頭を下げた老人に、フレイヤは慌てて首を振った。
「い、いえ!お気になさらないで!わたしは、大丈夫、だから……
それに──ううん、そんなことよりも、わたしの知る父を知っている人がいることの方が、わたし、うれしいから……」
「そうか……」
ヴェルンドは悲しげにその灰色の眉をひそめた。
少女の言葉には嘘などない。けれどそれが、余計に老人の心に突き刺さった。
それは一人で生きていた少女への憐れみと自責の念。彼女の存在を知りながら、何もできなかったことへの後悔と懺悔の眼差しだった。
「……じゃあ、あんたとコウスケが知り合ったのは、コウスケがヴァルキリーズだったからか?」
その空気に耐えかねたように、エミリアが口を開く。彼女は一瞬コウスケを見たが、彼は固く口を閉ざし、何も言うことはなかった。
「左様。儂はこやつのソウル・ブレイカーをつくり、メンテナンスを受け持っていたのだ。」
「銃……だったか?」
エミリアは腕を組み、ずっと昔から持っていた疑問を投げかける。
「前々から随分と変わった形の武器だとは思っていたが……よくこんなものをつくれたな。これはこの世界には──」
「?」
「──いや、コウスケの武器は今のこの国にはない武器だ。よくそんな知りもしない武器をつくれたな。」
エミリアはフレイヤを見て言葉を訂正した。
フレイヤはまだコウスケが異世界から来たことを知らない。そしてそれをコウスケは隠している。何故なら、彼が異世界から来たということを告げる時、それは同時にニョルズを殺した理由を語る時でもあるからだ。
彼は自分の娘に会うために、ニョルズを処刑した。
その事実をフレイヤに告げることになるのだ。だが彼は自分の犯した罪と、手を血で染めてまで求めた己の願望との間に、折り合いを付けられていない。故にエミリアは言葉を選んだのである。
ヴェルンドは小さく鼻をならし、大げさに肩を竦める。
「言ったろう。儂は声を聞くだけだと。どう形になりたいかは『玉血鋼』が語る。儂はそれに沿うように火をおこし、鎚を振るい、鍛え上げる。
たとえ知らぬモノ、形状であったとしても、それを完璧に仕上げるというのが儂ら職人よ。
……だが、まぁ、随分と無用な武器だとは思ったがな。」
「無用な、武器?」
奇妙な言葉に、フレイヤは首を傾げる。
「ああ。この世界は魔法で満ちている。我々の技術は全て魔法と共に発展してきた。だから、遠方の得物を仕留めるということであれば、弓矢に魔法を掛けて飛距離を伸ばしたり、耐久性を持たせたり、威力を向上させたり……そういう形で実行できる。
だが、銃という武器は違う。
火薬という着火剤を用い、金属の弾丸を魔法なしで射出する機械的なもの。魔法が介在する余地がない。そのくせ威力や耐久性、飛距離であれば魔法を掛けた弓矢の方が上になることが多い。さらに言えば手入れも扱いも面倒くさい。機械的な構造をしているからメンテナンスの度に分解せねばならないし、弾丸をつくるのも一苦労だ。
この世界は魔法を使える者ばかりだからな。こんな手間のかかる武器を持つ必要が、この世界にはないのだ。」
「なるほど……魔法があるから銃という武器が必要なかったってことなのか、この世界──いやこの国には。」
「それより、そろそろ本題に入らないか。ヴェルンド。」
コウスケがそれ以上話を進めるなと言わんばかりに、少し高めの声で言う。
ヴェルンドはコウスケがやや焦っていることに気が付いた。それ以上語ってしまえば、彼がどうしてソウル・ブレイカーを手にすることになったのか、彼がどこから来た人間なのか、その琴線に触れてしまう。それを彼は避けたいのだと、老人は察しがついた。
ヴェルンドは一度咳払いし、ようやく本題に入った。
「……ああ。そうだな。
儂がおぬしらを引き留めたのは、他でもない。頼みがあってのことだ。」




